カーヒルの覚悟
俺がここに来てから結構な日数が経過した。もっと前に出ていくつもりだったのだが、ミシェルさんとクリスティア様に引き留められたので出ていかなかった。クリスティア様に引き留められるのはわかるが、ミシェルさんにまで引き留められるのはわからなかった。最初はかなり警戒されていたというのに、最近はそれほど警戒されていない。
クリスティア様が俺のことを気に入っているからかもしれない。クリスティア様はよく俺と話しに来た。他愛ない話がほとんどであった。だが毎日必ず雑談をするのであった。周りには必ずロドリグさんかミシェルさんがいたが。
クリスティア様はよく笑顔を見せていた。本当に他愛のない話ばっかだったのに。俺と話す時は心底楽しそうに笑っていた。なぜそこまで楽しそうなのかはわからない。だが、クリスティア様の笑顔を見ると、俺の空っぽになった感情がどんどん満たされていくものを感じる。この感情は絶対に表に出してはいけないが。
ミシェルさんとの昨日の会話を思い出す。
『一つだけ感謝します、カーヒル』
『何をですか?』
二人で、作業をしていた時の突然の発言だった。
『自室にいることが多かったお嬢様がよく外に出るようになりました。笑顔も増えましたし』
俺はそうだったのかと思った。だが、特に何もするわけでもないのだ、自室にいたことが多いのは想像はついてしまう。だが、笑顔が増えたというなら良かったのではないかと思った。
『ならよかったです。クリスティア様のためになれて』
『ええ、とってもお嬢様のためになっています』
ミシェルさんのまっすぐな発言に俺は恥ずかしくなってくる。そんなことを言われるとは思わなかったからだ。俺はちらりと手を見る。血で真っ赤なように見えるのは変わらない。だけど、こんな手をした人殺しの俺が誰かの助けになれている。それは俺の救いになってきた。救われていいのかと思いながら。
『ただし、変な気は起こさないように』
そんな俺の内心を呼び覚ますかのような、ミシェルさんの釘を刺すような一言。俺は『わかっていますよ』と答えた。
俺はすぐに出ていくべきだと思いながら、まだここにいる。まあ出ていったとしても、どこへ行くかもまだ決め切れていない。何をしようかも。
ここを出た後、俺はどうすればいいのだろうか。この疑問に対する答えはずっとでなかった。いや出そうとしていないようにも感じる。俺はここでの生活に慣れ始めている、ずっといたいと思えるほどに。
そんなことはできないとわかってはいるのだが。してはいけないとわかっている。
復讐という自分勝手な理由で人を殺した人殺し。愚かな人殺し。それが俺だ。
いずれ嘘は暴かれる。俺の存在がばれれば、クリスティア様に多大な迷惑がかかる。だから、すぐにでもここを出ていくべきだ。だが、ここの生活を気に入ってしまっている。
俺は特に何かに追われることなく、ただ穏やかな日常を過ごしたいと思っている。今までこのような生活をしてこなかったわけではない。父親が殺される前はずっとそうだったのだから。村での穏やかな日常。
だからこそ、そう感じてしまうのだろう。俺は復讐を果たす前、いや復讐をすると思う前に戻りたいのだろう。それがどれだけ愚かで今更のことであるとわかっていても。もしくは、復讐を選ばずに村にいればよかった。父のことは割り切り、平和な生活をすればよかったのだ。そうすれば、よかった。
「俺は最低だな」
俺はミシェルに命じられた作業をしながらそうつぶやく。今更何を考えているのだろうか。今更後悔したところで遅い。俺の復讐は終わった。終わってしまった。
俺は毎日夢を見る。父親の死の真相を探ろうと決めた時のことと俺がキリングの首を切った時が混ざったような夢を。俺はその夢の中、やめろ、と何度も叫んでいる。なんでそう思うのかは見当がつく。その復讐の先には、何もないことを知ったからだ。
キリングを殺した。あの瞬間、あの後に生まれたのは空虚な感情だ。
あの瞬間わかってしまった。俺にとっては復讐は無意味だった。もっと違う生き方が俺にはあったのだろう。決して復讐などせずに、穏やかに毎日を過ごすという生き方が。そういう生活を選ぶことは簡単にできた。
だが、俺は望んだ。望んでしまった。復讐をすることを。復讐の先に何もないと知らなかったから。そんなことも考えなかった。いや先のことなどどうでもよかったのだ。
だからこそ、俺はクリスティア様を引き留めなければならないと思っている。彼女は復讐をおそらく望んでいる、それは誰にも分かるものだ。ミシェルさんも知っているし、ロドリグさんも知っている。だが、彼らはそのことについて何も言わない、いや言えないのだろう。
ミシェルさんはクリスティア様が望むのであれば、それに従おうと思っている。その選択も正しいのだと思う。復讐こそくだらないことはないと俺は思うし、きっと彼女も思っているのに。それでもそれをクリスティア様が望み、堕ちていくというのなら一緒に堕ちていこうと彼女は思っている。何があっても一緒にいる、それが彼女がクリスティア様のためにかわした約束だと俺は聞いてしまったからだ。
ミシェルさんにクリスティア様を仕える理由を聞いたとき、彼女はすぐに、『約束ですから』と答えた。そして、幼少期の約束を教えてくれた。大事な大事な約束のことを。
ミシェルさんにとってはクリスティア様と一緒にいることが彼女のための行動のすべてだ。
ロドリグさんの本心はわからない。この屋敷で暮らす間に二人の微妙な雰囲気は察した。何が二人にあったのかはわからない。だが、ロドリグさんがクリスティア様のことを想っているのが俺にはわかる。それをクリスティア様が信じていないことも。ロドリグさんにはロドリグさんの譲れない何かがある。それが彼のクリスティア様のためにできることだとも。だから、彼は彼女の復讐心に対して何も言わない、言えないのであろうと思う。
クリスティア様のことを想う人は少ない。そして、その人たちはクリスティア様の復讐への想いを止めなかった。その理由は俺にはわかる。わかってしまう。それが彼女の生きる理由だからだ。
もしクリスティア様が復讐をしないという選択をとった時、彼女は何を糧に生きるのだろうか。彼女が死を望んだことはきっと何度もあったと思う。だが、それを選ばなかった。ミシェルさんとロドリグさんへの想いによって引き留められていたのかもしれない。
だが、きっとそれだけではない。
自分の境遇を恨み、周りすべてを妬んだ。その恨みと妬みを燃料に彼女は命の炎を燃やし続けているのだろう。
俺にもそれはわかる。
父と母の死。それは俺への生きる渇望を奪った。だが、俺には生への渇望があった。
父の死への復讐。それだけが、俺を生きられるようにしてくれた。俺をこの世界にひきとどめた。死を選ばずに生きることを選ばせた。
だから、復讐だけが俺のすべてだった。復讐だけが俺の生きる理由だった。
「そうか、そういうことか」
俺はそう言って笑いだす。笑いが止まらなかった。だって、気づいたからだ。
俺に違う生き方などなかった。俺は復讐がなければ生きられなかったのだ。復讐がなければとうの昔に、死んでいた。
俺には復讐しか生きる道がなかったのだ。
復讐の道は正しい道だったのだ。
どれだけ愚かでも、その先に何もなくても。それだけが俺の生きる道であった。それだけが俺をこの世界に引き留めてくれていたものだったのだ。復讐こそが俺のすべてだった。
そうなると、今まで俺が考えてきたことは馬鹿らしいことだと感じる。今後どうすべきか、どう生きるか、など考える必要はないのだ。
なぜなら、とうの昔に俺に未来はないのだから。復讐だけが俺の過去で現在で未来だ。だからこそ、復讐の道を選んだ瞬間、復讐を果たすまでの人生になった。
そういう答えが出ると、俺の気持ちはぐっと楽になった。
かつての俺、レインと言う人間は一度死んだことにされた。復讐だけを糧に生きてきたレインは死んだ。だが、それこそが正しかったのだ。レインと言う人間はあの復讐を果たした瞬間に死んでいたのだから。
そう思えばこそ、俺には新たな疑問が生まれる。
今の俺カーヒルは何なのか?どのような選択をとるべきなのだろうか?
カーヒルはレインではない。今も生きている存在だ。復讐だけに生きてきた存在ではない。空っぽな人間。クリスティア様に与えられた新たな命だ。ある種俺は生まれ変わっているのだ。決してレインの時の罪が消えているわけではないが。カーヒルはレインとは違う新たな命だ。新たな道を選べる。
では、この俺の命は何に使うべきか?何のために使うべきか?
「答えは決まっているか」
俺は小さくつぶやく。俺の答えはもう出ていた。
カーヒルとしての命はクリスティア様のために使う。きっと彼女もそれを望んでいる。それに今の俺がしたいことなのだ。彼女のために何かをすることが。
彼女のおかげで俺は自分の愚かさに気づけ、そしてレインとしての自分がやったことが正しいことだと気づけたのだから。その機会をくれた彼女に俺はすべてを捧げる。
それがカーヒルとしての新たな俺の道だ。誰かに都合がいいと言われても、関係ない。それが俺の道なのだ。
レインとしての罪はある。だが、その贖罪はいずれ行う。
今、俺はカーヒルとして生きる。
クリスティア様の望みをすべて叶える騎士だ。
その望みが復讐であれば、それを助けよう。彼女が望むならかつての『破滅の魔女』のように王国を滅ぼそうと命を燃やしてもいい。
だが、もし違う望みがあるのなら、俺はそれを全力で助けよう。たとえすべてを敵に回して手でも。
復讐の道以外もあるはずだ。正しい道はいくらでもある。自分が正しいと思う道を進む。それこそが最も正しい道だ。