ここに黙ってはいられない馬鹿がいた
ヴェリカはリイナの反撃こそ待っていた。
それなのに、ヴェリカによるレティシアへの絶賛にすぐに賛同してきたのが、リカエルの母のナタリアだった。
彼女はヴェリカの真ん前にまでやって来て、ヴェリカの右手を両手で包む。
「そうよ、あなたの言う通り。ドラゴネシアの方達は神様みたいに綺麗なのよ。なのに、何故か自分が醜いって思い込んで、服を自分を隠す鎧みたいにしてしまう人達ばかりなの。あなたのお友達のドレスデザイナーを、ぜひぜひご紹介いただきたいわ」
ヴェリカはナタリアに、ぜひ、と無邪気そうな笑みを崩さずに返す。
内心は、これ以上は言えなくなったと、喚いていたが。
このナタリアという女性は、自分一人クラヴィス人だからと三婆の右に倣えをしている控えめな人という触れ込みばかりだった。
でも、やはりリカエルを産み育てた人なのだわ。
賢く状況を見て動き出すところは、リカエルそっくり。
ナタリアがヴェリカに待ってましたとばかりに賛同し、ヴェリカの意見通りなのと嬉しそうに三婆達を賛辞してきたことで、三婆をこれからやり込める手は悪手となったと、ヴェリカは心の中で歯ぎしりした。
もし私が少しでもナタリアの友人達を傷つければ、きっとこのナタリアこそが私の敵として私を潰しにかかるわね。
ヴェリカは作り笑顔をナタリアに向ける。
「ドラゴネシアに到着した日は、ええ、皆様と色々お話しできたらと思っていたのに残念ながら叶いませんでしたわね。ですが、これからはお話させて頂けるようで、たいへん、光栄ですわ」
少々の当て擦りぐらいは許していただきませんと。
すると、ナタリアは胸に手を当てて、身分の下の女性が身分が上の女性に対するようにしてひょこんと腰を下げる礼をヴェリカに返したのだ。
意味は、今後はご随意のままに、であろう。
ヴェリカは内心で舌打ちをして、それからナタリアに対して自分こそ同じ礼を返す。こちらは、生意気を申しました、ともとれる礼だ。
社交界の掟は無駄な争いを良しとしない。
陰口や嘲笑での弱者へのいたぶりなど日常茶飯事であるのに、表向きはこうして仲良しを演じ合うのである。
ヴェリカは社交デビューはしていないが、母親の存命中は母親から社交の振舞い方を仕込まれていたし、母亡き後は権謀術数に長けた執事によって社交術と場の読み方などを教わっている。
「あなたが頭を下げる必要などありませんわ。あなたはドラゴネシアの領主夫人なのですもの」
ヴェリカはナタリアを見上げる。
ドラゴネシア女性よりも小柄だがヴェリカよりはずっと背が高い美女は、ヴェリカに対して慈しみを感じさせる眼差しで見つめていた。
ヴェリカと目が合えばナタリアは目を細め、リカエルそっくりの目元に笑い皺を作った。
「辛い思いをさせてしまって本当にごめんなさいね。私達があなたを傷つけたって、リカエルに叱られたわ。ハリネズミが針を立てたら誰も慰められなくなって、ボッチの可哀想な奴になるんだぞって」
「ぼっちのはりねずみ」
「ぷっ。ごめんなさいね。あの子の言う通り。あなたはとっても可愛いわ」
「まあ、ありがとうござ」
「それで、あの子のセシリアとはどんな方?」
ひゅっ。
ヴェリカから変な吐息が漏れる。
「あら、ナタリア!!私達を褒めてくれるのはあなただけだし、あなたは華奢で美しいからそう言えるの。リカエルだってあなたに似たから、ドラゴネシアにはいない美男子じゃ無いですか。猫ばかりに夢中で未だ独り身のうちのモテない息子とは大きく違うわ」
「あら。シェリル。ベイラムが猫に夢中なのはモテないからでは無くて、忘れられない方を想っているからって有名でしょう」
ベイラムの母シェリルが、自分の息子がモテないのは外見のせいだと声を上げた。するとナタリアはベイラムを庇うためか、ヴェリカから意識を外してシェリルに言い返す。その後はキース母のキャサリンにガムランの母クリステルと息子達の不甲斐なさ主張大会となり、しばしヴェリカやレティシアなど、彼女達に忘れ去られた存在となった。
ヴェリカはナタリアが自分から離れた事でホッとしていた。ナタリアはリカエルの母だけあり人たらしで、ヴェリカに亡母を思い出させてしまうのだ。
ヴェリカは叔父の妻が最初はヴェリカに優しく近づき、ヴェリカが警戒を解いたと見るや本性を露わにした事を忘れはしない。
母親の形見の宝石はギャリクソンによって取り戻せていたが、母がヴェリカに譲ろうとしていたドレスもコートも台無しにされてしまった。二度とあれらの品がヴェリカの手元に戻ることはないのだ。
「――兄さん達に出会いが起きないのは、ドラゴネシアと結婚する人は財産目当てって言われているからだわ」
レティシアの声に、ヴェリカは過去による喪失感から引き戻された。
否、ヴェリカを引き戻したのは声じゃなかった。
レティシアの言葉そのものが、ヴェリカを喜ばせたのだ。
レティシアがリイナが広めた噂を捻じ曲げた!!
元は、醜いダーレンの婚約者の座を望む女は財産目当てしかいない、だった。
ダーレンの部分をドラゴネシアに言い換えることで、この噂こそドラゴネシアを貶めるものとなったのだ。
ダーレンはドラゴネシアそのものだから、間違いどころか真実なんだけど。
ヴェリカは尊敬のまなざしを親友に向けたが、聡明な親友は自分のセリフの影響にすぐに思い当たったようで、あたふたとした顔つきとなっている。
なんてお優しくて善人なのかしら。
噂を流した本人がこの先ドラゴネシアを侮辱した咎で生活しにくくなっても、そんなの別に自業自得でしょうに。
それに、この場の婦人方は誰もリイナを責める気は無いのだから、黙っていればいくらでもやり過ごせる。ただ、これからいつか誰かに名指しで断罪されるかもしれないと脅え、今後は小さく慎重に生きて行かなければいけないかもだけど。
でも、人を傷つける噂を今後吐かなくなるなら、ドラゴネシアにもリイナにも良いことよ。
「あら、財産目当てと言われたくないって理由で引き下がるのは、財産目当てであった証拠でしょう。小母様方。まだ未婚のガムラン様とベイラム様、それにリカエル様が、財産目当ての女性に騙されなくて良かったと思うべきですわ」
ヴェリカは、馬鹿発見、とリイナへと顔を向ける。
たぶん、彼女はリイナのことを好きになっていたかもしれない。
ヴェリカは砲弾を準備したならば、絶対に砲撃しなければ気が済まない人だ。
「まあ!!よくぞ言ってくれました!!そうよ。そんな噂などに惑わされなかったことで、そのお相手が愛を貫いていると言えますものね。何と言われても平気。だって、私は彼を愛しているから、ですわね!!」
リイナを叩ける!!
その喜びでヴェリカの声はかなり弾んでいた。




