停滞した世界を動かすのは新しき風
ヴェリカはレティシアとの再会を喜んだ。
レティシアが自分を何の打算なく好いてくれていることを知り、ヴェリカの中で自分が無視していた孤独に気付かされてしまったが、それでも彼女は喜んだ。
レティシアが自分を求めていたという事実が、その気付いたばかりの孤独をさらさらと溶かしてくれているのだから!!
「聞いて、ヴェリカ!!って、ダーレンは何をしているの?」
「私が四婆に報復に行かないように私を捕らえているのよ。でもご心配なく。彼は私を膝に乗せた状態でも、上手にお茶を淹れられるようになったから」
レティシアは眉毛が一本に繋がるぐらいに眉間に皺をよせ、誰もが恐れ敬うドラゴネシア王その人を挙動不審な人を見る目で見つめる。だがダーレンはそんな視線などものともしないで、使用人が彼の真横に置いて行ったワゴンカートに上半身を乗り出し、片手だけでとっても器用に紅茶ポットから茶をカップに注いでいくではないか。
唖然とするレティシアの目の前に、ダーレンによって紅茶入りのカップがそっと置かれた。訓練された召使がするように無言の中で。
次にダーレンはプルプル震えるミルクムース入りのカップをカートから一つづつ取り上げては、やはり手慣れたようにしてレティシアとヴェリカのそれぞれの前に置く。自分はヴェリカの影でしかないという風に、まるで小間使いのように粛々と。
レティシアは大好きで憧れてもいた従兄に対し、かなりがっかりした衝撃を受けていた。どうしたのと尋ねたくてたまらなかった。
が、レティシアは淑女教育が徹底されているご令嬢である。
それゆえに淑女としての慣習から抜け出せなかった。
何も見なかった事にして、ヴェリカと会話を続けることにしたのだ。
「ええと四婆に報復? って、どういうことかしら。晩餐会で何かあったの?」
「晩餐会なんて無かったわ。彼女達四人は私に対してドアを閉ざしてしまったの。私を領主夫人と認めたくないようよ」
「なんてこと。たぶんリイナのお母様と四婆は親友だってことで、義理立てしたのだと思うわ。なんて浅はか!!こういう時こそ感情は後にするべきなのに!!」
「うふふ。あなたもドラゴネシアね。勇ましい怒り方だわ。ねえ、ダーレン」
ヴェリカは自分の大きな椅子の鼻の頭を指先で撫でる。
するとその椅子男はくすぐったかったのかびくっと震え、ヴェリカに差し出していたスプーンの先から一口分のムースが落ちてしまった。
そしてそれがくしゅっと落ちた先はヴェリカの手の平。ムースのかけらを受け止めた彼女はクスクス笑い、自分の手の中の白いムースを舌で舐め取る。
「美味しくてよ。ダーレン」
「うぐっ、う、う」
「……ダーレンはどうしちゃったの?」
レティシアは怖々とヴェリカに尋ねる。
ダーレンがぎゅっと眉間にしわを寄せ、苦悶の顔を作って唸ったのだから。
しかしヴェリカはダーレンを思いやる素振りどころか、艶然と微笑むだけだった。その上、いつでもヴェリカの味方でいたいと望むレティシアでさえ、人でなしとヴェリカに叫びたくなるセリフを口にしたのである。
「レティシア。ここにはダーレンという名の大きな椅子はあるけれど、ダーレンという人はいないのよ」
「えええ?」
「ねえ、お椅子さん」
「う、ううむ」
「うふふ。椅子でもちょっと壊れかけの危険な椅子ね。座り心地も悪くなってきた所だし、レティシア、お部屋を変えましょう」
「い、良いの?」
「私は女学校に通った事が無いから、あなたとのお喋りの時間は、とても大好きで大切なの。誰にも邪魔されたくないのよ」
ヴェリカはすっと立ち上がる。
すると、ヴェリカという重石を失った椅子は、ごろっと横倒しになってしまった。まるでソファーの座面に抱き着くようなうつ伏せで。
レティシアがダーレンに向ける目は、今や完全に残念なものを見る目だ。
だが、ソファにうつ伏せになっている大男から、悪魔め、と呟きが発せられるやヴェリカが大男の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
その瞬間、レティシアの視線は呆れたものから憧憬と悲しみばかりになった。
ヴェリカはレティシアへ手を差し出す。
「ゆっくりお話を聞きたいわ。あなたの」
「ありがとう。ヴェリカ」
そうして二人は部屋を変え、改めて二人だけの茶会を始めた。
けれども四婆がヴェリカを締め出す言い訳に使ったドラゴネシアの祭りの詳細をレティシアから聞いたところで、再びその部屋も急いで出なければと二人は思った。
思ったどころかすぐに実行に移した。
ドラゴネシアの冬の前の祭りは、女性から男性へ刺繍したハンカチを贈って告白するのが習わしなのである。
この年のジサイエル軍は夏に侵攻してきたが、例年は冬が始まる前にドラゴネシアから小麦を奪う目的もかねてやって来るのだ。だからこそ冬前の祭りは、愛する人の命を守ってくれと、願いを込めたハンカチを愛する人に贈るのである。
それを聞いたヴェリカが、愛するダーレンにハンカチを絶対送らねばと勢い込むのは当たり前だ。また、レティシアによる刺繍ハンカチは、ギランこそ受け取って喜ぶだろうとヴェリカは思ったしレティシアにそう告げた。
「ほんとうに? ヴェリカ?」
「絶対よ。ダーレンやギランのような人は釣り針にかかるのを待っちゃ駄目なの。積極的に銛でついて仕留めるの」
「ハンカチが銛になるの?」
「あなたが刺繍したハンカチならば、ギランの胸にぜったい刺さるわね」
「――やるわ」
「あら、お久しぶりレティシア。婚約破棄されただなんて辛いわね」
ヴェリカはとてもついているわ、とほくそ笑む。
レティシアと手芸店に入った所、店内には四婆達と見られる女性と、今こうしてレティシアに失礼この上ない言葉をわざわざかけて来た女に出会えたのだ。
レティシアが無意識で動かした唇の動きによると、この女こそリイナ。
レティシアって出会いを呼ぶ女神かもしれないわね。
椅子さんは、膝にのせていた美女が夜を連想させる素振りをしてくれた事で、純粋な妹には絶対に見せてはいけない大変な体の痛みに苦しむことになったのでした。下品回で申し訳ありません。




