二人の使用人
クリスティアは一人で部屋にいた。彼女は椅子に座りながら本を読む。彼女はロドリグの帰りを待っていた。レインのことについて話さなければならず、またお願いすることもあったからだった。彼女が本を読んでいると、ノックの音が聞こえてくる。彼女はおそらくミシェルが来たのだろうと思いながら入室を促す。入ってきたのは彼女の思った通りミシェルであった。ミシェルの顔は怒っているようであった。読んでいた本を机に置くと、ミシェルに尋ねる。
「ミシェル、何の用?」
「用件はわかっていますよね、お嬢様」
ミシェルは間髪入れずに答える。クリスティアはミシェルがかなり怒っていると予感する。だが、同時に当たり前だと思っていた。
「彼のことは心配しなくても大丈夫ですよ」
「お嬢様、初対面の相手をそんな簡単に信用しないでください。それにあの男の話が本当なら騎士様を殺した人殺しでへたな悪人よりもひどいんですからね」
ミシェルはわかっていますか、と付け足すような雰囲気で言う。クリスティアは困ったような顔をする。
「わかっていますよ。それでも私は彼と色々な話をしてみたいのです。それに復讐を果たした者はどうなるかも見てみたいのです」
ミシェルはそれを聞いて、唇をそっとかみしめる。ミシェルはクリスティアが本邸から追い出されてからずっと仕えているメイドである。ミシェルとロドリグ以外にも最初はクリスティアに仕えていた使用人がいた。
だが、徐々にクリスティアの周りから人はいなくなった。それには大きく二つの理由があった。まず一つ目が、侯爵家の対応である。ここに仕えることとなったものの給料は安く、本邸の人からの扱いもひどいものであった。使えないものが送られるとの噂が立ち、誰もやりたがらなかった。一度行けば本邸に戻れないと。そもそも秘密保持の関係もあった。一度クリスティアに使えれば未来はもう決まる。
そして、二つ目が、彼女のことを恐れたからであった。『破滅の魔女』と一緒にいれば、自分たちにもよくないことが起こると信じ込んでしまったからだった。何か災いが降りかかるのではないかと多くの使用人が思ってしまった。
そんな状況でミシェルは自分一人だけになっても最後までクリスティアに仕えるつもりであった。それは幼いころの約束があったからであった。どんなことがあってもずっと一緒にいる、とミシェルは彼女と約束したからである。それは両親や使用人からもほとんど愛情を与えてもらえず一人で泣いていた彼女を放っておけなくてした約束だった。ミシェルはクリスティアのことを悪く思うことはなかった。子どもながらでよくわかっていないのもあったが。
それでもミシェルは変わらずその気持ちを持って今でも仕えている。あの時の約束を後悔はしたことない。ミシェルはクリスティアのことが大好きだ。それにクリスティアのただ一人の友人でもある私がいなくなればクリスティアが壊れてしまうことをミシェルはわかっていた。
今、クリスティアの唯一の味方はミシェルだけなのだから。
だけど、自分の力で彼女を守り切れないこともわかっていた。自分の力のなさがどうしようもなく憎らしく思っている。それでも、ミシェルは彼女を守ることを誓っている。
そして、何よりもミシェルはクリスティアに幸せになってほしいのだ。
だが、クリスティアはずっと憎み、妬みといった感情に支配されている。それを彼女はほとんど表に出すことはないが、ミシェルはわかっていた。クリスティアの中にあるどす黒い感情と、それに付随するミシェルにうかがうこともしれない感情を。その感情は巧妙に隠されている。表向きには全くわからない。
クリスティアは表向きには優しい人物だ。やめてしまった使用人に対して謝っていたくらいだ。心無いことを言われても応えていないかのような強い人物のそぶりを見せている。だが、それが彼女が自身の心を守るための方法なこともわかっている。それは長い付き合いだからこそわかることであった。そして、何よりもミシェルがクリスティアに向き合っているからこそわかる感情であった。
だけど、ミシェルはクリスティアの心に踏み込まない。いや踏み込めないでいた。クリスティアが自身を拒絶すれば、彼女がひとりぼっちになってしまうことがわかっているからであった。
それでもずっと踏み込めないことに、ミシェルは悩んでいた。なぜなら、知っているからだ。クリスティアが時折悪夢にさいなまれていることを。それに、時折怖い顔をすることもある。内にある感情が彼女をむしばんでいるのを知っている。
でも、何もできない。そのことがたまらなくミシェルは嫌であった。何もできない自分が嫌であった。だからこそ、少しでもクリスティアに及ぶ火の粉は払いたい。
そんなミシェルの内心をクリスティアは知っている。ミシェルも知られていることを知っている。
「お嬢様、私は」
ミシェルはそれでも少しでもクリスティアに自分の思いを伝えようとする。レインの件について思うことを。だが、彼女のまっすぐな瞳を見て、やめる、やめてしまう。そもそもこのようなわがままなことを言うことは珍しいのだ。ならば許してやろうと思う。もしものことがあれば自分がどうにかするという強い覚悟を持ちながら。
「何か危険があれば私は勝手に動きます、それでもいいですか?」
「ええ、いいわよ」
ミシェルは「わかりました」と言って、後ろを振り向く。クリスティアは「ごめんなさい」と一言謝った。ミシェルは何も言わずに、部屋を出ていく。クリスティアはミシェルに色々と迷惑をかけてしまう現状が嫌であった。だが、それがどうにもならないこともわかっている。そこに加えて、今回新たな迷惑をかけている。だけど、クリスティアには少しの予感があった。
レインの存在。それこそが現状を打破するものだと。その結末がどのようなものであったとしても。
一人残されたクリスティアは置いてあった本を手に取ると、先ほどまで読んでいたページを開く。そして、つぶやく。
「私はどうすればいいのかしら」
そのつぶやきに答えてくれる人は誰もいない。クリスティアはいつかその答えがわかればいいと思いながら本を読むのに集中する。今胸に渦巻く感情から目をそらすように。
ミシェルが去ってからかなりの時間が経って、クリスティアの部屋にノックの音が響く。クリスティアは入って、と言う。ドアが開くと、そこには白髪の初老の男性がいた。
彼の名はロドリグ。クリスティアの母親に仕え、今はクリスティアのそばで執事として働く人物だ。クリスティアが住む屋敷と本邸との連絡役になっている。また、物資の運搬等も行っている。ミシェル以外で唯一クリスティアにずっと仕えてきている人物。
ロドリグの変わらない雰囲気に、少しのいらだちを内心で覚えながらクリスティアは持っていた本を近くの机に置く。その間に、男性は彼女の前に立つ。
「お嬢様、ミシェルに話は聞きました」
「そう、でロドリグは彼のことはどう思う?」
クリスティアは目の前のロドリグに尋ねる。ロドリグはすぐさま返答する。
「騎士団に突き出すべきです。それがお嬢様のため」
「あなたならそう言うと思っていたわ」
クリスティアにとって彼の反発はわかっていた。そして、彼を黙らせる方法も知っていた。
「でしたら、今すぐにでも」
「では命令します、彼をかくまうために協力してください。私はあなたの主人のはずよね?命令は聞けるわよね」
クリスティアはロドリグの言葉を遮るように笑顔で言い放つ。だが、その笑顔は人に圧を与えるものであった。この時の、彼女の視線はどこか悲し気なものだった。ロドリグはその視線から目をそらして、しばらく何も言わないでいた。重苦しい雰囲気が部屋を支配する。
この雰囲気がクリスティアには嫌で嫌でしょうがない。それに、ロドリグに向けてこのように命令をしなければいけないのも嫌だ。まるで嫌味かのように言うのも。だが、これが最も確実なのだ。それをクリスティアにはわかっている。
「かしこまりました」
しばらくして、ロドリグはその一言を搾りだすように言う。そして、すぐに彼女に背を向けて、部屋を出ていこうとする。その途中、彼は立ち止まると、彼女のほうを振り向く。
「お嬢様、あなたはいかなることがあろうともルートヴィッヒ侯爵家の令嬢です。そして、私はお嬢様に仕えるものです。覚えていてください」
彼は前半は圧をかけるように言ったが、後半はあなたのために言っているとクリスティアを思うように言っていた。そんな彼の眼はどこか悲し気なものだった。彼女はその彼の眼から視線をそらすと、「わかっているわ」と一言小さく告げる。彼はそれを見て、さらに悲しそうな表情をした後、すぐに表情を真顔に戻すと「失礼いたします」といって彼女に背を向けて部屋を出ていく。
そのまま一人残されたクリスティアは小さくつぶやく。悲し気に、寂し気に。
「ロドリグ、あなたの本当の主人はお父様でしょうに」
クリスティアはすぐにベッドへと転ぶ。そして、枕に顔を押し付ける。少しして、彼女は枕を顔から離す。枕は少し湿っていた。