エピローグ
とある日の早朝、王都にて騎士の暴動が起きた。
貴族のタウンハウスが並ぶ一角にて閉じ込められていた姫の奪還が行われ、同時刻には王都の金融街にて財宝の強奪が行われていたのである。
そんな語りで始まるドラゴネシア侯爵とイスタージュ伯爵家令嬢の婚姻劇は、王都では知らないものはいない程有名な伝説である。
歴史あるイスタージュ伯爵家のタウンハウスは、ドラゴネシア侯爵と近衛騎士の一群よってこれ以上ないぐらい破壊された姿となったのは事実なのだ。
しかし、財宝の強奪は脚色されすぎたものである。
事実は、数人の財産管財人を引き連れて銀行の窓口に参上した老紳士、ヘンリー・ギャリクソンが、令嬢が受け取るべき正当な遺産を受け取ったというだけなのだ。
隠し金庫で保管されていた財物を受け取ったギャリクソンは、この上なく幸せそうにして下記のように語ったという。
「旦那様と奥様にようやく素晴らしいご報告が出来ます。お嬢様が奥様と同じ宝石を纏って嫁がれる姿を目に出来るとは、老体に鞭打って生きてきたかいがありました」
ギャリクソンは元イスタージュ伯爵家の執事であるが、もともと令嬢の母方、クーベリ家の従者だったそうである。誰が令嬢から盗まれた母の装飾品についてクーベリ家の財産管財人に伝えたかは、考えるまでもない事だ。
さて、ドラゴネシア侯爵の結婚騒動の数か月後、王都ではやはりドラゴネシアの名で騒動が起きた。
国中の女性の憧れとなっている近衛騎士、ジュリアーノ・ギランと、ドラゴネシア伯爵令嬢の婚約発表である。
麗しの御仁が婚約したから騒がれたのではない。
不美人と有名だったレティシア・ドラゴネシア伯爵令嬢が、誰もが感嘆し、国一番の美女だと言ってしまえるほどの美しさでギランの横に立ったからである。
レティシア嬢は誰をも魅了する笑顔で、とあるドレスデザイナーの名を告げた。
「彼女はドラゴネシア侯爵夫人の衣装も手掛けていらっしゃるの。彼女は誰をも綺麗にしてしまえる魔法を使えるデザイナーなのよ」
レティシア嬢の言葉により、そのデザイナーが経営する店に、若い娘を持つ母は勿論、自分こそはその美女となる魔法にかかりたいと望む客が殺到している。
この文をお読みになった方は、店名など聞かずともその店がどこかご存じであることだろう。レティシア嬢の言葉が無くとも、その店は開店するや半年もかからずに有名店と成長してたのだから。
ヴェリカは結婚してから今までのことを思い出せるからと、自分とダーレンの記念日にちなんだ日付の新聞をコレクションしている。読んだばかりのそれはヴェリカには記念日ではないが、ヴェリカとダーレンの結婚騒動について記載しているので大事に取ってある。
親友の店は繁盛して、その親友はヴェリカの妊娠によって、子供服やぬいぐるみなど、新しい分野に手を広げようとしている。
「ふふ。できる人は本当に何でもできるのね」
ヴェリカは自分の実家のことを想った。
叔父のベイリー・イスタージュは、ダーレンの所業により心が折れた。
彼は心身の消耗を理由に爵位を返上したが、なぜかジュリアーノ・ギランが遠縁として爵位を受け継いだことはヴェリカには驚きである。なぜかは、イスタージュの系譜にギランの家系は触りもしないはずなのだ。
でもヴェリカはそんな疑問を口にはしない。
ベイリーによって惨憺たる状況の領地が、ギランの手腕とドラゴネシア侯爵の融資で再生しようとしているのだから。
「エヴァンスがマナーハウスから出て来て采配を握ったら、その後に起こることは見ざる聞かざるしろってお父様がおっしゃってたもの。それにしても、どうしてエヴァンスはあそこまで叔父を好き勝手にさせていたのかしらね」
「あそこまでボロボロの領地を、伯爵になれるとしても誰も領主になって受け持ちたくは無いだろ?そういうことだ。そもそもエヴァンスは君が成人したらすぐに、イスタージュ家の特記を使って君を女伯爵にするつもりだった。君の幽閉を見逃したのも、叔父家族と君は違うと一線を引いておくためだ。あの男は怖い。ギャリクソンが君を見守っていてくれて助かった」
ヴェリカは自分の向かいのソファに座り、自分の独り言を聞いていたどころか一挙一動をはらはらしながら見守ってくれる夫に微笑んだ。
ダーレンは、ヴェリカが爆発しそうだと、毎日ビクビク脅えて大きな体を日々小さくしているのだ。
夫婦げんかではヴェリカがいつも勝つ、それでダーレンが小さくなってしまったのではない。
ヴェリカは自分の大きく膨らんだお腹を撫でた。
ダーレンが爆発したらと脅えるのは、ヴェリカのお腹に対してだ。
ぽにゅ。
「え?」
「ヴェリカ、お腹が痛いのかな?」
「いいえ。あなた。今蹴られたの。この子の足の裏を感じたわ。きっとあなたに似て体のしっかりした素敵な子ね」
恐ろしい男と脅えられ、彼が笑うと乙女が気絶するとまで言われた男は、砦を揺らすほどの大声で笑い出した。
それは喜びをあらわしているどころか、乾いている空虚なものだなとヴェリカは不思議に感じた。そこで彼女が彼をが見つめていると、笑いを収めた彼は、ごめん、とヴェリカに謝ってきたではないか。
それはもう真っ青な顔で。
「何がごめんですの?」
「俺は大きかった。すごく大きかった。母も凄く大きな女性だったから耐えられたが、君は凄く凄く小さい。なのに、俺は凄く大きな子供だったんだ」
ヴェリカは腕を広げる。
ダーレンはすぐさま立ち上がり、彼女の横に座り直した。それから、彼女の腕に素直に抱かれる。
「ああ。君が壊れてしまったらどうしよう」
「あなた、私のお父様は大きな人だったの。私はお父様の方のおばあ様似だから大丈夫。小さな鼠こそ多産だから大丈夫よ」
数か月後、ドラゴネシア侯爵は跡継ぎを手に入れた。
生まれた子はとても小さかったが、そのお陰か出産後の妻も子も心配のない健やかな状態であった。ほっとし過ぎた彼は、ネズミの赤ちゃんだ、と口を滑らして子供の母親をとっても怒らせた。