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調査員A  作者: 香紫日月
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第一章【四】

 幸いにも雅さんが指定したロードバイクの在庫は倉庫の中にあってすぐに出して貰えた。店の中でサドルの高さ調節をして跨がってみる。まるで俺を待っていたかのよう座り心地の良いそれに俺は有頂天になったが、ダメだダメだと脳は否定する。

 だが雅さんがデビットカードで支払いを済ますのを俺の目はただ大人しく見ているだけだった。少しは抗えよとは思うものの、目先に吊された肉に涎を出す犬のように俺は欲望に負けたのだ。チョロすぎるだろ、俺。

 それにしても金遣いは派手だがデビットカードで支払いってのは堅実だと思った。使う額は派手でもデビットなら銀行の預金の中にある金額だけしか使えない。現金を持つのと同じ感覚で大金を持つ危険を回避しつつカード払い地獄に陥らない。

 クレジットカードは便利だけど人から金銭感覚を失わせるし、リボルビング払いなんてその最たるものだ。昨今、カードの借金に関する弁護士や司法書士のCMがやたらとテレビで流されるが、それだけカード支払いの泥沼に落ちている人が多い証左でもある。無論、そういった案件を目の前の美貌の弁護士が扱っている可能性も大いにありそうだ。ただし雅さんの口座の預金の桁が俺が想像するものとは違うんだろうなとも思った。

 俺の物になったロードバイクを持って店の外に出ると外はもう真っ暗だ。そろそろ帰らないと明日に支障が出そうだが、弁償と言う名の高級品を手にしておいてあっさりと帰って良いものか悩む。ひとまずここはお礼だ。

「ええっと、ありがとうございました」

「こちらこそ助かったわ」

 案外すんなり帰れそうか? と思った時、俺は自分の背中が随分と軽いことに気付いた。肩に触れるがそこには幅広の肩紐の感触がない。

 そういえばデリバリーのバッグってどうしたっけ? と考えて青褪めた。あの時だ。雅さんを助けようとしてロードバイクで黒づくめに突っ込んだ時、とにかく助けなきゃとパニックに陥っていたことでバッグをかなぐり捨てたんだった。あれは供与品じゃなく自己での購入品だから弁済する必要はないが、購入額はそこそこの価格だった。

「ヤバイ、商売道具をなくしちまった」

「あの公園かしら?」

「はい」

「なら、鑑識がロードバイクと一緒に回収してる筈ね」

 雅さんはその場で土谷刑事から貰った名刺に記載のある県警本部へと電話をしてくれる。

「県警にあるそうだけど、どうする?」

 雅さんの『どうする?』はタクシーで県警本部に送るが俺のロードバイクをどうするかって意味での問い掛けで、俺は愛車の試運転も兼ねてタクシーを追い掛けることにしたが、雅さんがここまで俺に付き合ってくれる意味は考えなかった。

 幸いこの丸の内から県警本部は直線距離にして約一キロだ。帰宅ラッシュ時の車道を走るタクシーより速く到着する可能性が高い。ヨーイドンと合図こそかからなかったが、タクシーと俺は同時に出発した。で、結果的に俺の方が早く県警本部に到着したのだが建物から滲み出る威圧感に怖じ気付いた俺は玄関前で雅さんを乗せたタクシーを待つ羽目に陥った。

 まるで犬のように雅さんの後を付いて刑事部に戻った俺を土谷警部が迎えてくれる。今回は会議室ではなく一課に通されたが、土谷刑事曰く念のために残骸となったロードバイクとデリバリーバックから何か出ないか調べている最中だそうだ。中に入っていた弁当は残念ながら食べられる状況ではなかったのと、この暑さで傷みそうだから廃棄させてもらったと聞かされ俺はガッカリした。大将、女将さんごめんなさいと心の中で謝る。

 その後、事件から数時間経って分かったことがあるからと雅さんと俺は刑事部屋の片隅に置かれた応接セットに案内された。どうやら立ち話レベルの内容ではないらしい。雅さんは相変わらず冷静沈着な態度でソファに腰掛け、俺も仕方無く横にチンマリと座った。晩飯もお釈迦になってしまったし今日はトコトンこの事件に付き合うしかないと腹を括ったが、元を正せば首を突っ込んだのは俺だから自業自得と言われればそれまでだ。

「鷺ノ杜弁護士が撃たれたと思われる銃弾が発見されました」

 雅さんの背後にあった樹を抉ったままそこに留まっていたそうだ。奇跡である。

「三十八口径のリボルバーでマエはなし」

 なんだ、それじゃあ容疑者は絞れない。

「先程もお聞きしましたが、鷺ノ杜弁護士はご自身が狙われる原因に思い当たることは本当にありませんか?」

「ないわね」

 躊躇うことなく雅さんが断言する。

「では弁護士としてではなく鷺ノ杜雅個人としては?」

「しつこいわね、私が何年弁護士をしているのか、とっくに調べ上げているんでしょ?」

 これはどういう意味に取ればいいんだろう? 弁護士歴が長いか短いか、或いは扱った訴訟件数の数なのか。そういえば俺はまだ雅さんの年齢を知らない。二十代後半かなとは思っていたけど、仮に二十八歳だとして司法試験に一発合格しているなら司法修習生時代の一年を引いて弁護士としての活動は三年だ。三年でどれだけの訴訟を扱ったのか見当も付かないけど、雅さんの弁護士としての能力、引き受けた案件の難しさによって見方は変わってくる。

「存知上げておりますが、ご本人が最も身に覚えがあるかと思いまして」

 土谷刑事は雅さんが恨みを買っていると思っているようだけど、弁護士が恨みを買うなんてことがあるのだろうか。まだ雅さん個人が恨みを買うほうがしっくりくるけど、弁護士という職業を抜きにして考えると二十代の女性が何の恨みを買ったのかという疑問に変わる。

「心当たりはないわ、被害者に頼らないでちゃんと仕事をしてちょうだい」

 被害者が亡くなっていたら話しさえ聞けない。雅さんの言うことはもっともだ。が、土谷刑事は今度は俺の方に顔を向けた。

「夜久くんだったね、君に心辺りはない?」

 へ、俺? 俺はただの通りすがりの赤の他人にすぎないんだけど。

「多用な事象を想定するのが刑事でね。案外、犯人はあそこを通りかかる君を狙ったのかもしれない」

 そんな馬鹿なとは思ったけど、凶悪事件を追う警察としてはあらゆる可能性を考える必要があるのかと考え直して真剣に返答した。

「俺はあの道を毎日使っている訳じゃないですよ」

 デリバリーのバイトは毎日バラバラの方向へ飲食物を運ぶ仕事で、確かに何度も行く店、届ける家が存在するが、曜日も時間もまちまちだし自分の体調次第で不意に休む日もあるから、どれ程あの場で粘って待っていても俺が通りかかる正確な曜日と時間を割り出すことはできない。

 例えば長くて傾聴に疲労が伴う講義があるとする。そんな日はどこかの店舗に籍を置かないフリーランスな立場だからこそ、すっぱりとバイトを休んで大学から自宅へ直帰する。俺の通う国立N大学は自宅アパートを中心にして考えると、あの公園とは真逆の方向にある。だから大学から直帰する際はあの公園付近は通らない。確かにあの公園は自宅から近く住宅街の割に日用品の買物に便利な場所だが毎日通る道ではないのだ。だから俺が狙われているとは考えられない。

 土谷刑事は俺の言い分に別に怒る様子もなく真摯に頷いて聞いている。意外だった。刑事ドラマだと思い込みで恫喝してきたり途中で行き詰まったりあってはいけない冤罪が生まれたりするが、あれはドラマを面白くする為に派手に盛っていることが分かる。無論、現代の警察官の全てが土谷刑事のような刑事ではなく、実際には印象から犯人だと決め付けて捜査する捜査員や、明らかにおかしな方針を示す管理官の存在はゼロではないんだろうが。

「ありがとう。また何か分かったら連絡しますので。とにかく身の回りには気を付けて下さい」

 その言葉を待っていたかのようなタイミングで俺のデリバリーバッグが返却され、雅さんと俺は県警本部の外に出た。雅さんが再び狙われる危険があるのに誰もガードに付けないのかなと思ったが、例え付いていたとしても俺達にバレるような下手な尾行はしないと雅さんに言われて俺は妙に得心した。

 時計を見ると二十二時を回ろうとしている。晩飯は無くなってしまったし、コンビニで何か仕入れて帰ろう。だがその前にずっと気になって仕方ないことを雅さんに聞いておかないと今夜眠れなくなりそうだ。

「雅さん、ひとつ聞いて良いですか?」

「何?」

 湿った風に靡く髪を面倒くさそうに掻き上げながら生返事をする雅さんを見ると、言葉にすることが億劫になる。

「聞きたいことがあるならハッキリ言いなさいよ」

 その声に押され、俺はセクハラと罵られても仕方ないことを敢えて口にした。

「雅さんってお幾つなんですか?」

「二十八歳だけど」

 あれ、テッキリ怒られるかと思ったけど意外にも雅さんは自分の年齢をアッサリと口にしてくれた。俺の予想は完全に的中していたわけだ。

「あの、当然ながら司法試験には……」

「一発で合格したに決まっているでしょ」

 ええ、分かっていましたよ。つまり弁護士活動は俺が推測した通り三年だ。だけど、ここで俺は考える。司法修習生時代にトラブルに巻き込まれるとは考えにくいから、何かあるとしたら三年以内、もしくは学生時代から個人的な恨みを買ったかだ。例えば雅さんが苛めっ子だったとして苛められた側が順風満帆な雅さんの現状を知って嫉妬したとか。

 と想像したもののバカバカしくなって考えるのをやめた。苛められたからって普通の人間は銃なんて手にしないし殺し屋を雇ったりもしない。

「私もひとつ良いかしら?」

「あ、はい」

「そのロードバイクをもっと生かしつつ条件の良いバイトを紹介すると言ったらどうする?」

 俺はキョトンとした。デリバリー以外にそんな良いバイトがあるなら是非とも教えて貰いたい。

「是非紹介して欲しいです」

 途端に雅さんがニヤリと笑う。得体の知れないその笑みに早まったかと焦るが、雅さんの口からで出た突拍子もない提案に俺は言葉を失った。

「私の事務所の調査員になる気はない? 報酬ははずむわ。」

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