夜道は暗いどころか
メリアとガムランは宴が始まったドラゴネシア伯爵家から抜け出すと、まずはキャルスレート地区へと向かった。王都に来るまではメリアも自分の愛馬を御していたが、彼女の馬は生粋のドラゴネシア種ではないためか完全にへばっていた。
そこでガムランはメリアを自分の前に乗せ、目的地へと向かっている。
もちろん、向かう先には前触れを出している。
母達から奪われたペンダントをしていたことをメリアに見咎められた女、セシリア・カラマフ男爵夫人の自宅に手紙を届けさせたのだ。
「あなたの大事なコケモモのペンダントの来歴が知りたいわ。今夜あなたのお宅に伺いますわね 歌劇団にて濡れ衣を着せられた女より」
しかし、とガムランは思う。
どうしてその女はメリアに誤魔化そうとしなかったのか、と。
宝石が嵌っていようと宝石としてはそれほど価値のあるものじゃない、その程度の銀細工のアクセサリーでしか無いのだ。
古物商かマーケットで売っていたと答えれば良いだけの品であるのに、その女は過剰に反応してメリアを歌劇団から追い出すほどの大騒ぎをしたという。
「これはわたくしのものよ。お母様から頂いた、お母様の大事な思い出だった品ですの!!わたくしから奪おうとなさらないで!!」
「どういうことなんだろうな」
ガムランは溜息を吐くために空を見上げた。
そこで彼は自分が楽に呼吸をしていると、今さらに気がついた。
夜も遅く街灯どころか月明りもほとんどない、というのにだ。
ガムランは暗闇の中にいるというのに、いつものように恐怖に縛られるどころか、子供時代にダーレン達と草原にテントを張ってキャンプをした日のような、ワクワクする心持ちばかりなのである。
これもあのおっかない女のお陰なのかな。
あの日は、ダーレン達さえ半泣きで「待って止めて」と騒ぐだけだった。
それで俺も子供に戻って大泣きができたんだ。声を上げ。助けて、と。
だから俺は楽なんだ。もう無理に我慢などする必要は無いから。
そうだ、俺は四兄弟の中で一番恰好悪いのだ。そんなことは誰もが知っていることなのだから、勝手に湧き出てどうにもならない恐怖心を押し殺して取り繕う必要など全く無いのだ。兄達がいるのだから、怖いと言って泣いて良いのだ。
ガムランはようやく箱の中から解放された気持ちになっていた。
月が無くとも夜空は真っ黒どころか薄紺色で、星もあり、月を隠している雲だって良く見える明るい世界じゃないか、と。
否、当たり前で知っていた情景であるはずなのに、彼は初めて夜空を見上げた様な感覚となっていたのだ。
そうだ。
リュオンだって、一人生き延びた俺を恨んではいないはずなのだ。
ガムランは生き埋めにされた時の記憶は少し残っていた。
彼は自分ともう一人が狭い箱の中で泣きわめき、どんどんと冷えて息苦しくなっていく中で、互いに抱きしめ合っていたことも覚えていたのだ。
三歳児が覚えていられる微かではっきりしたものではなくとも。
それでも彼は分かっていた。
自分は生き残ったが、もう一人の相棒は死んでしまったということは。
その子が、肺炎で死んだことになっているダーレンの弟だってことも、彼だけは覚えていたから知っていたのだ。
知っていたから罪悪感ばかりだったが、今夜初めてガムランは、リュオンが一人生き残ったガムランを恨んでいるはずは無いと思えたのである。
ガムランは指先で乱暴に涙を拭う。
そして決意した。
自分がダーレンの弟の命と引き換えに生かされたならば、自分はダーレンの誉れとなりダーレンのために命だって賭けよう、と。
そのためには、まずは復讐、だ。
ガムランが決意で膨らませた胸に、メリアが頭をこてんとぶつけた。
それから、にやりと少年のような笑顔でガムランを見上げる。
こいつめ。
「行き先は治安の悪いキャルスレート? あの女は貴族のくせに貴族街のフォードリア地区どころかハルピアス地区でもなかったのね」
「男爵程度はフォードリアに住めやしないし、脛に傷を持つ人間がハルピアスに住めるものか。自殺行為だ」
「うそ。あそこは治安も良くて裕福な人達ばかりの地区じゃない」
「あそこは引退した高級使用人だったジジババが住む街だよ。どうして治安が良いと思う? 目敏い彼らが犯罪者に気付かないはずはない。常に誰かの目がある恐ろしい地域だよ」
「え。明るくて素敵な場所だから、いつか住みたいって思ってた。だって、リカエルはあのあたりに不動産を沢山持っているでしょう?」
「あいつはだから凄いし情報通だ。あ~あ。だからあいつは兄ぃ達全員の良く出来た弟なんだろうな。頼られるのはいつもあいつ。俺じゃない」
「だから行方不明になったベイラムを、あなた一人で探し出そうとしたのね」
「結局は、お前に助けられたけどな」
「そうなんだ。私はあの時全部ガムランに助けて貰ったって感じだったから、役に立てたんだって思ったらすごくうれしい」
ガムランはメリアの純粋な喜びの笑顔で自分の喜びも沸き立ったが、何故か胸のどこかがきゅっと傷んだので胸元の布を握った。
自分はリカエルより半年も年上のいい年した大人だ。
それがどうして、十代になったばかりのガキの振る舞いをしているんだ。
女の笑顔に一喜一憂しているなんて。
それも、メリア、だぞと。
「ねえ、私のどんなとこが役に立った?」
「うっせえよ。この歩く当たり屋が。あ~用足しがしたい。あそこに治療院がある!!で、ベイラム兄貴を見つけてくれてありがとよ」
「そっか。それだけか」
「ばあか。お前がいてくれて良かったよ。お前が一緒だったから、ドラゴネシアには無いこんなうねった細い道でも、俺は苦しくならずに前に進めるって。うっ」
ガムランの胸を強い衝撃が襲った。
メリアが馬上の二人乗りという状況を忘れ、無駄に大きな素振りで振り向いてガムランに抱き着こうとしたせいで、バランスを崩したメリアのボディアタックを受けることになったのだ。
「ああ、ごめん」
「やっぱ。お前は今も昔も役立たずってことにする」
「もうって、むぐ」
ガムランはメリアの口を塞いだ。
それから彼は周囲を伺う。
悪意を持った者達が自分達の周りを囲み始めた事に気がついたからである。
「前触れを出して置いて良かったな。弱い奴は強い奴を必ず雇う。俺達の家庭教師センセイとその恋人だけで、あのドラゴネシアで人殺しをしておいて逃げ切れるわきゃ無いんだよ」
ガムランは彼らへの包囲網を距離を狭めつつ近づいてくる気配を読み、そこで更なる存在を感じてぶるっと震えた。
そしてその存在で場が制圧されたと感じたそこで、彼は敗戦しても逃げ帰ることも忘れて脅えるジサイエル兵の気持を初めて知った。
動いたら殺される。




