第四章【五】
楽しい食事はあっと言う間終わり二葉さんとの会話もそれだけだった。弁護士だけあって守秘義務を守っただけなのだろうし、俺が二葉さんの立場だったとしても友人のことをペラペラと話すようなことはしないだろう。だから帰宅後は無理矢理に思考を別府夫妻と堂城絵里、そしてタクトフル電子に切り替えた。
学生のバイトとしては破格の報酬を得ている以上、今は責任を持ってその仕事へ挑むべきだろう。
それにしても、別府智也の愛人である堂城絵里がタクトフル電子の社員だったとは想像すらしなかった。しかも横領もしているだなんて。この一連の事件は今後どうなっていくのか自分でも分からなくなる。
当初は愛人を法廷に引きずり出すだけだったのが、事態がどんどん大きくなってきていて底が知れない怖さがある。俺はブルっと震えた。
今ある情報だけを見ると堂城絵里が底知れない悪女に思えるが、実際にはそうでない可能性があることはほんの二週間程度しか調査をしていない俺にも分かる。無論、堂城絵里が無実だとは限らない。俺はただ淡々と調査をして答えを出していくだけだ。答えありきで動けばそれこそが冤罪に繋がるのだから。
その週末は掃除に洗濯、買い出しにと俺は家事に集中した。幸いにも藤田家の晩餐後に食事を色々と持たせてくれたので冷蔵庫と冷凍庫は満タンで、俺はそれを食べながら楽しかった余韻に浸った。
週が明けると俺の生活は正常運転となり、講義とバイトに精を出す生活が戻って来た。講義後は一旦錦の事務所に顔を出し土日に何か進捗がなかったかを確認するが何もなし。土日だったし監察医務院は公務員だから期待はしていなかったけど。
俺は今後の調査の流れを雅さんと確認すると事務所を出てロードバイクに跨がった。とりあえず向かうのは堂城絵里の自宅だ。
全く馬鹿にしていると俺は憤懣やるせないのだが、タクトフル電子から横領犯として告発された彼女の自宅は桜山ではなかった。つまり別府千秋が愛人宅として知らせてきたのはデタラメの住所だったのだ。
千秋への信頼は完全に失墜したが、それでも雅さんは別府夫妻の調査もタクトフル電子からの依頼もやめないと言う。前言を翻せない頑なな性格なのか、何か別のことを考えているのかは判断しかねるが、雇用主がそう言うなら怒りMAXでも俺は俺の仕事をしなければならない。
出発前に堂城絵里の自宅の住所を今一度確認すると、俺は覚王山へと向かって疾走した。
「やっぱ大企業勤めなのか良い所に住んでるな」
と思わず呟いたのは、覚王山が東山線沿線かつ通りを一本入ると閑静な住宅街だからだ。日泰寺は言うまでもなく、お洒落な飲食店やショッピングセンター、病院も多く、東山線沿線だから栄や名駅といった都市部に乗り換え無しで行けるのも強みで、住むにも遊ぶにも人気のエリアだ。便利が良いので地の利がない転勤族が好んで住むとも言われている。
堂城絵里の自宅はマンションのようだが場所は日泰寺のほぼ目の前で、昼間は参詣客や参道にあるカフェに来る客で賑わう場所だが夜は静かな場所だ。こんな一等地にマンションを構えるなんて、給料が良いのか横領した三〇〇万を頭金に充てたのかどちらだろう?
マンションに到着すると高層ではなく五階建てのマンションで、案の定オートロックだった。とりあえず周囲を観察する。スマホでマンション情報を調べたところ築二十五年。周囲の景観に溶け込む外観がどこかノスタルジックに感じるし、築年数は経っているが住み心地は良さそうだなと感じた。
マンションを見た限り、堂城絵里が派手好きで金使いが荒い感じはしない。寧ろ地味、いや堅実で穏やかな生活を好んでいるような気さえする。いやいや、こういう先入観が駄目なんだよな。
俺はとりあえず絵里の部屋番号のインターホンを押したが応答はない。そういえばタクトフル電子は横領を告発しながらも解雇はせず、働きながら三百万を返して欲しいって言ってたんだっけ。となると、今頃は会社にいる可能性があるが、立場的に針の筵だろうによく辞めずに出社する気になるなと半ば感心してしまう。
先日の別府夫妻のマンションのように出てくるか入っていく人物が現れることを祈って暫くそこにいたが、誰かくる気配は一向にない。俺は仕方なく聞き込みをするために参道沿いにある飲食店や雑貨店に入った。
今日は雅さんに言われたようにスーツを着てきたが、何せ年齢は隠せるものではないから弁護士事務所の名刺を出しても絶対に警戒されると思い、実際何件かには警戒され突っ慳貪な対応しかしてもらえなくて落ち込んだ。
だが落ち込んでばかりもいられない。俺は頭を切り替えると参道沿いの古くからあるインド料理の店に入った。半分はやけくそ、半分は腹拵えのためだ。この店には俺自身が何度か来たことがある。それなりに人気店なので客の顔なんて一々覚えてくれてはいないだろうけど、この参道に居を構える人物のことなら覚えているかもしれないと思ったのと、とにかく空腹に耐えかねていたから聞き込みは後回しにしてランチセットをオーダーした。
先に出て来たサラダとタンドリーチキンを恐ろしい勢いで平らげ、グウグウと鳴る腹を宥めながらバターチキンカレーと焼き立てのナンが出てくるのを待っていると、水を入れ替えに来た古参の店員が俺に話しかけてきた。
「お久しぶりですね、お忙しいのですか?」
やった、チャンスの到来だ。
「講義が忙しくて」
「ああ、大学生さんでしたか」
どこで堂城絵里の写真を出そうかと悩んだけど、俺以外にも客はいるしランチタイムに引き留めるのは気が引けて、俺はひとまず空腹を満たすことに専念して会計時に写真を取り出した。
「この女性が来たことはありませんか?」
店員は訝しむ様子もなく俺のそんな質問にアッサリ答えてくれた。
「ああ、よく来られますよ。そういえばいつもは一人でいらっしゃるのに、つい先日は歳上の女性と御一緒だったから驚いたんですよね。傍を通りかかった時に敬語を使っていたから、あれは会社の上司だったのかな」
俺は歳上の女と敬語、会社の上司かもって言葉に思いっきり反応し、咄嗟に別府千秋の写真を店員に見せるとビンゴだった。
「そうそう、この女性です。何か込み入った話をしているようでしたけど、親しげでしたよ」
あまりに深刻そうに話していて近付くのも憚られたから会話の内容までは聞き取れなかったと店員は言ったけど、絵里と千秋が会っていたことと二人の雰囲気が親しげだったと分かっただけで大収穫だ。
「ご馳走様でした、また来ます」
俺は満ちた腹と心を持て余しながらロードバイクに跨がると一目散に錦へと向かう。今年の梅雨は雨が少ないが、名古屋ならではの蒸し暑さが身体に纏わり付いて息が苦しい。後から思えば事務所に電話した方が早かったのだが、その時はとにかく早く雅さんにこのことを報告したかったのだ。
事務所の扉をやや乱暴に開けながら飛び込むと、雅さんは丁度優雅にティーカップを持ち上げようとしたところで、俺の剣幕にビクリと指が震えた拍子に高級そうな白磁のカップの中の紅茶が波打つのが見えた。
「ちょっと歩夢くん、脅かさないで。TWGの紅茶なのよ」
「すみません、でも凄いことが分かって」
「聞かせてもらうわ」
雅さんは優雅にカップをソーサーの上に戻して机の上に置いてから腕組みをした。
「別府千秋と堂城絵里は知己でした。妻と愛人という関係ではなく、そこそこ親しい模様です」
俺は息せき切って覚王山のインド料理屋で拾った情報を話した。
「結局、二人はどういう関係なのかしらね。夫を寝取られた妻と寝取った愛人が親しげに、しかも人に聞かれたくない話しをするなんて」
少なくとも、慰謝料云々の話ではないことは確かだろう。女同士の話し合いで解決するなら弁護士に離婚訴訟の依頼をする意味がない。
「それに離婚訴訟に横領と、堂城絵里ばかりが槍玉に上がるのも不自然です」
これはあのインド料理屋の店員から更に聞き及んだことだが、店に現れる絵里はむしろ地味な女性で化粧は控えめで身ぎれいにしているが服も素朴なものばかりらしい。
「その辺は女性に限らず人は見かけによらないから何とも言えないと思うけど」
「ええ、でも離婚訴訟と横領を同時に告発されるなんて、ちょっと都合が良すぎやしませんか?」
「確かにそれはおかしいと思うわ。そうそう、別府智也の所属先は経理部だったそうよ。つまり堂城絵里は智也の部下ってことね」
そんな情報をどこから仕入れたんだろう? 俺以外にも調査員を雇っているのか、はたまた優秀な情報屋でも抱えているのか。
「じゃあ、千秋は夫から絵里が横領犯であることを聞いていた可能性がありますね」
「絵里が本当に横領したのならね。どうもこの件は気に入らないわ。横領犯としてタクトフル電子が絵里を告発するのが分かっていたとしたら、何故愛人宅として教えた絵里の住所が嘘八百だったのかしら。結局こうして絵里の身元も住所も虚偽だとバレてしまったじゃない」
雅さんと俺は同時に同じことを考えていたに違いない。すなわち絵里は本当に愛人なのか? 更に突っ込むなら横領そのものが実際にあったことなのか? だ。
「堂城絵里がどういう立ち位置なのかはこの際置いておくとして、でもこの件からは騒動を大きくしてズルズルと引き延ばそうとする意図が感じられるし、そもそもこのままでは公判に持ち込めないわ」
もしやそれが目的なのだろうか? そうなると千秋の勤務先が気になる。二人が知己なら智也を挟んでの関係だろうから、千秋は必然的にタクトフル電子か響商商事の関係者と見なせる。
「俺、別府千秋の尾行をします」
手強い上に一筋縄ではいかない相手だと思うが、二つの事件に千秋が関わっているなら、二つの事象を纏めるのに複雑を極めているに違いない。つまり千秋は神経戦の真っ最中なのだ。辛抱強く千秋に纏わり付けばボロを出すかもしれない。




