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調査員A  作者: 香紫日月
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第三章【二】

 結局カフェの件は有耶無耶になった。何のために行ったのか、誰と会ったのか、待ちぼうけを食らわされたのか、それとも一人だったのか、雅さんに答える気はなさそうで、手拍子を区切りにそこからは本来の依頼の情報の精査に切り替わる。

「別府智也の勤務先はタクトフル電子で間違いないのね?」

「近所の主婦はそう言っていました。俺では裏取りができませんが」

「それは私の方でも確認するわ」

 妻の千秋に聞いたとしても認めるか否かは不明だから、弁護士バッチを付けてタクトフル電子に赴くのかもしれない。でも、本当に夫の勤務先を言わなかったのだろうか? いくら若くても雅さんは歴とした弁護士だ。千秋が雅さんを侮っていたとしても雅さんの方はそうではない。

 俺は土谷刑事の言葉を思い出していた。ドイツで法律を修め、あちらで弁護士資格を取った。警察が調べたことだから間違いないだろう。何故、雅さんは強引に勤務先を聞かなかったんだろう? その疑問がつい口から出てしまう。

「全てを聞き出さなかった私に非があるような言い方ね」

「だって雅さんに問い詰められたら大抵の人間は言わなくても良いことまで吐露しそうで」

 つい本音を言ってしまいシマッタと思った時には雅さんは鬼の形相になったが、ふとしんみりとした表情を見せた。

「三度聞いたわ。でも、それだけは言えないって。本来は秘密を抱えた人間からの依頼は受けないのだけど、私が突っぱねたら何をしでかすか分からない危うさがあったの」

その声は気の強い雅さんとは思えない優しい声だったから俺はコロリと信じて、白壁から送ったメールと重複するのにもお構いなしに今日調べたことを報告した。

 近日中に雅さんが確認するだろうが、俺の心証的には主婦が嘘や噂の類いを信じている風ではなかったので間違いなくタクトフル電子だと思うと答えると、雅さんは複雑な表情をした。

「別府智也の勤務先がタクトフル電子だと何か都合が悪いんですか?」

 雅さんは俺の言葉には答えなかったけど、デスクの引き出しからホッチキスで綴じた書類を出して俺に差し出した。どうやら新規の依頼らしい。その書類を見て俺は心底驚いた。

 内容は民事訴訟の依頼で横領の返還要求だったが、その原告がタクトフル電子だったのだ。しかもその横領額は三〇〇万と少額。いや、個人的には決して少額ではないが民事訴訟を起こすほどの額かと考えると微妙だ。もっと小規模な企業なら三〇〇万は大金だし、相手に返済する気がないのなら横領を警察に告発した上で刑事民事双方で争うのがセオリーだろう。

 だがタクトフル電子ほどの大手がマスコミに痛くもない腹を探られるリスクを考えるとやはり違和感がある。世間に悪印象を抱かせないために不祥事が起きても社内で片付けて事なきを得る企業が多いのに、何故訴訟に踏み切ったのか。しかも企業は大小関係なく大抵は顧問弁護士を抱えており、タクトフル電子とて例外ではない。

 何故、顧問でもない雅さんへ依頼したのだろう? 更に驚いたことに原告は被告を解雇せず、働きながら三〇〇万円を返すようにともある。つまり警察に横領の告発をしていないのだ。この条件でわざわざ訴訟を起こす理由が分からない。いっそ示談にすべく弁護士に相談したいと言われた方がしっくりくるが、その場合も顧問弁護士に相談するのが常だ。

「この件、何か匂いませんか?」

 別府智也の勤務先だというのも偶然とは思えない。しかも彼は現時点では愛人宅で不審死したという見解だ。その直後、厳密には遺体発見の翌日に訴訟の依頼だなんて尋常じゃない。この依頼を受けたらアルデア法律事務所に、いや鷺ノ杜雅に不利益がもたらされはしないか? 

「一体何が起きているんでしょう?」

 雅さんも考え込んでいるが俺はもうひとつの危惧を口にした。

「それに離婚訴訟の次は横領なんて、民事に強い弁護士がいるんですか? まだお会いしてませんが」

 雅さんが刑事と民事のどちらを得意としているのか俺は知らない。でも離婚訴訟と横領事は同じ民事でもまるで違う案件だ。だから俺は別の雇い人に民事を専門とする弁護士がいると思ったんだけど。

「ああ、その点は大丈夫。私は民事も刑事もできるから」

 俺の言葉は霧散した。ただ自信満々に言う雅さんのその姿は、一昨日出会ったばかりの高飛車な姿と同じで何だか安心する。俺ってば、雅さんに相当毒されているな。

「すげえ、両刀使いですか。つか他の人は忙しいんですね。全然事務所にいやしない」

 別に紹介してもらえないのが不満なんじゃない。ただ単純に疑問に思ったからそれを口にしただけなんだけど、雅さんは突如クスクスと笑いだした。

「俺、何か変なことを言いました?」

「歩夢くん、本気で忙しいから他の弁護士やパラリーガルに会えないと思っていたの?」

「違うんですか?」

 あまりに笑われるから俺は思わずムスっと答える。雅さんは俺のその様子を見てさすがに少し悪いと思ったのだろう。でも彼女が口にしたのは想像外のことだった。

「雇い人はいないわ。歩夢くんが第一号」

 嘘だろ!? ドイツで弁護士として働いていたなら現時点で六年は法曹界で活動していることになるが、もし日本でしか弁護士活動をしていないのなら三年だ。でもその三年で錦のど真ん中の新築ビルに事務所を構えられるほどの人が誰も雇っていないだなんて俄には信じられない。

「冗談言わないで下さいよ」

「こんなことで嘘を吐いても意味ないでしょ」

 確かに雇われ人がいればいつかバッタリ顔を合わせるに違いないから嘘を吐く意味はない。この事務所は本当に雅さんと俺だけで回っているんだ。どう受けとれば良いんだろう。助けた時に見込まれたと思えば気分も良いが、俺のお人好し具合が雅さんには丁度良かったと考えると複雑だ。

「追々人は雇うつもりだけど、今回の一件が片付いてからじゃないと面接する時間も取れないわ」

 それはないと思った。雅さんならやろうと思えば今すぐにでも求人を出し応募してきた弁護士と面接をして数日考えて採用決定を下すだろう。時間がないで済ましているが、それは逆に心の余裕がないと受け取れる。やはり何かが雅さんの心の中に重くのしかかっているのだ。それが襲撃事件なのか、離婚訴訟なのか、はたまた全く別のことなのかは分からないが。

「そういう訳だから、歩夢くんには頑張ってもらわないとね」

 そりゃ頑張るしかないだろう。何せあのお高いロードバイクがもはや俺の身体の一部かと思うように馴染んでしまっているのだから。

「ところで、別府氏の調査中に響商事の名前は出なかった?」

 響商事といえば旧財閥クラスの老舗大企業で、さすがに俺だって知っている。総合商社だからテレビCMでは響商事傘下の企業の宣伝しか流れないが、相当数のグループ企業を抱く巨大コングロマリットだ。そんな企業の名前が出ればすぐに食い付いていただろうし忘れもしない。

「響商事の名前は全く出ませんでした」

「そう」

「響商事に何か関係があるんですか?」

「タクトフル電子は響商事の傘下なのよ」

「え?」

 タクトフル電子だけでも十分すぎるほどに大企業だから、どこかの傘下だなんて考えもしなかった。これは俺のミスだ。

「すみません、そこはしっかり調べるべきでした」

 素直に頭を垂れながら謝るが、雅さんは気にしていないようだった。しかし、あの主婦だって響商事は知っているだろうに何故タクトフル電子だけ口にしたのだろう?

「歩夢くんの確認不足じゃ無いのよ。傍目にはあの二社が繋がっているとは考えられないようになっているの」

 響商事が大きすぎるのも難点だが、響商事とは何ら関係ない独立した企業を恐ろしいほどの勢いで傘下に収めているからマスコミはそのスピードに追い付けないらしい。無論、響商事の傘下に加わる方にとってはあまり騒ぎ立てられたくないことだから、敢えて外に漏れないよう水面下で静かに話し合いが進められ、突然のM&Aとなっているのだろう。と言うのが雅さんの見解だ。

「グループ傘下、即ち吸収合併って言葉はマイナスに受け取られら兼ねないから株価にも影響するでしょうし」

 だが響商事に関しては傘下に入った方がメリットになるようだ。と言うのも、傘下に入ったから響商事の社風に合わせろなどと言われることがないらしい。つまり響商事の名を借りつつも、従来の経営陣で従来の業務ができる。確かにデメリットはあまり感じられない。

 実際に雅さんが手にする何枚かの名刺の中に響商事傘下の企業の人間のものがあるらしいが、その名刺には響商事の名は記載されていないという。

「だから意外な企業が傘下だったりするのよね」

 俺が話しを聞いた主婦がタクトフル電子が響商事傘下だと知らなかったことも不審なことではないのだ。

「でも、普通は響商事を前面に出すのが人間の業ってもんじゃないですか?」

 自社が実は国内最大手の傘下であることを自慢にする輩も多いのではないか? 別府智也がそうではなかっただけで。そこで俺は主婦との会話を思い出してアッとなった。

「そういえば、智也と千秋は社内恋愛だそうです。しかも入社時はタクトフル電子じゃなかったって」

 結婚後、智也がタクトフル電子に異動になったと。ただ時期は不明だ。

「同じ部署の人間が結婚すると、どちらかが他部署に異動になるっていうのは一般的ね。」

 職場に家庭を持ち込むことは即ち究極の公私混同になるからだと聞いて俺は社会人も大変だなと思った。だって同じ社屋内での異動ではなく県外や海外への異動の可能性もある訳で、そうなれば折角結婚したのに別居を強いられることになる。場合によっては新婚早々にだ。そう思うと痛々しい。

「別府夫妻の場合、智也が異動になったのなら千秋はどの企業に在籍しているんでしょう。もしや響商事?」

俺のこの言葉で妻の千秋についても調べる必要性が出てきたが、それより優先度が高いのは訴訟案件の方だからと俺は逸る心を雅さんにたしなめられた。

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