皆川真莉愛①
最初、皆川真莉愛は何が起きているのか分からなかった。
最後の記憶は、学校からの帰り道で信号待ちをしているものだった。そこで誰かにぶつかられ、道に倒れこんだところまでしか覚えていないのだが。気がついたら見知らぬ教会らしい場所にいて、見たこともないような綺麗な人々に囲まれていたものだから、しばらくは理解が追いつかなかった。
あまりの特殊な状況に教会の床で立てずに呆然としていると、一際豪奢な格好をしたイケメンが手を差し伸べてくれた。
赤褐色の長髪に黄金色の瞳は、まるで小説のヒーローのようだと思った。
名を聞かれたため「真莉愛」とだけ答えれば、突如歓声と拍手が沸き起こって、皆が「マリア様」だの「聖女様」だのと騒ぎはじめた。
その瞬間、真莉愛は確信した。
自分はあの瞬間に死んで、異世界に転生したのだと。
異世界転生は小説では珍しくない設定で、真莉愛も愛読しているジャンルの一つだ。しかし、小説と同じことが現実に自分の身に起こるだなんて誰が思っただろうか。
しかも、周囲の喚声を聞くに、どうやら自分は『聖女』として認識されているらしい。
これも定番の設定だ。
異世界転生した主人公は特殊な能力を持っており、その力で国や民を救ってイケメンのヒーローに溺愛されて幸せに暮らすというのがお決まり。その中で、騎士や貴族にも愛されて、いわゆるハーレム状態になるのもお約束だったりする。
であれば、自分のヒーローは手を差し伸べてくれた彼だろう。
彼は、サウザード国の国王でルーベントと名乗った。
一見怖そうに見えるきつめの目元が印象的で、でも手と一緒に向けられた眼差しはよだれが出るほどに甘く、そのギャップが真莉愛の胸をより一層高鳴らせた。
これからおとずれる夢のような日々を期待して、真莉愛は差し出された彼の指先まで美しい手を取ったのだが……。
「……まさか既婚者だっただなんてね」
彼はリナフィアという女と結婚しており、王妃の座は既に埋まっていた。
おかげで、てっきりルーベントの相手役として一緒に王宮に住めるかと思えば、与えられたのは離宮という少し王宮から離れた場所にある一棟。
現代の建物と比べると遙かに壮麗で、それこそ中世のお姫様が住むお伽噺のような宮殿なのだが、王宮と隣接している王妃宮に比べれば随分とみすぼらしく感じてしまう。
真莉愛は、私室の窓から見える王妃宮を見て目を眇めた。
「忌々しい……あたしが本来つくはずだったポジションに、先客がいるなんて聞いてないわよ」
しかも、王妃にも聖女の力があるという話だ。
「おかげで、今のところあたしの立場は全部仮だなんて」
自分が聖女であることは間違いない。
転生した日、騒ぎの後、教会の人にけが人を治してみろと言われた。本当に聖女であれば『神力』という治癒の力が使えるらしい。
やり方など分からなかったが、こういう場合の定番――手をかざして念じてみれば、あっという間にけが人の手にあった切り傷は塞がった。
ただ、今まで同時代に聖女が二人いたことがないため、真莉愛を離宮に置いておく名分に困っているらしい。
思わず舌打ちが出てしまう。
あの女がいるせいで、妃でもなく、恋人でもなく、聖女なのに聖女とも呼ばれないもどかしい状況に陥ってしまっている。
「ああ……もしかして、彼女が噂の悪役令嬢ってやつかしら」
令嬢ではなく相手は王妃だから、悪役令嬢ではなく悪女と言ったほうが正しいか。
まあ、どちらでも変わりはないだろう。必ず主人公に立ちはだかる敵役という点は一致しているのだし。
「だとしたら、きっとこれは世界から与えられた困難なのね! そうよ。単純に愛されるだけの小説じゃつまらないじゃない! やっぱり困難を乗り越えてこそ、ヒーローとの愛も深まるってものよねぇ」
だとすると、自分のこれからの役目はルーベントとの愛を深めつつ、リナフィアという悪女から解放してやることだろう。
「同じ聖女の力を持ってるらしいけど、どう考えても異世界から来たあたしのほうが本物でしょ」
真莉愛は、好戦的な笑みを浮かべ「よし」と手を叩いた。
「そうと決まったら、色々と動く必要があるわね」
様々な人に「マリア様」と呼ばれ敬われる生活は、正直心地良い。
声一つでお茶やお菓子が用意され、必要なことはメイドがやってくれるし、勉強する必要もない。今のところ、簡単にこの世界の話を聞いたことと、食べてお茶して、愛する彼をゴロゴロしながら待つだけの優雅な生活を送っている。
癖にならないはずがなかった。
もう手放せない……いや、手放すことなどありはしない。
「だって、あたしはこの世界の主人公である『マリア様』だもの」
こうして、皆川真莉愛はマリアとなった。
◆
聖女が二人いる状況で、リナフィアを出し抜くにはやはり味方を多くつけるに限る。
リナフィアは『引きこもりの王妃』と陰では呼ばれているらしく、滅多に王妃宮から出てこないのだとか。
これはチャンスと、マリアはすれ違う使用人にも、巡回中の衛兵にも、誰かと会えば必ず自ら挨拶し、声をかけた。引きこもり王妃と差を付けるために、もちろん笑顔は忘れずに。荷物を持っている者がいれば手伝って一緒に運ぶこともしたし、国民を気にするようなことを言ったりして、心優しき健気な少女を演じた。
おかげで、使用人達の間での評判はうなぎ登りだ。
しかし、ただ自分の評価を上げるだけではまだ足りない。相手にも下りてきてもらえれば、より自分の優しさが際立つというもの。
すると、間が良いことにリナフィアが自分を呼んでいるという知らせを受けた。
「こんにちは、リナフィア様」
マリアは先日教わったカーテシーで挨拶を終えると、部屋をぐるりと見渡す。
置かれている調度品も敷かれている絨毯も窓からの景色まで全部、自分の部屋とは比べものにならないほど良い物だ。
すると、彼女のメイドの視線に気付いた。
眉間に皺を寄せ、明らかに好意的といいがたい表情をしているメイドが口を開く。
「マリア様。お相手は王妃様なのですから、御名ではなく妃殿下と――」
「いいのよ、ミレーネ」
ミレーネというメイドの言葉を、リナフィアが遮った。ミレーネは言い足りないという顔をしていたが、結局は続きを口にすることを諦めたようだ。
彼女が言いかけた言葉はおそらく、様呼びではなく妃殿下と呼べというものだろう。
(冗談じゃないわ。こんな女に尊称なんか使いたくないわよ)
本当は、自分のいるべきだった地位にふんぞり返っている女なんかに。
この世界に疎いふりして無視してしまおう。
今までも大抵のことは、分からないふりをしていれば、その素朴さが可愛いと全て大目に見てもらえたのだし。
「来てくれて嬉しいわ、マリア様」
「あたしも、リナフィア様にお目にかかれて光栄ですぅ。それで、どんな用ですかぁ?」
「今日来ていただいたのは、マリア様の好きなものが分からなかったからよ」
「好きなもの?」
すると、続きになった隣の部屋に案内される。大人しくリナフィアについて部屋に入れば、目の前に広がった光景にマリアはうっとりとした声を漏らした。
「きゃあ、なんですかこれ! 素敵なドレスばっかりぃ!」
壁一面に掛けられたドレスの数々。それだけはない。帽子や靴、日傘にショールといった小物まで所狭しと並んでいる。




