すべてを見ていた王は……
「今日の治療に着ていくドレスですが、どうですかぁ? ユビウス様」
マリアの手には、白をベースとして淡いピンクのレースが重ねられたストレートラインのドレスが掲げられている。
「少々今までと比べ派手かと思いますが……」
「いいんですよぅ。どうせただのパフォーマンスなんですから。地味なのも飽きたんですぅ」
ひらりとユビウスに背を向けると、着替えるからと、マリアはユビウスを隣室に追い出したのだった。
ユビウスは半ば苦笑して「まるでお姫様だ」と薄く息を吐いた。
「ユビウス卿、何をしている」
突然部屋の入り口から聞こえた、底冷えするような声に、ユビウスはハッとして声の主に顔を向けた。
「陛下! これは気付きませんで、申し訳ありませんでした」
慌てて腰を折るユビウスだったが、ルーベントから発せられる威圧は少しも減らない。
「声を掛けたが返事がなかったんでな」
「ただいま、マリア様は隣室でお召し替えをされておりまして」
「ユビウス卿」
たった一言。名前を呼ばれただけだったが、ユビウスにはどんな意味で発せられたかすぐに理解出来た。もう一度さらに頭を深く下げ、ユビウスはそそくさとマリアの部屋を後にしたのだった。
着替えて出てきたマリアは、部屋で待っていたのがユビウスではなく、ルーベントに代わっていたことに「わっ」と驚きの声を上げた。
「ルーベント様ぁ、いらっしゃってたんですねぇ」
しかしそれも一瞬。すぐにマリアは目尻を垂らし、ルーベントの元へと走り寄る。
「今日はこれからまた街へ施しに――」
「ユビウス卿も一緒か」
マリアは首を捻った。
「ええ、彼が色々と近くで教えてくれるので、とても助かってますよ?」
いつもと様子の違うルーベントに、マリアはたじろいだ。普段ならば顔を合わせれば、慈しむように笑いかけてくれるというのに、どうしたことか今日はまだ一度も彼は表情を崩していない。ずっと怖い顔をしたままだ。
「あの……ルーベント様? その、どうしてそんな怖いお顔をされるんですぅ?」
ルーベントの腕に絡みつき、子犬のような目を瞬かせ見上げるマリア。しかし、ルーベントの表情はやはり崩れない。
「この間の舞踏会の日。近衛兵を部屋に連れ込んでいたようだな?」
「違います!」
考えるより先に、否定の言葉が口をついて出ていた。
下手な言い訳はできない。ここは彼の王宮であり、彼の息の掛かった者が、近く紛れていてもおかしくないのだから。
「実は、廊下で足をくじいてしまって、それで近くにいた近衛兵の方が、部屋まで送ってくれるって言われたので、お言葉に甘えて……」
嘘は言っていない。
恐らく、近衛兵を誘惑しようとしたことはばれていないはずだ。あれは部屋の中だったのだから。
「怪我をして? おかしいな……俺は、マリアがしっかりと二本足で立って部屋に戻る姿を見たんだがな?」
「――っそれは!」
(しくじったわ! まさか本人に見られていただなんて。ていうことは、部屋に入って出て来るところまで全部!?)
ゆらり、とルーベントの手がマリアの肩を掴んだ。
「お前もか……マリア……」
「え」
「お前までも俺を馬鹿にするのか!」
ルーベントはマリアの肩を握りつぶさんばかりに拘束し、怒声を浴びせた。
「きゃっ! ルーベント様、やめてくださいっ! 言ってる意味が分かりません!」
「俺はそれほどに足りない存在か! 王にふさわしくないか!」
言葉に合わせてガクガクと揺さぶられ、マリアは初めて見るルーベントの尋常でない様子に「ひっ」と涙目になる。
周りでは侍女やメイド達が「おやめください、陛下」とマリアを救おうとするが、しかしルーベントに触れることができず狼狽えるのみだった。
「リナフィアのように、お前も他の男が良いと言うのか! ユビウス卿や近衛兵ごときの方が頼りになるとでも言いたいのか!?」
「そ、そんなこと言ってません! それに、リナフィア様とあたしは関係ないじゃないですか!」
叫ぶように放ったマリアの言葉で、ルーベントはハッと我に返り、後退るようにしてマリアから離れる。
「ルーベント様、なんかいつもと違って……怖いです」
ルーベントはまるで視力を失ったかのように、ヨロヨロとしたおぼつかない足取りで背中から壁にぶつかる。
「俺は……ただ……っ」
右手で顔を覆い俯く姿からは、いつもの肩で風を切る堂々たる気配は微塵もなかった。
ルーベントの様子がおかしいとは思いつつも、マリアは心配する素振りも見せない。肩に残る痺れた痛みに、多少なりとも腹立たしさがあったから。ただ、ルーベントを冷めた目で見つめ、フイと背を向けた。
「じゃあ、あたし街で施ししなきゃいけないんで、行ってきますね」
「……ッマリア!」
ルーベントの呼び止める声が聞こえたが、自分を雑に扱ったことを反省すればいいと、マリアは振り向かずに部屋を出て行った。
◆
リナフィアは、今日も無遠慮に運び込まれる書類片手に財務大臣と論を交わしていた。
「――教会への、国庫から支出される補助金は増やしてませんものね」
教会への直接の献金は、信者への公平性を期すために禁止されている。
献金したい者は一旦献金を国へと預け、国はそれを教会省の特別会計へとまるごと移すという流れをとる。この時も教会へ献金者の氏名は伏せられ、誰がいくら献金したかなどは不明のままだ。
本来、教会運営は、献金と国から入る一定の補助金によってまかなわれている。
献金は年々減少傾向にあり、教会運営は以前より厳しくなっているはずなのだが。
「教会の運営費は減っているのに、最近はなんだか教会の羽振りが良いみたいですし」
「教会省に確認したら、現在までで新たな教会設立申請がもう三件きてましてな」
「ええ、私も既に建設に取りかかっている教会もあると聞いております。それなのにまた教会を増やすと……」
どう見ても、献金が減っているようには思えない。しかし、帳面では間違いなく額は減っているのだ。考えられることはいくつかあるが、一番有力なのは誰かから裏金を貰っているというものだろう。
(誰かというか、『どこから』って感じかしらね)
恐らく、正聖女派から金が渡っている。
(そういえば、マリアが正聖女認定されたのも随分唐突だったものね)
つまりあの頃から、教会は既に正聖女派と繋がっていた可能性があるということか。
教会に対しての恨みは、前回自分を騙して処刑台まで引っ張り上げた時のものしかない。それまでは公平な第三者と信じていたからだ。
(外に出るようになって、前回見えなかったものがよく見えるようになったわ)
いつも執務室で、書類の文字や数字とばかり睨み合っていた。
しかし、その人や人となりを知った後にこうして書類を見ると、疑問がわいて出る。前回も恐らく同じ書類を見たと思う。しかし、その時は大して気にも留めなかったのだろう。
「宰相へ、教会省経由で教会への聞き取りをするようお伝え願いします。必要であれば、建設費の概算書の提出を求めるようにと」
「かしこまりました、妃殿下」
財務大臣は大きな身体をのっしりと揺らしながら執務室を出て行った。
ふう、と息を吐くリナフィア。
相変わらず書類処理が追いつかない。
「でも、これでもマシになった方だわ。北部の陳情とかに対しては、ベルハイク伯爵が下調べしてくれるし。あとは財務管理と、治水関係に強い者がいてくれたら……なんて、贅沢言ってられないわね」
リナフィアは、頬を軽く叩くと次の書類を手に取った。
「……ああ」
やはり来たか、と顔が曇る。
さて、これを伝えたところで、素直に言うことを聞くたまでもないしどうしようか、と椅子の背もたれに身体を預けたときだった。
「リナフィア、いるのか?」
まさかの人物――ルーベントが入室の許可も待たず部屋に入ってきたのは。
いつもなら、入ってくるなり非難を口にするルーベントなのだが、どういうわけか今回は、執務机の前に置かれた応接セットのソファに座ったきり言葉を発しない。
「珍しいですね。ここは王妃宮ですが、離宮とお間違えではありませんか?」
「……相変わらず、君は俺を馬鹿にするんだな」
こちらから問いかけ、ようやくルーベントは言葉を発した。
「変わらずも何も、そのように接した覚えはありませんが。それよりも、ちょうど私もお話したいことがありました」
「君が俺に? 珍しいな」
「王都の医師達からの陳情、いえ苦情書です。マリア様が自分勝手に神力の施しをすることは、街医師達から仕事を奪うことだという。民を救うべき聖女が、民を苦しめてどうするのですか。しっかりと陛下からマリア様に伝えて、止めるように――」
「ハッ……聞くような女じゃないさ」
「陛下?」
彼がやって来たときから感じていたが、どうも今日は様子がおかしい。ふらふらとした足取りで部屋に入ってきたかと思えばこれだ。
彼がマリアを蔑ろにするところなど、はじめて見た。
「もしや、マリア様と喧嘩でもなさったのですか」
妻に不倫相手とのことを心配される夫の心境とは、果たしてどのようなものか。
今のリナフィアは、彼への愛情などとうに冷めており、こうやって問いかけるのもなんら苦痛ではないが、前回の自分だったら、と思うと笑えてくる。
(随分と私も変わったものね)
思わず、ふっと失笑してしまった。
それにルーベントが敏感に反応する。足元に向けられていた視線が、向かいに座るリナフィアへと向けられる。
「嬉しそうだな? 自分にも愛人がいるというのに」
「はい? 失礼ですが、そのような侮辱を受ける覚えがないのですが」
ルーベントが鼻を鳴らした。
「わざとそうやって余裕ぶって見せているのか? それとも俺ごとき簡単に騙せると?」
はあ、とリナフィアは額を抑えた。何となく誰を指しているのかは分かるが、それにしても話が通じない。
「ただの八つ当たりにいらっしゃただけでしたら、お帰りください。政務が溜まってらっしゃるのでしょう。随分と私の方にも流れてきておりますが?」
「ハハッ! そうやって君はすぐに俺を見下す!」
「ですから、見下してなど――」
「そうだ、良いことを教えてやろうか! 舞踏会の日、君の愛人の近衛兵は、マリアとふたりきりで居室へと消えていったぞ!」
言葉を失って瞠目したリナフィアを見て、ルーベントは片口をつり上げた。




