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調査員A  作者: 香紫日月
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第四章【一】

 四音も藤田も俺の推論を聞いて呆気に取られたような顔をしていた。

「じゃあ、やっくんは弾避けとして雇われたってこと?」

 四音が納得がいかないとばかりにポツリと呟く。

「あ、いや、そうではなく……」

「そうでしょ? 体の良い弾避けじゃない」

 四音が本気で怒っているのを見るのは始めてだ。その姿は般若のように怖いけど、俺を思って怒っているのが可愛いと思ってしまうから惚れた弱みってのは厄介である。

「だから俺を信用できるに値する人間だと思ってくれたわけだから」

 オドオドとそう弁明しても四音は納得しない。藤田に助けを求めようにも奴も微妙な表情をしているからアテにならない。俺が信用されたってのは、それさえも体の良い褒め言葉であり誘い文句なのだろうか? やっぱり俺は都合良く現れたお人好し人間で、雅さんの目論見通りホイホイと走り回ってくれる便利な存在なのだろうか?

「やっぱり俺は騙されているのかな」

 自信がなくなってつい弱音が口から零れ落ちた。

「そんな風に思ってないよ! ただ、人の良いやっくんを利用する鷺ノ杜ってオバサンが気に入らないだけ」

 お人好しなのは否定しないんだな。それに雅さんをオバサンって。

「だって二十八歳でしょ? 私達からしたらオバサンだよ」

 プイっとそっぽを向いた四音の頬が微かに赤い。もしかして四音は雅さんに嫉妬しているのだろうか? 違う、これは俺の勝手な妄想だ。四音が嫉妬だなんてあり得ない。藤田家の女達はいつも自信満々で、でもそれが嫌味に見えない爽やかさがあるから嫉妬なんて一番似合わない言葉だ。

「四音は俺が調査員のバイトを辞めた方が安心?」

「危ないことをして欲しくないだけだよ。それに、やっくんが好きなことを止める権利は私にはない」

 調査の仕事が好きか嫌いか、性に合うか合わないかなんて考えたことがなかったから、四音の言葉は目から覚める思いだった。デリバリーのバイトは場所に縛られず好きな時間に好きなだけ働けるからってだけで選んだ仕事だ。

 無論、その時はロードバイクを買うって目標があったから雨の日でも酷暑の日でも気合いで頑張れたし、念願のロードバイクを手に入れた後は走るのが楽しくてバイトが好きというよりかはロードバイクに乗っていられることを楽しんでいたような気がする。そうボンヤリと考え込んでいる俺に四音はトドメの一言を放ってきた。

「そもそもやっくんが法学部を選んだのは将来うちのお姉みたく法曹界を目指すため? それとも国立大学なら学部はどこでも良かったの?」

 日本人のファジーな部分を忘れたかのような四音の歯に衣を着せない言葉を受けて、俺はさぞ情けない顔をしているだろうと思った。ただ四音の言うことはもっともで自分でも考えていたことだし、法曹界へ進む云々は雅さんにも言われたばかりだ。

 入学して分かったことだけど法学部には将来の進路希望が二種あるってことだ。ひとつは文字通り法曹界へ進むこと。もうひとつは公務員になること。法学を学ぶと公務員試験を受ける際に知識的に有利だからと言葉を憚らない同期さえ存在するし、実際に公務員試験の過去問を紐解くと確かに法学部卒には有利な問題が多いのも確かなのである。

 法曹界は無理でも国家公認試験に合格すれば一種なら総合職、つまりはキャリア官僚として出世コースに乗ることを意味するし、二種だったとしても出世コースには乗れないとはいえ高望みさえしなければ生活基盤は盤石だ。

 俺が法学部を選んだのは恥ずかしながら消去法だ。理数系より文系の方が得意だっから。じゃあ経済学部でも良かったのではと言われそうだが、経済を学んでどうしたいのかがサッパリ想像できなかったし、それなら法律の知識を身に付けた方が良いだろうと思ったにすぎない。

 同じ大学を受けて不合格だった人々が聞いたら殴られそうだけど、公務員とまでいかなくてもそこそこ大手の企業の法務部へ配属されれば良いななんて甘っちょろいと思われそうなことさえ考えていたから四音の言葉は耳が痛い。

「ごめん四音。俺、進路とか全然考えてなくて」

 五郎は科捜研、四音は音楽家志望で音大入学後すぐに渡欧している。目的を持って動く二人に比べて俺はなんて情けないんだろう。二十歳になってさえまだ自分の進路を決められずにいる。

 俺にはやりたいことを探す気はない。やりたいことを仕事にできる人間なんてほんの一握りだと分かっているから。だからやりたいこと探しって言葉は嫌いだ。けれど、大学生にもなって進路に悩まずバイトに明け暮れているだけなんて、やりたいことが見付からないと嘆く人間より愚かしく思えてきて泣きたくなる。

「ごめん、やっくんを傷付けるつもりで言ったんじゃないよ」

 四音が俺の背中を撫でる。何だろうこの図は。大学校内で女の子に慰められる二十歳の男だなんて周囲の目が怖い。まあ自分が思うほど周囲は俺達に関心はないのだろうけど。

「でも、組長も四音もちゃんと将来の夢があるのに」

「そんなのたまたまだろ」

「そうだよ、私も五郎もたまたま好きでやりたいことがあっただけで、大部分の大学生はやりたいことって言われてもピンとこないって」

 そう言われても落ち込んだ心は中々浮上しない。俺は自分が自分を全否定しそうで怖くなった。

「俺も理学部に入ったからって科捜研に就職できるとは限らねーし」

「私だって留学したからって音楽家になれるとは限らないよ」

 二人で交互に慰めてくれるが、それが逆に堪える。その好きでやりたいものがないのが俺なのだ。二年の夏に全く進路を決めていないって拙いんじゃないのか? 少なくとも大学二年時に取れる資格は取っておいた方が良いのではと考え始める。

「やっくんさぁ、自転車に乗るのが好きなら自転車を持って私とオーストリアへ行こうよ。で、自転車で欧州を回ってみたら良いんじゃない?」

 若いうちに世界を見ておくのも悪くないと思うしと四音が言い出すと、五郎が慌てて止めに入った。

「何言ってんだ四音、こいつは男だぞ。男をお前の所へ行かせるなんて絶対に駄目だ!」

「何でよ、私の将来のお婿さん候補なのよ」

「まだ学生のくせに、そんなませたことを言ってんじゃねーよ」

 姉弟喧嘩が始まり周囲の視線が一斉に俺達に向けられるのが分かって身の置き所がなくなったが、藤田と四音はお構いなしに言い合っている。それにしても藤田の姿は姉馬鹿ここに極まれりだ。

「頼むから姉弟喧嘩は家に帰ってからやってくれよ。四音、気を遣わせて悪い」

 そんなこと…… そう言って四音は恥ずかしそうに俯いた。お婿さん候補って言い切ったのが恥ずかしいのだろうが、俺の方は四音のその言葉についニヤニヤしてしまい藤田に軽いデコピンをお見舞いされた。

 その後は俺の気分を上げるために四音は欧州のことに話題をシフトした。遠く離れた異国での生活は言語の問題で最初こそ孤独や不安を感じたものの、最近は日常会話ができるようになって楽しんでいること、音楽の都と言われるウィーンだけあって学生向けのコンサートチケットが安いこと、ただ座席の場所は日本でいうところの一番安い席でオペラだと舞台の全容が分からないこと、食事は期待外れでこのバカンスが終わったら醤油を持っていこうと思っていると話して俺達を笑わせた。

「日本みたいにイベントは何でも首都ってことはなくて、夏はウィーンから離れたザルツブルグで音楽祭もあるし暮らしやすいよ」

「ウィーンっていったらマリーアントワネットの生まれ育った街だろ。スイーツなんて絶品じゃねえの?」

 五郎の問いに四音は確かにスイーツの見かけは洗練されていて美味しそうだけど、砂糖の味しかしないと顔を顰めて再度俺達を笑わせた。

「でも凄いな。二年もしないで言葉に困らないなんて」

 言いながら俺は四音の苦労と頑張りを慮った。笑顔で楽しげに話しているけど、渡欧後すぐは本当に寂しかったに違いない。藤田家は家族姉弟全て揃えば四音を含めて七人家族だ。親兄弟の仕事が仕事だから日々誰かが欠けていて一家全員が揃っての団欒は少ないだろうが、賑やかで暖かな家庭であることは俺も知っている。

 その家庭から離れて遠い異国の地で一人暮らしをするなんて度胸があるし、夢を叶えようとする意思が強くて尻込みをしている場合じゃないと思い切ったのだろうが、それにも増して留学できたことは即ち推薦してくれた教師も、身柄を引き受けた向こうの学院も彼女の才能を認めたと受けとって良いのだろう。いつか世界の檜舞台でコンサートをするのかと思うと俺までドキドキしてくる。

「オーストリアって何語だっけ?」

「ドイツ語よ」

「ドイツ語かぁ」

 そこで俺の胸に何かが引っかかった。ドイツ語、ドイツ。

「あ!!」

「どうしたの?」

「警察が雅さんはドイツで司法を修めたって言ってたんだけど、もしかすると暗殺者は日本人じゃないかもとも言われたんだ。ドイツで弁護士として働いていたのかどうかは分からないんだけど、もしあっちで恨みを買っていたとしたら何だと思う?」

 四音は少し考えるとあり得ないという顔をした。

「ドイツでは死刑は廃止されていて、最高刑は無期懲役よ」

 ただし日本のように改悛の情なんてものはないから本当に本当の終身刑だと言う。

「恨みは買わないかな」

「日本人も同じ感覚だと思うけど思っていたより重い刑だったら誰でも怒るだろうし、でも弁護士が迂闊に刑を軽くしますって約束するとは思えないけどな」

 四音のその意見を藤田も強く肯定した。軽いと思っていたものが重くなる。逆もまた然り。やはり弁護士であることは関係なく、雅さんの個人的な事情が引き起こした襲撃なんだろうか。いかん、また思考が逆戻りだ。今は四音に心配をかけたくないのに。と思っていたら四音が突如言い放った。

「私、鷺ノ杜弁護士に会ってみたいんだけど」

俺は金魚のように口をパクパクさせるのが精一杯で、そんな俺を慰めるかのように藤田が俺の肩をポンと叩いた。

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