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おいしいお菓子④

「だからさあ」

 翌日の学校帰りにアパートに寄ると、硯がにこやかに迎え入れてくれた。室内はまた散らかっている。

「私には理矢くんがいないとだめなようです」

「俺だって毎日は来れないよ」

 ため息を落としてからかがんで、床に散らばったカップラーメンを一か所にまとめる。もう手慣れたものだ。

「でも今のところ毎日来てくれています」

 だって気になっちゃうんだもん。

 なんとなく気恥ずかしくて、言葉は呑み込んだ。嫌われていたとしても気まずいだろうが、好かれているとなるともっとどうしたらいいかわからない。理矢が片づけるところを興味深そうに、なおかつ楽しそうに眺めている硯は、柔らかく口もとを緩めている。綺麗な笑顔はどうしても頭から離れなくなるから、意識して目を逸らした。

「ところで」

「なに……わっ」

 少し重い口調で声をかけてきた硯に振り返ると、なぜかすぐ背後にいて驚く。

「びっくりした。うしろにいるなら言ってよ。ぶつかるとこだった」

「私は以前のような可愛い事故待ちですから」

「え?」

 記憶をさぐり、そういえば硯に追突したことがあったと思い出す。思い出しはしたが、それ待ちというのがわからない。頭の中に疑問符を浮かべてる理矢の顔を覗き込んだ硯は、少し意地悪に笑んだ。

「意識してくれてますか?」

「え……?」

「今日はお菓子と私、どちら目当てでしょうか」

 意識、と喉の奥で呟く。意識なんてするはずがないのに、なぜか心臓が暴れる。だって今日はお菓子目当てではなく硯が気になったから来たのだ。その「気になる」は単に、また散らかしていないかというものだけれど、端的に答えを出すと「硯目当て」になる。

「別に意識なんてしてないよ。また散らかしてないか気になっただけで、別に深い意味なんてなんにもないし……そう、ただ散らかしてないかが気になっただけ」

 自分で言っていて言いわけじみていると思う。それでも理由をつけないといけない気がした。ただ会いたくて来たのではないとはっきり言わないと、と焦ったのだ。なぜそんなふうに焦ったのかは理矢自身もわからない。

「そうですか。気になったんですね」

 硯は目を細めて微笑み、また理矢の頭に手を置いた。

「優しいですね」

「っ……」

 かあっと頬に熱が集まる。耳までじんわりと熱くなり、慌てて逃げようとしたらなぜか硯の腕の中にいた。

「ちょ……離してよ」

「あまり可愛いと手を出したくなります」

「え?」

「困らせないでくださいね」

 そんなふうに言いながら、硯の声は迷惑がっているようではなく嬉しげだ。どうにも据わりが悪くてじっとしていられない。身を捩って長い腕の中から逃げ出すと、笑われた。

「理矢くんは可愛いだけでなく初心(うぶ)なんですねえ」

「うるさいな」

 抱きしめられたことなんて、親からしかない。家族以外の大人の男性に抱きしめられるというのは妙にどきどきして緊張して、変な感じだ。

「……」

 大人の男性、ではなく、たぶん硯だからだ。硯だから変な感じがする。でもその変な感じの理由がわからなくて首をかしげる。

「理矢くん、傘は持ってきていますか?」

「え?」

 突然話題を変えられ、顔を見あげるとまた距離が近かった。慌てて一歩あとずさる。

「傘?」

「雨が降ってきたようです」

「えっ」

 硯の言葉を証明するように、急に暗くなってきて雨が窓を叩きはじめた。真夏の夕立のような激しい雨に呼応するように、低く雷鳴が呻く。

「え……え」

 闇を切り裂くようにカッと光が暗がりを照らし、どきどきと心臓が拍動を速くする。指先が震えるのがわかるが、隠す余裕もない。喉が震えて、息を吸い込んだらひゅっと鳴った。

「理矢くんは雷が苦手ですか?」

「う、うん……雷怖いじゃん……わあっ!」

 ピシャン、と地に打ちつけるような轟音が響き、目の前の硯にしがみついた。ゴロゴロと獣の唸り声のような音が空気を揺らし、目をぎゅっと閉じても雷光が闇を裂くのがわかる。

 怖い……!

 目を閉じてただぎゅっと硯の背に腕をまわす。家にいるときは布団にくるまって隠れるが、外で雷が鳴ると雷鳴からも稲光からも逃げられず、恐怖が増す。

「大丈夫ですよ」

 ふわりと抱きしめられたのがわかった。不思議と恐怖が薄れ、心が穏やかになっていく。

「怖くないです」

 髪を撫でられて、とくんとくんと心臓が高鳴る。先ほどまでの恐怖からくる拍動と違い、心が和らぐ鼓動だった。

 おずおずと顔をあげると目が合い、微笑まれた。なぜか本当に大丈夫な気がして、ひとつ頷く。

「理矢くん」

「え……?」

 顎を持たれてさらに上を向かされる。顔の前には硯の整った顔があり、どくんと鼓動が高鳴る。徐々に近づいてきた顔に、どうしたらいいかわからず、またぎゅっと目を閉じる。

「……あ」

「え?」

 間の抜けた声に瞼をあげると、超至近距離に硯の顔があった。理矢が頭を引くより先に硯がぱっと離れる。

「あぶないところでした」

 前髪をよけて額を撫でられ、かっと頬が熱くなった。今のはもしかして、キスをされそうになったのだろうかと理解して、顔どころか首まで熱くなる。

「う、うん……わっ!」

 離れようとしたらまた雷光が輝き、咄嗟に硯にしがみついた。

「うーん」

「やだ……雷やだ……っ」

 広い胸に顔を押しつけてぎゅうっと目を閉じる。つい先刻恐怖が薄れたのが信じられない。どうやっても雷は怖い。

「生き地獄ですね」

「なに……わああっ!」

 意味がわからず顔を見ようとしたら、ドォンッと雷が落ちる大きな音が響いた。部屋の照明がチカチカとまたたいてぱっと消えた。

「え、え?」

 いきなり真っ暗になり、焦りが募る。理矢の焦りなど知らぬというように暗闇を雷光が切り裂く。続いて聞こえてくる雷鳴に、心臓が止まりそうになる。

「停電のようですね」

「やだやだやだ!」

「正直なところ私も困ってます」

 大人の硯が困るくらいだから大変な事態なのかもしれない。もしかしたらアパートに雷が落ちそうな予感がするのかも、と考えたらますます怖くて硯にしがみつく。

「とりあえず、なにか飲んで落ちつきましょうか」

 身体を離そうとするので、ぎゅううっときつくきつくしがみついて留める。今、しかもこんなに暗くて怖い中で離れられたら困る。

「やだやだやだっ」

 ぐりぐりと頭を胸にこすりつけ、しがみつく。今は無人島でふたりきりでいるのと同じだ。こんな暗がりで離れたら二度と会えない。

「どこにも行かないで!」

 必死になって引き留め、硯を捕まえる。ひっきりなしに鳴り続ける雷に、涙まで浮かんできた。こんな状態でひとりきりにされたくない。

「わかりました。では、とりあえず離れてください」

「それもやだっ!」

 いっそうきつく抱きついてしがみつく。絶対離れないという意志を行動で見せると、深いため息が頭上で聞こえた。呆れられようがなんだろうが、離れるなんて無理だ。

「……いっそ雷が私に落ちてくれれば」

「怖いこと言わないで!」

 それだと理矢も巻き添えだ。だからといって離れるなんてもっと怖い。

「いえ、私になんの欲もないと思っていそうな理矢くんのほうが怖いです」

「わけわかんないこと言ってないでここにいて!」

 ぎゅうぎゅうとしがみついて胸に顔をうずめる。大人の硯が怖いのなら、高校生の理矢は怖くて当然だ。雷なんて、なんであるのだろう。

「もうやだやだ……雷やだ」

 小さい子どものようだとはわかっている。それでも怖いものは怖い。しがみついて音と光に耐えていると、徐々に稲光のまたたく感覚が広くなり、雷鳴も小さくなっていった。

「……もう鳴らないかな」

 少し顔をあげたらぱっと照明もついた。暗闇に慣れていた目に、光が眩しい。目の前がちかちかするようで目をしばたたいていたら、少しずつ冷静になってきた。

「……っ」

 硯に抱きついている現状に気がつき、慌てて身体を離した。硯の腕は知らぬ間に理矢の背にまわっていて、まるで残念がるようにゆったりと抱擁をとく。

「あ、あの……ごめんなさい」

 みっともなくしがみついて、いろいろと喚いた気がする。正気に戻るとひどく恥ずかしい。どうして無人島にふたりきりとか二度と会えないとか思ったのだろう。そんなことがあるはずがない。

「はい。いろいろ昇天しそうでした」

 微笑んでくれているが、そんなに言うのだから相当に迷惑だったのだろう。しゅんとして深く頭をさげる。

「本当にごめんなさい……」

 嫌われたかもしれない。

 ……あれ?

 不意に思ったことに自分で疑問をいだく。硯に嫌われたからといってなにか困るわけではない。でもなぜか、嫌われたくないと思った。自分の不可解な思考に小さく首をひねる。

「いやあ、私もまだ若いようですね」

「どういう意味?」

「言えません」

 にこにこと微笑まれてもまったく意味がわからない。硯は理矢から距離を取って静かに深呼吸をしている。

「雨やんだし、片づけも終わったから……そろそろ帰るね」

 雷も静かになって、叩きつけるようだった雨もおさまり、空にも光が射してきているのが室内からもわかる。

「じゃあね。もう散らかさないでよ」

 どうしてこんなに変な感じがするのか。心臓がどきどきするし、頬がぼうっと熱い。そんあ自分がひどく恥ずかしくて、逃げるようにスクールバッグを持つ。

「理矢くん」

「っ……」

 引き留められ、おおげさに肩が跳ねた。ゆっくりと振り向くと、目が合った。

「これ、どうぞ」

 あのお菓子が入っていた木の箱を差し出され、顔を見あげると硯が箱の蓋を開けた。お菓子がたくさん入っている。綺麗に整列しているお菓子に思わず喉が鳴った。緊張がとけたと同時に腹も減った。

「い、いいよ。すごく高いお菓子なんでしょ?」

「理矢くんのために買ってきました。なんなら毎日貢がせてください」

 箱を押しつけられるが押し返す。一個だけもらうのも申しわけないのに、箱ごとなんてもらえない。しかも理矢のために買ってきたなんて、申しわけないどころではない。

「では、こうしましょう」

「え?」

 理矢の手に強引に箱を持たせた硯は微笑む。

「また雷のときには私のところに逃げてきてください。強引に押しつけたからには、責任を取ります」

「なんかよくわかんないんだけど」

 なぜ逃げさせてもらった挙句にお菓子までもらうのか。理矢ばかり得をするようでおかしい。

「今はわからなくていいです。でも」

 一度唇を引き結んだ硯は、理矢の頭に大きな手を置く。

「理矢くんが大人になるまでには、わかってくださいね」

「……?」

 本当にわからない。子ども扱いされたようでむうと唇を尖らせると、硯がふっと噴き出した。余計に子どもっぽかっただろうか。

「また、部屋を散らかしてお待ちしています」

「……散らかさないで待っててよ」

 遊びにくるのはかまわないが、そのたびに散らかっているのは困る。何日も来ないでいたら足の踏み場もなくなりそうだ。

「この世には『口実』という言葉があります」

 また意味がわからず首をかしげると、軽く肩を叩かれた。

「これも、大人になるまでにわかってくれたらいいです」

「……?」

「では。また」

 両手で肩を持たれてくるりと半回転させられ、背中を押される。一度振り向くと、優しい微笑みで見送られていてくすぐったかった。

 アパートを出ると空に虹が出ていた。お菓子が入っている木の箱がずっしりと重たい。なぜだかわからないけれど、帰宅する足取りが弾んで鼻歌まで歌ってしまった。


(終)

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