おいしいお菓子③
「なんで一日でこんなに散らかるの!?」
硯の部屋は昨日以上に散らかっていた。呆れる理矢に、硯は悪びれた様子もなく微笑む。
「つい」
「『つい』じゃないよ。もう」
勝手に部屋にあがって片づけをはじめる。どうやったらこんなふうになるのか。
どうしてか、また硯の部屋に来ている。学校帰りに寄ったのだ。理由は、昨日のお菓子がまた食べたかったから。
子どもじゃないんだから。
自分に呆れながらも、それほどにおいしかったお菓子の味を思い出すだけで頬が緩む。またほしいなんて図々しいことは思っていないけれど、売っているところを聞いてお小遣いで買おうと思ったのだ。それでまた硯の部屋に向かったら、スーパーから帰る途中の硯と会った。今日はパートタイムの日だったらしい。
そんなわけでまた硯の部屋に来たら、昨日の今日ですでに散らかっていたのだ。呆れることもできないくらいにひどい散らかりように、何度か目をまたたいた。
「硯さん、片づける気ないでしょ」
「わかりますか?」
笑って言うことではないのに、にこにこと答えが返ってきた。
「硯さんはあっち行ってて」
昨日と同じように硯をワンルームの奥に行かせ、キッチンから片づける。一か所にまとめておいたものが全部また散らばっている。
「硯さんってもしかして、散らかってるほうが落ちつく人?」
だったら片づけないほうがいいのかもしれない。視線をやると、想像に反して硯は首を横に振る。
「壊滅的に片づけが苦手なだけです。それに『部屋の乱れは心の乱れ』と理矢くんが言ったんじゃないですか」
「言ったけど」
「私なりに片づけたらこうなっただけです」
胸を張って答えられ、そんなに自慢げにされても、と肩を落とす。また一から片づけはじめる。
潔癖そうに見えるのになあ。
人は見た目によらないとはこういうことなのか。
「硯さんってどうしてスーパーで働いてるの?」
「私に興味がありますか?」
「うん」
興味はある。どんな人なのか、考えてみてもまったくわからないほどに不可思議なのだ。硯に視線を投げると、理矢をまっすぐに見ていた。なぜか緊張して身体が強張り、片づけの手が止まった。
「ではこうしましょう。私が自分のことを教えるかわりに、理矢くんもご自分のことを教えてください」
「俺のこと?」
首をかしげると、硯が首肯する。理矢のことなど知って、なにが楽しいのだろう。
「そうです。私は理矢くんが知りたいことに答えるので、理矢くんも私が知りたいことに答えてください」
「いいけど」
それが楽しいのか謎ではあるが、別に知られて困るようなことはない。というかたいして有用な情報がない。どこにでもいるただの男子高校生だ。
「まずは片づけるから、あっち行ってて」
「私も手伝います」
「いらない。余計ひどくなるから」
本当に反抗的ですねえ、なんて笑っているけれど気にしない。気にしていたら部屋が片づかない。
昨日と同じように、散らかっているものを種類ごとにまとめていく。一か所にまとめるだけですっきりするのに、硯はあちらこちらにばらばらと置いている。理矢だって特別綺麗好きではないけれど、これは落ちつかない。自分の部屋でもこんなに片づけることはないほどに真面目に片づける。
「ほら、硯さん。今度はあっち行って」
「はい」
笑みを浮かべてベッドからローテーブルの前に移動した硯は、微笑んだまま理矢を見ている。あまりにじっと見られていて落ちつかないから、あえて元気に手を動かす。
「よし、できた」
「お疲れさまです。ありがとうございます」
またりんごジュースの缶を差し出され、受け取ってひと息に飲んだ。疲れたから甘いものがおいしい。
「それで、俺になにが聞きたいの?」
「おや、覚えていましたか」
わざとらしく目を丸くされ、むっとなる。そんな様子さえ楽しそうに見ているのだから、本当によくわからない人だ。
「覚えてるよ。で?」
「はい。理矢くんは彼女はいますか?」
「……」
いきなり嫌な質問を投げかけてくる。地味で平凡な理矢は女子からそんなふうに見てもらえない。仲良くなっても「理矢くんっていい友だち」と言われ、そこから進展しないのだ。硯のように整った外見でスタイルもよかったら、すぐに彼女ができたのだろうに。
「……」
いや、硯は口を開いたらこんな変わった人だから、ある意味では理矢以上にハードルが高いかもしれない。
「どうしたんですか? 難しい顔をしたり首をかしげたり」
「ううん。彼女はいないよ」
「では彼氏は?」
間髪容れずに問いが重ねられ、疑問符が頭に浮かぶ。
「彼氏もいないよ」
「じゃあ好きな人は?」
「今のところいないかなあ」
特別に誰か気になるということもない。クラス替えで教室内の顔ぶれが変わったから、今後どうなるかはわからないけれど。
「硯さんは彼女いるの?」
同じ質問を返すと、硯は柔らかく目を細めた。
「いません。これまでつき合った女性からは三日持たずに振られています」
「……ふうん」
なんとなく想像ができるが、さすがに「そうだろうね」と答えるのは失礼な気がした。でも三日以内でも彼女がいたことがあるのだ。いいなと少し羨ましくなる。でも振られるのは羨ましくない。
硯はたしかに変わった人ではあるが、嫌な人ではない。最初は嫌な人かも思ったが、話してみると単に思考回路が理矢とは違うのだとわかった。
「私の聞きたいことは、今のところ以上です。理矢くんはなにかありますか?」
聞きたいことと言われて、すぐにぱっと浮かばない。少し悩んでから口を開いた。
「硯さんってお金持ちなんでしょ?」
聞いてから、失礼な質問だったかも、とはっとした。でも硯は気を悪くしたふうでもなくただ微笑んでいる。硯の笑顔は自然と目が吸い寄せられるくらいに美しい。口を開くと変な人だけれど。
「どうでしょうか」
「だってマンションたくさん持ってるって俺のお母さんが言ってた」
「ああ」
不思議そうにしていた硯が、合点がいったという様子で頷いた。否定しないのでたぶん本当なのだ。
「私が買ったのではなく、生前贈与で受けた不動産ですよ」
「せいぜんぞうよ?」
「私が言うのもなんですが、祖父母がちょっとした小金持ちなんです。相続税の軽減と、相続時のトラブルを回避するために、生前贈与ということになったんです」
「そうぞくぜい……けいげん? トラブル?」
よくわからないが、お金持ちにはお金持ちの大変さがあるようだ。理矢には想像することもできない。
「でも、理矢くんが望むならお金持ちになる努力をしますよ」
「俺?」
どうして理矢が関係するのかわからず、首を捻る。
「はい。私は理矢くんに興味があります」
「なんで?」
片づけしかしていないし、たいして珍しい言動もしていない。興味深いのはむしろ硯のほうだ。
「私は今まで誰かに興味を持ったことがないんです」
「でも彼女いたんでしょ?」
「毎回向こうからつき合ってと言ってくるのでつき合うだけです」
嫌味だろうか。つき合ってと言われたことが一度もない理矢は、少しむっとなる。いいな、と拗ねた気持ちになって唇を尖らせると、硯は笑みを深くした。
「では私が理矢くんに『つき合って』と言いましょうか」
「は?」
「私は理矢くんに興味津々です」
よくわからないけれど、からかわれているか同情されているかのどちらかだ。どちらも嬉しくない。そもそも『つき合って』と言われたいのはたしかだが、誰でもいいわけではないし、言われるならきちんと好かれた状態で言われたい。
「硯さんの冗談って笑えない」
ふいっと顔を背けると、小さく笑える声が聞こえる。やはりからかわれていたようだ。変な人かと思えば大人の余裕があるし、よくわからない。
「そういえば、高校生の頃には恋をしたみたいなこと言ってなかった?」
「はい。私は年上の女性が好きなので、保健室の先生に恋をしました」
「なんかわかる気がする」
養護教諭にこんな調子で話しかけていそうだ。でも相手が大人だと、きっとうまい具合に答えを返してくれるのだろう。
「結局その方は結婚してしまい、私は失恋しました」
「あー、ありがち」
「そうなんです。ありがちです」
そして、と硯は言葉をつなげた。
「今は突然現れて世話を焼いてくれる、よくわからない年下の男の子に興味が湧いています。これもありがちですね」
硯が理矢の頭にぽんと手を置く。大きくて温かい手が髪を撫で、ぶわっと頬が熱くなった。
「な、なにそれ」
「私が理矢くんに好意を持っていることが伝わってよかったです」
ほっとしたように目を細めた硯は、また昨日と同じ木の箱からお菓子を取り出した。昨日もらったものとは違う種類のお菓子だ。
「今日はお菓子目当てでもかまいません。明日は私に会いたいと思って来てください」
「……」
お菓子目当てがばれていた。でも自分で買うつもりで売っている場所を聞こうと思ったのだから、少し違う。心の内を完全に読まれているわけではないことはほっとした。
「このお菓子、どこで売ってるの?」
「そんなに気に入ったのなら、また買っておきます」
「自分で買うよ」
お菓子を受け取りながらも、そんなにもらってばかりじゃ、と考える。でも硯は首を横に振った。
「理矢くんのお小遣いではちょっと難しい値段かもしれません」
そんなに高いのか、と目を丸くすると、硯は楽しそうに笑う。
「だからまた来てください。私は理矢くんが喜んでくれることを用意して待っています」
「……」
こういうときにどう返したらいいのかがわからない。好意を向けられることに慣れていないし、こんなふうに言われた経験がないので照れくさく、目が見られない。
視線を落として俯いた理矢を、頷いたのだと硯は思ったようだ。
「いい子です」
違うんだけどな。
別に頷いていない。でもそう言えなかった。
帰宅したら母がいて、硯のことを話すと頬をぽっとピンク色に染めた。
「小桧山さん、素敵よねえ。変わってるけど」
「うん。変わってる」
そこは否定しないし、できない。母には硯から言われたことすべてを正直には話せないが、それでもこんなことがあった、あんなことがあった、と言うと、母は驚きながら聞いてくれた。
「部屋がすごく散らかってるんだ。だから片づけてあげたらお菓子もらった」
もらったお菓子を見せると、母は目を丸くした。
「あら。極味堂じゃない。さすがねえ」
「なにそれ」
理矢が首をかしげると、母は口に手を当てて小さく笑った。
「高校生の理矢にはもったいないくらいのお菓子よ」
「自分で買うからって言ったら、俺のお小遣いじゃ難しいかもって言われた」
母は今度は声をあげて笑う。
「そうねえ。理矢が大人になって出世したら普通に変えるかもね」
「――」
そんなに高いのかと、手の中のお菓子をまじまじと見る。極上の味はたしかに大人の味だった。それほど高価なものを理矢なんかに簡単にくれるなんて、やはり硯は普通ではない。
「あんまり面倒かけちゃだめよ」
「うん」
片づけをしているのは理矢だけど。前髪を撫でると、大きくて温かい手で頭を撫でられたことを思い出した。子どもを褒めるような優しい撫で方で、しかも「興味津々」なんて言われた。階段をあがりながら、頬がぼうっと熱くなる。
俺なんかに好意があるなんて、ほんとに変な人。
なぜか硯の笑顔が頭に浮かんでは消えた。しょうがないから明日も片づけしに行こうかな、と考えたら、口もとが勝手に笑みの形になった。