思い出を探りに行くにあたり の1
ベッツィーは思い出したからと、謎の女性名のメモに書き込みをした。
そもそもダーレンの母が友人達にお揃いで作ったペンダントは、女学校の卒業記念だという。そこでと、ベッツィーは女学院時代の学友の名前を書き込んだのである。
名前だけでなく悪意ある書き込みもあり、読んだヴェリカはベッツィーの女学院時代の恨みが見えたと吹き出しそうになった。だが、そこにはヴェリカも知っているが人には言えない情報もあったと驚く。
エメリア・ロゼ→ブリューア夫人
偽名を使うセシリアの本名が、セシリア・ブリューアなのである。
家名を変えただけで別人のふりが出来ると思い込んでいるセシリアに、実はヴェリカは色々言ってあげたい。だが、セシリアが姿を消すかもしれないとリカエルが恐れていることを考えると、消えたとしても簡単に見つかりそうな彼女に変なアドバイスをしなくて良かったと今では思う。
けれどこのブリューア夫人とセシリアが関係あるはずはない。
それ程世界は狭くないはずだわ。
ヴェリカはブリューアなどクラヴィスでよくある名前だと自分に言い聞かせながら、特に気にしていない風を装ってベッツィーに尋ねる。
「このエメリア・ロゼだけブリューア夫人しか書いてないけど?」
「エメリア様は婚約者が決まっている方だったからか、皆様方から名前ではなくブリューア夫人と呼ばれていらっしゃいましたの。四人の名前を思い出すまでエメリア様のことは思い出しもしませんでした。あの方は他の四人とは違ってわたくし共に嫌がらせなどなさらない方でしたから」
「そう。エメリアさんは十五かそこらで夫人なんて呼ばれて可哀想ね」
「そうですね。早くに良い所に嫁入り先が決まった事への嫌がらせでしたから。本当にこの四人は嫌がらせをしないと生きていけないような方々で、私達もかなり嫌がらせを受けて苦しみました」
「女学校は怖い所ですのね。私は通えませんでしたから、羨ましいばかりに思っていましたわ」
「私達もそうです。だから夢を持って私達は寄宿舎に参りましたのよ。ところが、ドラゴネシア人はクラヴィスでは一段下に見られるようで、たった二年が二十年にも感じましたよ。身を寄せ合って慰め合って励まし合う。それでも今はいい思い出ですから、人間は不思議なものですね」
「リュシエンヌ様のペンダントには、戦友の証、という意味もあったのね」
「その通りです。キャサリン様のお持ちのもの以外全部奪われてしまいましたが」
「どうしてキャサリン様のペンダントだけは無事だったの?」
「ヴィヴィアン様が鎖を引きちぎってしまったそうで、修理に出していたことで盗まれずに済んだのですよ」
「まあ。キースがヴィヴィアン様に頭が上がらないのは、そんなお小さい頃からお母様の為にご活躍されていたからなのね」
「ハハハ。君って口が本当に悪い。では、そろそろ向かおうか。キースの実家に」
「ええ。参りましょう」
さて、その数分後、ヴェリカは自分の行動が浅はかだったと認めた。
ベイラムに抱き上げられて馬車に乗せあげられたこともダーレンに申し訳無いが、それよりも、ヴェリカは領主夫人の威厳などかなぐり捨てて叫びだしそうな状態になっているのだ。
「ああああ。私を落としたらダーレンが黙っていないわよ!!それよりも、私は死んだら、百年の呪いをあなたにかけますからね!!」
ヴェリカは座席にしがみ付けるだけしがみ付き、結局大声で叫んでいた。
過ぎ去る景色の中でドラゴネシアの人達がヴェリカに注目しているのはわかっているが、ベイラムが御する馬車は気取りかえって乗っていられる代物ではない。
先が丸まった木靴のような形をしたそれは、後部となる壁にベンチシートが貼り付けられているが、そもそも貴婦人が乗って良いものではない。
御者は立ったまま二頭立ての馬を操り、弓兵あるいは猟銃を持った兵が一人か二人一緒に乗り込んで、猛スピードで駆られる馬車から敵陣に向かって攻撃を仕掛ける目的のものなのだ。
「レティシアが大人しく我慢強い人なのは、ドラゴネシアの男は何を言ってもどうしようもない男ばっかりだからなんだわ!!」
「口は閉じておけ!!舌を噛むぞ!!」
ベイラムはヴェリカに楽しそうに大声をあげると、ギグをひく二頭の馬にさらに速度を上げさせた。大きな車輪は少々の道の悪さなど関係なく回るだけでなく、乾燥した道そのものに轍を深く刻み込む。
しかし馬車の動作は大仰そのものだが、乗っているヴェリカには揺れを感じさせない。けれどヴェリカは、馬車の安定した乗り心地に気がついてもいなかった。
彼女は覆いのない馬車に乗るのも初めてなら、身を縮こませてどこかに捕まっていなければ風圧で飛ばされそうに感じる経験など初めてなのだ。
「考えるべきだったわ。ドラゴネシアが誇る巨大馬車が移動型要塞でしかなかったのだから、ドラゴネシアの軽装馬車は軽戦車じゃないのって」
「ハハハ。ダーレンが喜ぶわけだ。こんなに持ち物を褒めてくれる奥方だ」
「褒めて無いわよ!!この非常識、ひじょうしき!!」
ベイラムはヴェリカに罵られる事が愉快でたまらないのか、はつらつとした大声を上げて笑う。ヴェリカはそんな朗らかなベイラムを睨みつけながら、どうして猫を置いてこいと言ったのかと自分を叱った。
あの楚々とした猫様にベイラムを操縦させておけばよかったのよ!!
「あなたを知らない私に、あなたを教えてくださりありがとう!!」
ガタン。
車輪が小石を踏みつけ、ほんの少しだけ馬車が飛び跳ねて揺らぐ。
!!
ヴェリカは馬車から投げ出されると脅えたが、彼女の体は飛び跳ねることもなく太い腕によって抱き支えられた。
そして気がつけば馬車の速度は落とされ、周囲は枯れた土地を感じさせない緑の風景と変わった。ハルメル伯爵家の敷地内に入ったのだ。
「あと数分もしないでキースの家の門扉に辿り着くよ。さあ、領主夫人らしくもう一度椅子に座り直そうか」
「ありがとう。領主夫人の威厳を取り戻す時間をくださいまして」
「威厳? この数分以内に俺が君を乱すのかもしれないよ。どんなに乱れた姿になろうが、君も俺もこれは馬車のせいだと言い切れる」
ベイラムはヴェリカに意味ありげな視線を向ける。
けれどヴェリカは己の危機など感じなかった。
自分の苦し紛れの当て擦りに彼は反応しているだけだと、わかっているから。
「ふふ。私が望む幸せは、最大なものも最小なものも、ダーレンが幸せであることが前提なのよ。あなたはその私の前提を踏まえて、私を判断するべきだと思うわ。ええ、貴方こそ自分の幸せを第一に考えなさるならば」
「それは君が知った俺をダーレンには伝えないと言う事か?」




