おいしいお菓子①
始業式が終わり、学校帰りに自宅近くのスーパーに寄った。クラス替えの結果、一年のときに仲がよかった友だちとはクラスが離れてしまった。知っている人があまりいない心細さを、新たな関係を築けるかもというわくわくに切り替えながら惣菜コーナーに行く。親はどちらも仕事で不在なので、昼食におにぎりをふたつ買う。コンビニもあるのだが、スーパーのほうが安い。少しでも節約すれば残りはお小遣いになる。会計を済ませていると、隣のレジにいる買いもの客のカゴの中身に目を丸くした。
うわ。カップラーメンばっか。
つい客の顔を見て、あ、と小さく口に出た。慌てて手で口を覆う。そのカップラーメンばかりを買っている客は近所で有名な男性だった。
二十代後半くらいの男性はこのスーパーでパートタイムで働いているので、理矢も何度か見かけたことがある。理矢の昔から茶色がかった髪とはまったく違う、つややかな黒髪が綺麗だといつも思っている。今日は休みのようだ。親や近所の人が言うには、マンションをいくつか所有しているお金持ちらしい。そのわりには本人は理矢の自宅の近くにある小さなアパートに住んでいる。理矢は話したことはないが、親たちが言うには変わり者とのことだ。収入はそれなりにあるのに小さなアパートで暮らすことも、近所のスーパーでパートタイムで働くことも不思議のうちらしい。理矢からしたら節約するのはいいと思うし、特に不思議とも思わない。でもカップラーメンばかりなのは節約になるのかと疑問はある。
変わり者でも、いつも穏やかな笑顔を向けてくれる美形男性だと母は言う。なぜか女性は美形に弱い、というのは理矢の経験談だ。高校にも外見が派手だったり恰好いいと騒がれたりする生徒がいるが、やはり人生が楽しそうだし得をしていると思う。地味で平凡な理矢にはわからない世界である。
セルフレジで精算をしながら、隣のレジの男性が気になって仕方がない。興味が湧いてきて抑えて、また湧いてくる。男性も清算をしていて、横目にちらちらと見てしまう。
「なんですか?」
「えっ」
もう一度ちらりと隣を見たら、優しい笑顔を向けられていた。おおげさに肩が上下する理矢に、男性は笑みを絶やさない。
「さきほどから見られている気がしたので。私になにか御用ですか?」
漫画以外で自分を「私」という男性をはじめて見た。現実に存在しているのかとまじまじと整った顔を見つめると、男性は笑みを深くした。
「高校生ですか?」
「う、うん」
答えてから、なんで年上の人にため口きいてんだ、と焦った。慌てて言い換えようとしたら、男性のほうが先に口を開いた。
「いいですねえ。青い春。その頃には私も恋をしたものです」
「……?」
その頃には、に首をかしげる。今は好きな人がいないという意味かもしれない。意味をはかりかねてなにも答えられずにいると、男性は柔らかく目を細めた。
「私は小桧山硯といいます。またどこかでお会いできたら嬉しいです。可愛い青い春くん」
「っ……」
変わり者の理由がなんとなくわかった気がする。たしかに変わっていると理矢も思う。これまでの人生で「青い春」なんて呼ばれたのははじめてだし、ついでにいえば「可愛い」も小さい頃以来だ。照れくさくてむずがゆくなるような呼び方に、かっと頬が熱くなった。
変な人。
清算を終えて去っていこうとする硯の背を見ながら、理矢も会計を終える。ついていっているわけではないが、帰る方向が同じなので、ついていくことになってしまう。なんとなく気まずくて下を向いて歩いていたら、なにかにぶつかった。
「わ、すみません」
慌てて顔をあげると、なぜか硯が立ち止まっていて、その背にぶつかっていた。硯はゆっくりと振り返り、笑みを浮かべた。
「可愛い事故ですね。青い春くんもこちらの方向ですか?」
またおかしな呼び方をされた。
「変な呼び方しないでください」
むっとすると、硯はにこやかに頬を緩めた。
「反抗的なのはよいことです。可愛いですね」
「『可愛い』もやめてよ!」
きちんと話す気力がなくなるくらいにおかしなことばかり言うので、口が勝手に生意気な言葉を吐き出す。硯が何歳かはわからないが、身内でもない十ほどは離れていそうな年上の男性に、こんな口の利き方をする自分が信じられない。でもきちんと話していても無駄な気がしてくるのだ。
「硯さんって変な人」
「よく言われます。そんな私とこうやって話している青い春くんも、きっとお仲間ですね」
「だからやめてよ!」
また青い春と言った。そんなに青い春をしていないし、高校の制服だけで判断されるのは気に食わない。
「俺には理矢って名前があるんですー!」
なんとなくだが、硯は口でなにを言っても通じなさそうな雰囲気を醸し出している。いっそせいせいするくらいに生意気に自己紹介をすると、硯はその生意気ささえ楽しむように柔らかく目を細める。
「理矢くんですか。いいお名前ですね。まっすぐな性格になるようにでしょうか。まっすぐな理かもしれません。ちなみに私の硯は、人の深みを出せる人間になるようにと祖母がつけてくれました」
「……別に聞いてない」
勝手に名前の意味を話しはじめた硯は、妙に生き生きとしている。こういう小難しい話が好きなのだろうか。ちなみに理矢はまっすぐな理と父が言っていた。でも当てられたのが悔しいからそれは言わない。
「深みってなに?」
聞いていないと言いながら問いかける理矢に、硯は笑みを深くする。
「その人の味わいですよ」
「味わい……」
不思議な名前、と呟きながらはっとする。いつの間にか硯のペースだ。
「とにかく俺は家に帰るの。ついてこないでよ」
このままでは硯のペースに呑まれて巻き込まれる。さっさと歩き出すと、硯がふっと噴き出した。
「先に私のあとをついてきた理矢くんには言われたくないですね」
「……ついていってないし」
家の方向が同じだけだ。勝手な容疑をかけないでもらいたい。乱暴に足を前に出していると、なぜか硯が隣に並んでいる。どんなに早足にしても隣に並んで歩いている。しかも理矢のできる限りの速度で足を進めても、硯は涼しい顔をして平然と歩いている。足の長さの違いを見せつけられたようで腹立たしい。たしかに身長一六七センチの理矢が見あげるくらいに硯は背が高い。スタイルもよくて腰の位置が高いのも腹が立つ。走ったら負けだと思うし、走っても追いつかれるに違いない。
どうしてかわからないけれど、硯には反発心ばかりが湧き起こる。早足を続けて息があがってきたので足を止めたら、隣の硯も立ち止まる。
「なんでついてくんの?」
「私も同じ方向だからですが?」
「だからって並んで歩かなくてもいいじゃん!」
笑顔で冷静に受け答えをされると、どうしてか硯に対してはむっとなる。不可解な感情に内心首をかしげながら、口から勝手に言葉が飛び出ていく。よくしゃべる口だな、と理矢自身も驚く。自分がこんなにあれこれと言うタイプだとは思わなかった。
また足を出し、ずんずんと歩いていると、やはり隣に並んだ硯が顔を覗き込んできた。慌てて足を止めて頭を引く。
「な、なに?」
「理矢くん」
「だからなに?」
微笑んでいるのになぜか怖く感じる。心の中でびくつきながら、精いっぱいの虚勢を張る理矢に、硯はさらに目を細めた。
「よかったらうちに遊びに来ませんか?」
「は?」
行くわけないじゃん。