本当の望み
その日の夜、俺はうまく寝入ることができず、自分の部屋をこっそりと出る。外にでようとしたこともあり、もしもの時のために剣を腰にさしていた。外にでようとしたのは、なぜだかはわからなかったが、誰かに呼ばれたように感じたのだ。そんな曖昧なものになんとなく従ってしまった。
外に出ても、誰もいなかった。俺は気のせいだったか、と思いながら、どうせ出たことだしと思いながらしばらく外にいることにする。眠れないのは変わらなさそうだったし、星空がきれいだったのもある。
俺が特に何かを思うこともなく、ぼーっとしながら星空を眺めていると、突如後ろから声をかけられる。
「カーヒル、何かあった?」
俺が驚きながら振り向くと、そこにはクリスティア様がいた。俺は「起きてしまったのですが眠気がなくて」と答える。彼女は「私もよ」と言って笑うと隣に来る。
「いいのですか?戻らなくて」
「いいわ、何かあってもあなたがいるから大丈夫でしょ」
彼女の信用。俺はそれを気恥ずかしく思ってしまう。だが悪い気はしなかった。
「ねえ、カーヒル、今の生活どう?」
「楽しいですよ」
俺はすぐにそう返す。本心だ。彼女は少し驚いたような顔をした後、上を見る。俺も彼女と共に、上を見る。あまりの俺のまっすぐな返答に彼女は困惑していたのかもしれないと思う。
「カーヒル、きれいな星空ね」
「そうですね」
俺と彼女はしばらくの間、そうして黙って星空を眺めていた。いや、彼女は何か違うものを見ていたのかもしれないが。
「カーヒル、あなたはどこか変わったわね。何かあった?」
彼女はまっすぐこちらを向いて問うてくる。その視線は期待と困惑とで彩られていた。俺は自分が行き着いた考えについて話す。
「自分が、いえレインという個人は愚かだったと気づいただけです。だが、同時にレインは正しかったとも」
「復讐を果たしたということについて?」
彼女は変わらず、まっすぐこちらを見て問うてくる。視線の中に込められる感情は変わらない。
「ええ、復讐は愚かな選択でした、それを達成した先には何もなく未来はない。でも、その道をとらなければレインという個人はとうの昔に死んでいたのだと私は思いました」
俺は笑顔で言う。もう自分に迷いはないのだ、自分のやったことに関しての整理はついたのだ。
クリスティア様は俺から視線をそらし、下を向きながらぼそっと言う。
「私は愚か者になりたくない。でも」
そう言って彼女の体は震えだした。彼女は自分の体を自分の両腕で抱きしめる。そして、彼女は叫ぶように言う。
「私はお父様を、お母様を、妹を、いえこの国が許せない」
俺は何も言わないで彼女を見続ける。今の彼女に何か声をかけるべきではない。彼女は続ける。
「なぜ私がこんな目に合わなきゃいけないの?なぜ?どうして私は何も悪いことはしていない、なのになぜ?!」
俺は何も言わない。いや何も言わない。今彼女が叫ぶように言っていることは彼女がずっと抑えてきたものなのだろう。だから、俺はすべてを聞こうと思う、彼女はずっと抑えてきたことをようやく吐露できているのだから。ずっと胸に秘めてきた感情。
「私は復讐がしたい。お父様に、いえお母様にも妹にも。それだけじゃないこの国のすべてに。私を追いやったすべてのものに!!!」
彼女はあらかたすべて抑えてきたことを言い切ったのだろう。そして、息を整えると彼女は顔をあげる。そして、俺のほうを見てくる。彼女の眼には涙が浮かんでいた。そして、同時にその目は死んでいるかのようだった。彼女は俺に向かって問う。
「私は生きていればいずれこの国を燃やす。かつての『破滅の魔女』のように」
『破滅の魔女』の彼女は生まれ変わりと言われた。ならば彼女がそのように行動したら本当に生まれ変わりとなってしまう。だけど、きっと彼女はそれを望んでいない。その目でわかる。
俺は今ようやく、クリスティア様の俺へ頼みたいことに気づく。
俺にカーヒルと名付けた理由を。
「私を殺してくれる?カーヒル、あの小説の王女のように。王女とは違い、私の手が血で真っ赤になる前に」
彼女が復讐以外の道で考えてきた望み。それは自らの命を断つこと。自分が恨みと妬みの感情で血に濡れ、燃え尽きる前に死ぬこと。
ミシェルさんに頼むことも、ロドリグさんに頼むこともできたのだ。だが、彼女はそれを頼めなかった。頼みたくなかったのだろう。彼女にとって彼らは家族だ。それにそのことをきっと彼らは察していた。だからこそ、何も言えずにいたのかもしれない。この邪悪な望みが大きくなることがわかっても、何も言えずにいたのかもしれない。
だから、俺にした。俺なら頼めると思ったのだろう。一度人を殺した他人の俺に頼もうと思った。
クリスティア様の笑顔が増えた理由。それは、きっと、自らの死があと少しになったと思ったからであろう。もう辛いことも苦しいこともないとわかったから。
俺は彼女の内心を理解している。すべてではない。だけど、ある程度理解している。クリスティア様の問いに俺は答えを返す。
「それが本当のあなたの望みなら」
彼女は微笑む。そして、彼女はそのまま目を閉じる。どうやら彼女は俺がいますぐ殺してくれることを願っているようだ。剣を引き抜き、首を切る。それだけだ、簡単なことだ。彼女を殺すのに俺にためらいはない。彼女の望みであるのなら。
だが、それはまだだ。彼女には問わねばならぬことがある。
「クリスティア様、死ぬことがあなたの本当の望みですか?ほかにないのですか?」
彼女はゆっくりと目を開ける。彼女は驚愕の顔をしていた。そして、目で問うていた。あなたは何をいっているの?と。
「クリスティア様、私はあなたに救われました。だから、私はあなたにすべてを捧げる覚悟がある。あなたの進むべき道に最後までついていく覚悟もあります。その道がどれだけ辛く苦しいものでも」
彼女はやめて、と小さな声で言う。彼女は俺が何を言いたいかをわかっているようだった。俺が今から言うことはクリスティア様を追い込むことになる。だが、それでも俺は言う、いや言わねばならぬのだ。
この今死ぬことが最善の道と死んでいる彼女に。
「俺はあなたに命を捧げる。あなたがどのような選択をしても肯定する。多くの人に恨まれ、殺すことになっても構わない」
俺の命はクリスティア様の望みを叶えるための命だ。だからこそ、彼女の望みなら何をしてもかまわない。
「あなたが話してくれた物語の騎士であるカーヒルは王女を殺した、王女の本当の望みだったからでしょう。本当の望みであれば俺も何をしてもかまわない。あなたを殺すことでも。だからこそ、聞かせてください、本当の望みはなんですか?」
「私の望みは死ぬこと、それが本当の望み」
クリスティア様の声は震えている。俺は首を横に振って再度尋ねる。嘘だとわかっているから。彼女が最も嫌っているであろう嘘なのがわかってしまう。だから、尋ねた。もう一度同じことを。
「本当の望みはなんですか?」
クリスティア様は俺の問いを聞いてしばらく、何も言わなかった後、突如すべての思いがあふれたかのごとく言い始める。
「私、私は生きたい、復讐もどっちでもいい。ただ私は生きたい。生きて色々なものを見たい、色々な場所に行きたい、色々な人に会いたい、好きなことをしたい。それに私を愛してほしい、嘘をつかず、だまされずに、ただ私に向き合ってほしい。私を好きだと言ってほしい、愛してるって言ってほしい、私を抱きしめてほしい。私に生きてていいよと教えてほしい、私を一人にしないでほしい、もっと生きていたい」
彼女の瞳からは大量の涙が流れていた。俺は何も言わずに彼女に近づき、彼女を抱きしめる。そして、俺は彼女の言葉に返答をする。
「一人ではありませんよ、一緒に生きましょう。クリスティア様は生きてていいのです」
彼女はそのまま、俺に抱き返すと泣き叫び始める。今までため込んできたものをすべて吐きだすかのように。
俺は何も言わずにクリスティア様を抱きしめていた。
しばらくして、彼女は泣き叫び疲れてしまったかのように、そのまま眠ってしまう。俺はどうしたらいいのだろうか、と思っていると後ろから声がする。
「お嬢様を運べますか?カーヒルさん」
俺が振り向くと、そこにはミシェルさんがいた。俺は驚くが、いくら外でもこれだけクリスティア様が泣いていれば誰か来てもおかしくないか、とも考える。俺はええ、と言って頷くと、彼女を持ち上げる。思った以上に軽かった。
「では、こちらへ」
ミシェルさんの後に、俺は続く。彼女が向かった先はクリスティア様の部屋だった。彼女が扉を開けてくれて、そのまま中に入ると、俺はクリスティア様をベッドの上に寝かせる。とても安らかな表情をしていた。ミシェルさんの目配せを見て、俺は彼女に続いて部屋の外に出る。
「ありがとうございます」
出て、扉をしめるやいなやミシェルさんは頭をさげる。
「お嬢様の苦しみをわかっていたのに、私は何もできなかった、何も。友達なのに」
彼女は泣きだしそうな声をしていた。俺は何も言えずにいた。
「だから、本当にありがとうございます、お嬢様を救ってくれて」
ミシェルさんはより深く頭を下げる。
「クリスティア様がここまで生きてこれたのはあなたのミシェルさんのおかげです。それだけは絶対です」
俺は思ったことを言うしかなかった。ありきたりな言葉でも、これが真実だと思うから。ミシェルさんはしばらく何も言わなかった。少しして、顔を上げる。その表情はいつものものであった。
「少しの間、ここで待っててください」
ミシェルさんは、そう言うと、部屋へと戻る。俺が外で待っていると、ロドリグさんがやってくる。
「お嬢様は大丈夫ですか?」
「ええ、今は眠っていますよ」
そうですか、と言うとロドリグさんはどこか安堵したような顔を見せ、ほっと一息をつく。それにロドリグさんは驚きを覚えていた。そのことに俺が何も言わないでいると、ロドリグさんは俺に問う。
「お嬢様を殺さなかったのですね?」
「ええ」
核心をついた問いに俺がそう返すと、ロドリグさんは何も言わずに背を向けてどこかへと行く。俺はロドリグさんがクリスティア様のことを愛しているように感じられた。なぜなら、彼はずっと心配そうな視線をクリスティア様の部屋に向けていたのだから。それはたぶんではあるが、仕える対象への心配ではなく、大事な娘に対する心配なように感じられた。だが、それ以上に、彼はその感情を殺さなければならない理由がある。それがなんなのかはわからない。
ロドリグさんが去ってから少しして、クリスティア様の部屋の扉が開き、ミシェルさんが出てくる。
「お嬢様の近くにいてあげてください。ただし、手は出さないでください」
ミシェルは小声で後半若干俺をにらみながら言う。俺は出しませんよ、と笑いながら返す。ミシェルはでは、お願いします、と言って、どこかへと去ろうとする。だが、俺はそれを引き留める。聞きたかったことがあったので。
「クリスティア様とロドリグさんの間には何があるんですか?どこか二人の関係は微妙なようですが」
ミシェルはどきりとした様子を見せた後、小さな声で返答をする。
「ロドリグさんはルートヴィッヒ侯爵家にずっと仕えてきている家の人間です。ロドリグさんの本当の役目はお嬢様の監視役です」
俺はそれを聞いて、すべてに納得がいった。きっとクリスティア様はロドリグさんのことを疑っているのであろう。ロドリグさんは疑われているのを知っている。クリスティア様はいつか、ルートヴィッヒ侯爵の命令さえあればロドリグが自分を殺しに来ると思っている。
ロドリグさんがクリスティア様とルートヴィッヒ侯爵を優先すると考えている。
だけど、ロドリグさんの本心は違うのだろうと思う。
きっと彼はクリスティア様のことを思っている。だけど、それと同じくらいにルートヴィッヒ侯爵家に対しての恩義などもあるのだろう。だから、彼は迷っている。
しかし、その迷いすらもおそらく知っているクリスティア様にとってはロドリグさんは信用ならない人物なのであろう。ロドリグさんはそのことすら知っている。お互いに本心をなんとなく察している。だが、それを言い出すことはできない。それがお互いのためだから。
「お二人は本当は互いを愛しているのでしょうね」
「ええ、たぶん。お嬢様にとってロドリグさんは父親です。そして、ロドリグさんにとっても娘なのですよ」
俺は心の中でつぶやく。お互いはそれを信じきれなくなっているけれど、と。ミシェルもおなじことを思ってはいるのであろう。俺はミシェルにありがとうございました、ではおやすみなさいと言う。ミシェルはええ、おやすみなさい、と言うとどこかへとさる。
俺はミシェルが去った後に、クリスティア様の部屋に入る。ミシェルが色々と整えたようで、ベッドの近くに椅子が置いてあった。俺は椅子に座ると、クリスティア様の顔を覗き込む。その顔は安らいでいるようであったが、眺めている間に、徐々に彼女の顔は暗くなっていく。辛く、悲しそうなものに。
俺はそれを見て、彼女の手を取るとそれを握る。彼女の顔はまた少し安らいでいるものへと変わった。俺はそれに安堵し、彼女を笑顔で眺めながら、そのままずっと朝になるまで握っていた。