契約は慎重に
『ウォーカス商会』――マルヤム領に本部を構える大商会である。特に、今の商会長になってから急速に拡大し、今やウォーカスの名を知らない者はいないと言われるほどだ。
通されたのは、床板も調度品もダークブラウンで統一された品の良い部屋。金持ちの部屋によくある仰々しい装飾や美術品など一切なく、花瓶や絵画がひとつふたつ飾ってあるのみ。実に質素に見えるが、ひとつひとつの質は驚くほど高い。
「お金の使い方が綺麗だわ。きっとこの部屋の主は、冷静で合理的な判断をできる人だと思うの」
「どうして分かるのですか? フィア様」
目の前のテーブルの上には、金トレーにペンとインクが置かれている。この部屋は商談にも使われているのだろう。
「いかにも金満な飾り方をせず、見る人が見れば分かる品を数個のみ。この部屋を質素ととるか、上等ととるかで商談者の力量は推し量れるわ。実に効率的なやり方よ」
リナフィアは赤髪を隠すための帽子を、より深く引き下げる。
「思った以上に、ここの商会長はやり手だわ」
「過分なご評価、嬉しく思いますよ。ご婦人」
言葉と一緒に入り口から細身の青年が入ってきた。
「はじめまして、ウォーカス商会長のグレイグ・ウォーカスと申します」
「あ、あなたが商会長?」
思わず聞き返してしまった。カーシアン子爵の話を聞き、その取引手腕のすごさから、てっきり老獪な主人が営んでいる商会かと思えば、まさか出てきたのはレイス程度の青年ではないか。
「はは、僕を見た人達は皆同じ反応をしますよ。若すぎだってね」
肩口までの黒髪を、上半分だけ後頭部で纏めた髪型は清潔感があり、片耳にだけ下げられた房のような耳飾りが、小洒落た雰囲気を加えている。
「気分を害してしまったのなら、ごめんなさい。そんなつもりで言ったんじゃないんです。ただ、この部屋を見る限り、無駄のない選択をされる方だなって思っていたから。人生経験豊富な人が商会長をやっているかと思ったんです」
「褒め言葉として受け取っておきましょう」
含みのある言い方だったが、素直に受け取らないのは彼が慎重だからかもしれない。もしや見た目が若いだけで、本当の年は結構上なのではと思ったが、表情から読み取られたのか、先に「間違いなく二十六ですよ」と釘を刺されてしまった。
(勘も良いだなんて、素敵じゃない)
リナフィアはグレイグに会って、ものの一分で取引の成功を確信していた。
「さっそくですが」とリナフィアは目の前のテーブルに、一枚の書類を置いた。
「条件書です。あなた相手に腹の探り合いは不要かと思いますから、端的に言いましょう。この商会本部を、ベルハイク領へと移しませんか」
グレイグは一瞬の逡巡の後、口は開かず置かれた書類を手に取った。胸のポケットから取り出した眼鏡をかけると、彼の目が左から右へと流れ、紙の一番下まで辿り付く。そこで彼は眼鏡を外し、ようやく口を開いた。
「商会にとって、あまりにも条件が良すぎます。特に、この『減税』という条項。貴族が商人を領地に置きたがるのは、売り上げの三割を税として徴収できるからです。おかげさまで我がウォーカス商会は国でも一、二位を争う大商会との名をいただいております。他領からも同じように移転の話をいただくのですが、税の優遇条件で出されてもせいぜい二割まで。それなのに、『一割』とは荒唐無稽な話でしょう。まず、ベルハイク伯爵が許可なさっての話なのですか?」
「そこはご心配なさらず。私は伯爵とは繋がりの深い間柄ですから、この件は一任されております」
「いや、しかし……やはりこの条件書を鵜呑みにはできません。何かしらの裏があった時、商会への影響が懸念されます」
「やはり、グレイグ商会長はとても慎重な方ですのね」
だからこそ欲しい。マルヤム伯爵からなんとしてでも、奪わなければならない。
彼が言ったように、商業者に対する税は売り上げの三割が基本だ。これは何かを売って生計を立てている者ならば、農民だろうが、街角の占い師だろうが皆同じである。
だから、領主達はより売り上げを立てる者を、領地に呼び込みたがる。安定的な税収があることは、安定的な領地経営には必須だ。
「失礼ですが、なぜウォーカス商会はマルヤム伯爵領で? 王都やその隣のバルバリード公爵領の方が商売にはよろしかったのでは?」
マルヤム領は、王都から東へ輸送馬車で二日と少々離れており、普通の馬車であれば四日はかかる。皆より王都に近いところに本部を置きたがる中、ウォーカス商会は珍しい。
「この商会は僕で三代目なんです。初代である祖父が興した商会で、最初はほんの小さなものでした。おかげで、当時はどこの領も商売をさせてくれなかったらしいのですが、その中で、唯一商会を受け入れてくれたのが、先代のマルヤム伯爵だったと聞いています」
「そうだったんですね」
その時の恩で、未だにマルヤム領にいるということか。
(さて、どこから崩しましょうか)
恐らく、マルヤム領の収入は、少なからず正聖女派に流れている。
(この間のマリアのお茶会。あの面子を見るに、金の力で支持者を集めようとしていたわ)
集まっていた貴族子女達は皆、領地を持たない家だった。商業人や宮廷官、他領で補佐を勤めたり雇われ領主になっている父をもつ者達ばかりだった。もちろん、そういった立場で安定的な足場を築く者もいるが、あの面子は『うだつの上がらない』と言われるような家ばかりだった。
マーガレッタの家であるカーシアン子爵家も、やはり商業人といえど窮状は厳しい。輸入品商売なのだが、取り扱う物にクセがありすぎて売り上げは芳しくない。
(きっと、正聖女派についてマリアが王妃になった暁には、私の派閥だった貴族の領地をあげるとか、議会に入れるとか適当な甘い言葉を言ったんでしょうけど。それまでは、支援金として一定額を配るっていうところかしら)
正聖女派の資金源は、是非とも絶っておきたいところなのだが。
「ひとつお伺いしても? グレイグ商会長」
「どうぞ、ご婦人」
「商会と伯爵家の関係は分かりました。では、商会長ご自身、マルヤム伯爵から何かしらの恩を受けたことは?」
「それは……ありませんが」
「ここで商売を続けることのメリットは?」
「……とくには」
「運営方針は、このまま現状維持で?」
「商売は成長していってこそです」
リナフィアは、形良く赤い唇を微笑ませた。
「私、ひとつ商会長に謝らなければならないことがあります。そちらの条件書、実は偽物です」
「な――っ!」
リナフィアは、テーブルに置いてあった書類を素早く手に取ると、その場で真っ二つに破いて宙へと放り投げた。
驚きに目も口も丸くしているグレイグの前で、はらりと書類が舞い落ちる。
「そして、こちらが正真正銘本物の条件書ですわ」
間髪容れず、リナフィアは言葉を失っているグレイグの前に、新たな書類を差し出した。
書類を目にしたグレイグは、またも声を上げる。
「ベルハイク伯爵は、『無税』でウォーカス商会を受け入れると言っております」
「さあ、いかがしましょう」とリナフィアは小首を傾げた。




