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調査員A  作者: 香紫日月
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第二章【五】

 どうして県警本部がこの件に興味を抱いたんだろう? 俺がその疑問を口にすると制服警官は帽子を取って汗を拭きながらボソリと言った。

「そりゃ、鷺ノ杜雅が関わっているから」

 そう口にして警官はシマッタという表情をした。

「済まない、今のは聞かなかったことにしてくれないか?」

 警官の目は必死だ。その情報がそんなに必死になるほどに重要なものなのかと俺の方が面食らったが、ここは了承することにする。

「恩に着るよ。今、クビになる訳にはいかないからな」

 聞けば、最近子供が生まれたばかりだと言う。そして将来は刑事になりたいとも彼は語った。俺よりは歳上だが社会人としては年若い青年のその夢を無に帰すことはできないと思ったから、俺はそれ以上は何も聞かず一礼してその場を離れた。

 だがどうして県警本部がこの件、いや正確には雅さんに興味を持つのか皆目見当が付かない。

「県警って言うと土谷警部かな?」

 格闘家を思わせる大柄な身体と目付の鋭さが相手を萎縮させるが、意外と物腰が柔らかい刑事の顔が脳裏に浮かぶ。どうして雅さんに興味を持つのか聞きに行っても素直に教えてくれないだろう。それは俺が雅さんを助けただけでなく、調査員としてアルデア法律事務所でバイトを始めたことでより濃厚な事件関係者になったからだ。なんだったら昨日の遺体発見を受けて、またぞろ俺が二件の事件の容疑者になっているかもしれない。

 だがそう考えると敢えて土谷刑事に会いに行こうかと思えてくるから不思議だ。このまま知らぬ顔をしていても近いうちに彼らの方が俺を訪ねてくるのは必定だろう。なら先に会いに行った方がお互いにとって効率的だろう。善は急げ。俺は今度は桜山から三の丸の県警本部へと向かった。

 結局、三日連続で警察署へ来ることになってしまった。しかも県警本部へは忘れ物を取りに戻っているから、三度目の訪問だ。これまで警察にお世話になることはなく、善良な一市民だったのが運命の皮肉か反転しまった。いや、俺はまだ犯罪に手を染めた訳ではなく、逆に少しばかり強い正義感が空回りした結果、犯罪に巻き込まれてしまっただけだ。そう言い聞かせながら駐禁を取られないよう、きちんと駐輪場にロードバイクを置いて施錠する。

 三の丸は省庁が集まる場所で、十七時を回るこの時間は仕事を終えて帰路に就く人が散見されたが、県警本部から出てくる人はいない。テレビや新聞では大きな事件の報道はなされていないが、何かしら県警が出張る事件が起きているのだろう。警察と病院は暇な方が良いなと思いながら、一昨日はビビって雅さんの後ろに隠れるようにして歩いた県警本部の中に入る。さすがに玄関ですぐに職員に止められるだろうと思った俺の予想は外れ、制服私服双方が誰も俺を気にかけないのは、それだけ県警へ出入りする人が多いってことだろうか?

 十七時を回っているので受付にも人がいない。所詮県警本部もお役所なのかと思いつつも、ラッキーな状況であることには違いないから俺は目指す場所へ向かって廊下を堂々と進んだが、目的地の捜査一課のドアの前では何度か深呼吸をしてドキドキと緊張する心臓を暫し宥める羽目に陥った。

 一課のドアは開け放してあったから、俺はいきなり入らず扉の裏側から覗くところから始めた。中は人が少なく、かといって大事件を抱えて殺気立っているという感じでもなく、県警本部という自覚がなければ普通の会社のようだ。事務机の上は案外片付いていて書類などは見当たらない。俺みたいな来訪者が来るから目に入らないよう厳重に管理しているのかもしれないけど、その割に湯飲みやマグカップが置きっぱなしになっているから整理整頓の概念から少々ズレている感じがして逆に面白い。

 そうやって暫く観察していると後ろから肩をポンっと叩かれ、俺は飛び上がって驚いた。

「うわぁ、すみません!」

 振り向きざま反射的に頭を下げるが、頭の上から降ってくるのはクスクスと笑う女性の声だ。恐る恐る顔を上げると一昨日お茶を淹れて運んでくれた警察職員の女性だった。

「夜久くんだったわね、今日は何か用?」

 彼女は警察官ではなく警察職員だから捜査には出ない。だけど、捜査一課の情報は全て掌握している希有な存在だ。俺はこれを気に仲良くなるのも悪くないなとチラリと思ったけど、百戦錬磨の刑事相手に書類や精算の不備を見付けてはビシバシと差し戻す存在でもあるから、もしかしなくても刑事より手強い存在かもしれない。軽い考えでは追い払われるだろう。

「いえ、雅さんを襲った犯人について何か分かったかなと思って」

「そういう話しは私からは言えないだよね」

「ですよね」

 案の定、玉砕だ。だけど、彼女は俺が汗だくでロードバイクを漕いで来たことを察して麦茶でも飲んでいかないかと言ってくれ、実際に喉がカラカラだった俺はその好意に甘えた。幾分くたびれたソファに座って待っていると、グラス一杯だけでは足りないだろうとの配慮なのかピッチャーに入った麦茶が運ばれてくる。

「なんだか気を遣わせてすみません」

 俺が頭を下げると、彼女は帰る前に麦茶を処分したかったからだと言ってくれ、俺は遠慮なく冷えた麦茶を二杯立て続けに飲んだ。身体中に麦茶が染み渡り身体がもっともっとと要求する。その要望に応えるように三杯目の麦茶を勢いよく仰った所でドア付近から複数人の声を認め、俺の身体に緊張が走った。あの声は土谷刑事か?

 そう警戒するのと同時に当の本人がハンカチで頭や顔を拭きながら入ってくる。女性職員がおかえりなさいと声を掛けると、土谷刑事の目が俺の姿を捉えた。

「確か夜久歩夢くんだったね」

「はい、留守中に勝手に入ってすみません」

「いや、構わんよ」

 その言葉を聞き、なんだかこの場に誘い込まれたような気になる。

「お、美味そうな麦茶だな」

「警部も飲みますか? 私、そろそろ上がるんで飲みきって頂けると片付けて帰れるんですが」

「じゃあグラスだけ持ってきてくれ。君はもう上がっていいぞ。片付けは若手にやらせるから」

 土谷刑事がそう言うと、女性職員は笑顔でお願いしますと言い置いて出て行った。

「さて、何か話しがあるのかな?」

 土谷刑事が持つとグラスがやけに小さく見えるし、ほんの少し力を入れれば砕けてしまいそうだ。その光景を見て一度は押さえ込んだ緊張感が吐気のように喉元に競り上がってくるが抑えた。

「一昨日の襲撃犯は見付かりましたか?」

「現場から犯人の遺留品は何も出なかった。それに二日間じゃ何も分からないよ」

 どうやら俺以外の目撃者が見付からなかったようだ。この暑さの中、フルフェイスのヘルメットと黒づくめの服装で目立ちそうなものなのに。

「逃げながら着衣を脱いだのかもしれないな」

 土谷刑事の推測は即ちこれが相当計画的な犯行であることを物語っていた。

「雅さんを狙いそうな人は見付かりました?」

「それは君の方が詳しいだろう」

 土谷刑事のその言葉は一昨日の事情聴取後に俺と雅さんに尾行を付け、俺が雅さんの元で調査員のバイトを始めたことを知っていると仄めかしているのだろう。でも俺は雅さんのことを何も知らないし、バイト先にいるであろう人間に紹介すらされていない。

「犯人の顔を見ていないと言っていたけど、目や肌の色に違和感を覚えたりはしなかったかい?」

 それは犯人が日本人でない可能性があるってことだろうか。

「一昨日も説明しましたが、容貌も体型も全く見て取れませんでした。何せヘルメットと厚手の手袋をしていた上に公園内は薄暗かったし」

 嘘偽りは言っていない。だが俺は犯人が外国人かもしれないという情報を得てちょっとだけ進歩したような気がした。ただ何故外国人が雅さんを狙うのかが皆目分からない。

 日本の大学を出て法科大学院へ通い司法試験にストレートで合格。司法修習を経て弁護士に。このタイトな日々に海外からトラブルを持ち込む余地があるとは思えない。

「でもなあ、鷺ノ杜弁護士はドイツの大学をスキップした上に十八歳から司法修習を行い、二十歳で弁護士になっているだろう? つまり、二十三歳で帰国するまでの三年間で恨みを買っている可能性があるんじゃないか?」

 土谷刑事のその言葉に俺は返事をすることができなかった。全くの初耳だった。当たり前のように日本の大学を出て司法試験を受験したと思っていた。いや、日本で弁護士になるために日本の司法試験を受けているのは確かだが、ドイツの大学で司法を修めているなら日本の大学に通っていない可能性もあるし、通っていたとしても法科大学院のみかもしれない。となると、法曹界で活躍した期間はどれほど少なく見積もったとしても六年になる。

「おい、どうした? 顔が真っ青だぞ」

 俺はその真っ青な顔で土谷刑事の顔を見据えた。彼は俺のその様子からすぐに察したようだ。

「まさか、知らなかったのか?」

「はい」

「おいおい、勘弁してくれよ。俺は誰も知らない被害者の個人情報を話しちまったのか」

 それは俺も同じ気持ちだ。雅さんの口から直接聞くべきことを、俺が知っているものと勝手に思い込んだ刑事がウッカリ口を滑らせたことで雇用主の過去を知ることになるだなんて。

 口が滑ったでは済まされないことだが、ただなんとなくだけど俺は土谷刑事が雅さんの過去をわざと俺に話したような気がしてならなかった。

「昨日の桜山での遺体発見の事件に興味を持っている県警の刑事って土谷さんですよね?」

「おいおい、そんなことをどこで聞いたんだ?」

 この問いには本気で狼狽えているようだ。

「守秘義務があるんで言えません」

 俺の精一杯の虚勢に土谷刑事はニヤリと笑った。ゾクゾクしたものが背中を駆け上がるが怯んではいられない。

「まあ鷺ノ杜先生が絡んでいるからな」

「遺体の発見者は俺ですよ」

「でも鷺ノ杜雅の関係者だ」

 二日前に知り合ったばかりの人間を身内と捉えるなんて飛躍しすぎだ。土谷刑事の考えに俺は賛同できそうになかった。

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