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調査員A  作者: 香紫日月
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第一章【三】

 本部に来る時はパトカーだったが帰りは自力で帰れってことかと呆れた。まだあの黒づくめが俺達、いや鷺ノ杜雅を監視しつつ尾行しているかもしれないと考えないとは悠長なもんだ。

 だが彼女の方はさすがに弁護士だけあって警察のその対応に慣れているようで、すぐにタクシーを拾う。俺はここから手近な駅まで歩いて地下鉄で帰るしかない。

 あのロードバイクは今頃鑑識が回収していることだろうが、回収されていなかったとしても変形したロードバイクは粗大ゴミにしかならない。俺は複雑な想いが混じりあった溜息を吐きながら、じゃあと言って踵を返したところを呼び止められた。

 振り返ると、鷺ノ杜雅がタクシーの前で開かれたドアに凭れている。

「まだ何か?」

 なんだかムシャクシャして俺は突っ慳貪に言い放った。

「乗って」

 この後、彼女がどうなろうと知ったことではないと言い切れるほど俺は冷酷な人間ではないが、さすがにこれ以上は関わりたくなくて一刻も早くここから離れたいのに、どうしても彼女の言葉には逆らえず自分でも情けないが俺は渋々とタクシーに乗り込んだ。

「何か用っすか、鷺ノ杜弁護士大先生」

 俺が敢えて嫌味な言葉を吐いても彼女はどこ吹く風だ。

「ハンカチを返すからショッピングに付き合ってちょうだい」

「先生のお高いハンカチと違って俺のは百均のハンカチですからお気遣いなく」

 突っかかるようにそう言うと可憐な口元に苦笑が浮かぶ。その苦笑はそれまで見せていた嘲笑とは違っていて俺は意外な気分になった。もしかしてこの人、職業柄気の抜けない生活を強いられているのだろうか? と、少し同情したらアッパーを喰らった。

「じゃあ、病院に付き添ってもらうわ。状況を説明できるでしょ?」

 口調は高飛車なものに戻っている。まるで気分屋の女王様だが、己が自分で思う以上にお人好しだと分かってしまった今、そして彼女が言うように目撃者であり彼女を助けた者としてこのまま無視して帰るのも無責任な気がしてしまう。

「へいへい、先生のお供を仰せつかります」

「雅で良いわ」

「了解っす、雅さん」

 結局俺は三次救急の夜間外来へ向かう彼女に付き添い、受付や看護師、医師に関係を聴かれる度に自分は弟ですと言ってやり過ごした。

 夜間外来と言ってもまだ時間が早いのでそれほど待たされることなく傷を診て貰えたが、救急車の中で言われたように傷は軽傷の部類に入るものの三針縫うこと、痛み止めを処方すると言われた。

 手当を受けて処置室から出て来た雅さんの左腕には、救急車で手当てされた時よりも厚く包帯が巻かれている。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫な訳ないでしょ、この日本でいきなり銃撃されたんだから」

 他人にそれだけ毒突けるなら大丈夫だなと俺は思ったけど、診察室で傷をマジマジと見ながら医師に三針程縫うと聞いた時は当事者である雅さんではなく俺の方が卒倒しかけたことを思い出して急に恥ずかしくなった。

 再びタクシーに乗り込むと、次に彼女が運転手に指定した場所は俺がロードバイクを買った店舗の近くの百貨店だった。もしかして弁償してくれるのだろうか。そんなワクワクした気持ちはすぐに玉砕されることになる。

 雅さんは高級ブティックが軒を並べる百貨店へと入ると他のブランドには目もくれずフォクシーの店舗に向かい、そこでブラウスを三着購入してその中の一着を選んで試着室へ消える。

 そういえば、怪我をして血で汚れているだけでなく銃弾が掠ってブラウスが裂けていたっけ。あの姿のまま聴取を受けていたと考えると、さすがに警察ももう少し配慮すれば良いのにと思えるが、あの雅さん相手に女性警官の着替え用のブラウスをどうぞと渡したところで、彼女がそれに着替える姿はちょっと思い浮かばない。

 それにしても一着廃棄処分になった代わりに三着も買うとは。一体このブランドの服の価格はどれくらいなんだろうかと手近にあったワンピーズの値札をチラリと見た俺はゼロの数を見て固まった。

『げ、十五万超え!?』

 店員がお姉様に内緒でプレゼントしますか? と笑顔で話しかけてきても俺は首をブンブンと横に振ることしかできなかったが、興味本位で雅さんが購入したのと同じブラウスも見せてもらうことにした。派手でも地味でもないオーソドックスなブラウスの上質な生地は柔らかくて軽い。そしてその価格は八万を超えていて俺はそっとブラウスと棚に戻した。

 弁護士の年収っていくらなんだろう。彼女の生活の質が想像できなかった。見た目年齢からはまだ若手弁護士の範疇だろう。若手弁護士でも大手弁護士事務所に所属していれば高報酬で契約しているかもしれないが、買い物の仕方からして本当に弁護士なのかも疑わしい。

 いや、警察で堂々と名刺を出すくらいだから違法なことはしていないだろうが、何か副業でもしているのではないかと考え、俺はその副業が彼女が狙われる一因ではと勝手に妄想した。

 そんな妄想で頭が一杯になっていたからだろう。俺は試着室から出て来た雅さんに気付かず、いきない頭を叩かれた。もっとも、姉弟のスキンシップとしか見えない軽い力でだけど。

「言っておくけど、副業なんてケチなことはしていないわよ」

 どうして俺の考えていることが分かったんだ? 予知能力でも持っているのだろうか。

「顔に書いてあるわ。法曹界を目指すなら考え事をする時は表情に気を付けることね、歩夢くん」

 そうだった、警察での聴取時に俺は学生証を見せたのだ。そこには大学名だけでなく学部の記載もある。雅さんはあの時、殆ど興味のない体をしながらも俺の学生証をしっかりと見ていたのだ。それはやはり弁護士として習慣となっているからなのだろうか。

 高飛車なのは生きてきた年数で形作られた性格だとしても、興味がないふりをしつつも周囲をしっかり見ているのは職業柄としか思えない。俺は少し脱力した。彼女の言うように将来法曹界へ入るなら俺のお人好し加減や、女ひとりに振り回されているこの状況は不利にしかならない。

 ただ、司法試験を受けるにはロースクールに通わねばならず、現時点で俺の実家にはそんな余力はない。仮にロースクールに合格できたとしたら奨学金で通うこともできるが、その際は法曹界に入っても相当額の借金を抱えたまま社会人生活をスタートさせなければならない。一発で司法試験に受かれば返す当てもあるが、失敗したらと考えると絶対に法曹界に進むんだという熱い気持ちにはならない。

「ゆっくりと考えれば良いわ」

またしても心の中を読まれたようだが、言葉に柔らかさが感じられる。元気付けてくれているのかなと思ったのは束の間だった。

「司法試験は現役で一発合格しないと意味がないから、自信がないなら避けた方が良いわ」

 俺は愕然とした。その声に嘲笑の成分は入っていなかったけど、彼女が何度も司法試験に挑んでいる先人を馬鹿にしているように聞こえて憮然とする。そんな俺の気持ちなんてお構いなしに雅さんは歩き出す。

「さあ、次行くわよ」

 前言撤回だ。やはりこの気ままな女王様の言動に翻弄されるのは腹立たしさと疲労しか生まない。この辺で本当に帰ると宣言できれば良いのだが、俺は雅さんの言葉に流されるままに再びタクシーに乗車した。

 ネオンが灯り煌びやかさが増していく栄近辺をタクシーは疾走する。名古屋市で生まれ県北部の市で育った俺だけど、夜の栄にはあまり馴染みがない。

 県北部から名古屋駅までは電車で大凡三十分と便利な場所で、映画観賞や実家周辺で手に入らないものの買い物にはよく来ていたが、名古屋駅周辺で大抵の用は済むから栄の方に足を向けたことはなかった。

 大学に入学し名古屋市内で一人暮らしを始めた後はバイトで飲食物を受け取りには来るが俺にとってこの街は通り過ぎるだけの場所だ。だからか俺は流れゆく華やかな景色に魅入られた。今時、高校生でも栄周辺で遊んでいるのは知っているから、雅さんにはさぞ田舎者と映るかもしれないが。

 やがてタクシーは日銀の交差点手前に止まった。この辺りは丸の内と呼んだ方が良いだろうが、俺がドキリとしたのは正しくこの辺りでロードバイクを購入したからだ。期待するだけ馬鹿だと思う俺の気持ちを知ってか知らずか、雅さんが心持ち悪戯っぽ笑みを浮かべながら向かった先は正に俺がロードバイクを買ったあの店だった。

 あの時の高揚感が俺を包む。ダメダメ、期待しちゃ駄目だ。そう自分に言い聞かせるものの、じゃ何のためにここに来たのか。雅さんがロードバイクに乗るとは思えない。

 雅さんは店内にサクサクと入ると、ついさっき廃車になったばかりの物と同じ型番が記されたプレートの前に立ってしげしげと眺めている。俺はと言えば失ってしまった定価十一万二千円のロードバイクがただただ眩しくて涙さえ溢れてくる有様だ。

「歩夢くんが乗っていたのはこの型ね」

「あ、はい」

 物欲しげな声に自分自信で呆れた。いくらなんでも期待するのは強欲すぎる。だって雅さんはさっきフォクシーのブラウス三着、合計で二十四万近くをデビットカードで購入しているのだから。

「じゃあ、これを頂くわ」

「へ?」

 俺の胸の鼓動が高鳴る。いや、それどころか彼女が指さしている展示品を見て声を失った。雅さんが指さしている展示品は、お釈迦になった物より値段が二ランク上のものだからだ。

「二十六万ですよ、さすがに頂けないです」

 ブリジストンのロードバイクRL6Dモデル。今のバイトを講義の後に毎日三時間欠かさず続け、その報酬を全額投資すれば三ヵ月で購入できるが実際は非現実的だ。

文系は実験や実習がないから講義が長引くことはないが、だからと言って毎日バイトに出られるほど暇でも体力があるわけでもない。だから壊れてしまったモデルを買うにも一年掛かったのだ。

 冷静に考えて弁償するならやはり同額のものが一般的だ。もしかして雅さんは単なる弁償とは考えていないのではないのか? なんだか嫌な予感がした。

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