それでこそマリア
マリアとその侍女が出て行き、部屋の扉がきっちりと閉まった瞬間――。
「妃殿下! あの者は一体何様のつもりなんですか! どこが謝っているんです!? 失礼にもほどがありますよ!」
侍女のミレーネが激怒した。
「まあまあ、落ち着いてミレーネ」
「これが落ち着いてられましょうか!! 妃殿下こそもっと怒ってください! 無礼だとあの場で打ち据えても誰にも文句は言われませんよ!」
「こら、ミレーネ。相手は正聖女様なのだから、言葉には注意しなさい」
「ですが……っ!」
ミレーネがここまで怒る気持ちも、今なら理解できる。
(前回の私も随分と落ち込んだもの。その時はマリアのことを純朴な少女って思っていたから、言葉をそのまま受け取っちゃったのよね)
しかし、マリアの本当の顔を知っている今となれば、彼女の言葉の端々に滲んだ挑発や侮蔑がしっかりと分かった。
(安心したわ。離婚後にマリアの性格が悪くなったんじゃなくて……)
「大丈夫よ、ミレーネ。私の代わりに怒ってくれてありがとう」
「そんな、私はただ妃殿下こそが、この国で一番尊い方だと知っているだけで……」
「安心して。私は王妃の座まで分けてあげる気はないから」
(さて、様子見はここまでよ)
◆
「はぁ……」
リナフィアは一人、書類に目を通しながら溜息を吐いた。
日に日に増える書類の量に嫌気がさしたのではない。
先日、突然部屋にやってきた夫に、離婚をほのめかされたからでもない。
自分の夫の馬鹿さ加減を思えば、彼の統治する国に住まう民が憐れでならなくて、自ずと嘆息してしまうのだ。
「こんな書類まで……」
リナフィアが次に手にした書類は、北部州からの一時的な減税申請書だった。
税務関係は、本当ならば国王が決裁しなければならない分野であり、難しければ財務大臣に相談すればいいもの。
「なのに、読んだ形跡もないだなんて。一体、彼は日中何をしているのかしら」
流れてくる使用人達の噂話によると、どこに行くでもルーベントの傍らにはマリアがいるらしい。まだこの世界に来て日が浅い正聖女様には、文化や国のことを教える者が必要で、それを国王自らが買って出ているのだとか。
「執務をないがしろにしてやることじゃないわ。だれか教師をつければ済む話なのに。きっと周りも言っているでしょうし、彼が耳を傾けないのね」
ルーベントという男は、プライドの高い男だ。
幼少の頃より王になるべく育てられた彼は、唯一の王子だったこともあり、周囲からの期待や羨望を一身に受け育った。
まあ、常に人にかしづかれ、持ち上げられて続ければ、プライドが空の彼方まで飛んでいくのも無理はない。
「出会った頃は、そこまでじゃなかったのだけれど……」
昔は、机を並べて一緒に勉強したこともあったというのに。
いつの間に、ここまで自分勝手な性格になってしまったのだろう。
「おかげで、私が全部彼の尻拭いをすることになったのよね……前回は」
為政者ならば、かしづいた者の気持ちを考えねばならないというのに、彼はかしづいた者に、己の気持ちをさらに良くするようなことを求める。
それでも国が回っていたのは、すべてリナフィアが影で尽力していたからだ。
(本当! 前回の私、よく頑張ったわよ!)
思わず涙ぐんでしまう。
ミレーネ以外に誰も労う者はおらず、執務室に引きこもるようにして日々を仕事で忙殺されていた。おかげで、引きこもりの王妃と、周囲にも民にもよく思われていなかったようで、しかし、それすらあの頃は気付いていなかった。
「引きこもっていたせいで、皆私が何をしているか知らなかったっていうのもあるのよね。仕事を私に持ってくる大臣達も、自分のところの分だけって思っている節があったし……」
自分のところの決裁書類分くらい、王妃に回しても大丈夫だろう――と皆が考えた結果、リナフィア本来の仕事の倍の量が流れてきたことがある。
「酷いときは全部署が揃ったこともあったわね……アハハ……よく私、過労死しなかったものよ」
リナフィアは執務机の端に積まれた書類の小山をチラと見た。
まだまだ序の口の量。
だが、噂を聞く限りこれからもっと増えていくことが安易に予想できる。
「前回は私も悪かったわ。全部一人でどうにかしようとしていたもの」
夫を支えるのは妻として当たり前で、国母として決して弱音は吐いてはならないとずっと思っていた。
「大体、弱音を吐ける相手なんて……」
ミレーネは心から信頼しているし、気も許しているが、やはり彼女は自分に仕えてくれている身。主の弱った姿など見せたくないという、なけなしのプライドが自分にもあった。
「でも、そういった考えが失敗だったのよね」
全て一人で抱え込んで、人付き合いも疎かになっていった結果、自分に味方する貴族など一人もいやしなかった。
最後まで自分の無実を信じ、声を上げてくれたのはミレーネだけだ。
家格の低い貴族や、新興貴族などまだ力の弱い者たちは立身出世のためにマリアにすり寄り、古くからの貴族達は、王妃を庇うよりも、多少傲慢だろうとも正聖女付きの国王を選んだ。
国としては聖女が消えるわけでもなし、リナフィアがいなくなろうとも不都合はなかったのだ。それよりも、下手に王妃を庇って、国王の反感を買うほうがまずいと判断したのだろう。
「こうして今なら冷静に思考できるけれど、あの時は本当、悲しかったわ」
離婚を言い渡された場で周囲から向けられた視線は、混乱と憐れみ。
何度かパーティーで会って親しくしていた夫人達も皆顔を扇で隠し、当然その夫達も飛び火はごめんだとばかりに顔を逸らした。
皆、マリアといじめていたという出鱈目を信じていたのだ。自分が悪女だと。
おかげで離婚後は誰からの援助も受けられず、あっという間に領地を手放すはめになった。
既に、先日のマリア正聖女認定によって、貴族達は明らかにざわついている。はっきりと明言する者はまだいないが、それとなく王妃派と正聖女派に分かれつつあった。
この流れも前回と同じ。
前回は、薄らとそれに気付きつつも仕事に忙殺され放置していた。しかし、今回ならばまだ間に合う。
「とにかく、私には味方が必要だわ」
リナフィアは椅子から腰を上げると、背後にある窓を覗き込む。
見える景色の大半は広大な王宮。眼下では会議が終わったのか、貴族達がわらわらと出てきているところだった。
「味方……特に、この山の処理を手伝ってくれるような人達がいいわ」
チラ、とリナフィアは机の端を見やる。
「それにはまず、貴族達の動向を把握する必要があるわね……そういえば今度、正餐会が開かれる予定だったわね」
どうせ今回の正餐会も、リナフィアの正聖女認定を祝う会になるのだろう。
「ちょうど良いわ。これで諸侯の動きも見えてくるでしょうし……きっと、その中に私を生け贄にした貴族もいるわ」
リナフィアは首に指を這わせた。
なめらかで傷一つない肌。
だが、指先でその場所を横に撫でれば、痛みとも熱さともつかない衝撃が蘇ってくる。
「――っはぁ! ハッ……は……ぁッ」
めまいがして、ぐらりと地面が揺れた。次の瞬間、リナフィアは窓台にしがみつくようにして倒れていた。額には汗が滲み、息も浅くなる。
「大丈夫……大丈夫よ、リナフィア……」
何度も大丈夫だと自分に言い聞かせ、心を落ち着かせる。次第に息も整い、リナフィアは椅子に掛け直した。
汗を拭こうと机に置いていたハンカチに手を伸ばす。
そこで、リナフィアはそう言えばと思い出した。
「あの騎士の方、ちゃんと手当てしたかしら」
藍色の髪と金の瞳の、夜みたいな男。
今度会ったら聞いてみようか。会うことがあれば、だが。
◆
正餐会では、開催主である国王夫妻が最後に入場することとなっている。
ルーベントが妻であるリナフィアの手を引いて、ホールから数段高くなった場所にある王妃用の椅子までエスコートする。
たとえ、暗黙でマリアの祝賀会と思われていようが、主役は国王夫妻なのだ。マリアはどこかの貴族に手を引かれ入場しなければならない。もしくは、ひとりで。
(前回は、申し訳なさでいっぱいだったのよね。知り合いの男性がルーベントしかいないマリアから、エスコート相手を奪ってしまったと思って)
本当、マリアの本性を見抜けなかった自分が情けない。
だが、今回は申し訳なさどころか、爽快感が味わえそうだ。果たして彼女は、ルーベントに手を引かれ王妃席までエスコートされる自分を見て、どのような顔をしてくれるのだろうか。
「楽しみだわ」
しかし、まさかこんなことが起きようとは――。
リナフィアは驚きで眦が裂けんばかりに目を瞠った。
本来リナフィアが座るはずだった王妃席には、先客がいた。真っ黒な髪を宝石で飾り立てた、流行のモスリンのドレスを身に纏った女が。
「あらぁ、リナフィア様。ご体調はもうよろしいのですかぁ? 無理されず、どうぞ休んでいてください。この場はあたしがおりますし」
マリアが、階下から見上げるかたちとなったリナフィアを、勝ち誇った顔で見下ろしていた。
(――っ上等じゃない……それでこそマリアだわ。本当……ッ)
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