二人目、そして桜の木の下
ご覧になってくださり、ありがとうございます。
桜の木のした。
アグリは、ものすごく、とてつもなく緊張していた。
「何しに来たの?」
気分はまるで教室にていじめっ子のスクールカーストぶっちぎりなギャルに話しかけられたとき、まさにその時の気分である。
いや、実際のところ、本の内容によればアグリのほうこそいじめっ子でしかないのだが。
それにしても、アグリはほとほと困り果てていた。
いったいどうして? 本のなかではこんな展開は起きなかった。
怒れてくるのを、しかしアグリは負の感情を上回る歓喜に忘却させられる。
きっとこれは、物語の中の語られない風景なのだ。
マンガで例えればコマとコマの合間の出来事、ほんの少しの呼吸の時間。
わざわざ描写していたらインクと紙がいくつあっても足りない。
しかし物語の中に生きる今の自分は、それらの積み重ねを直に体験できるのだ。
喜びが痛みを、悪漢たちに殴られた痛みを忘れさせてくれる。
ような気がした。
「治癒魔力を注ぎました」
しかし実際には聖女が、とても便利な癒しの魔力を自分に注ぎ入れていただけであった。
「世にも珍しい回復、癒しの効能をもった魔力の色」
アグリは魔力の流れを耳に、猿の獣人としての肉体を持つ己れの魔物族としての感覚に感じとる。
思えば魔物としての体に転生して、良いと思えるのはなかなかにたくさんある。
魔力という媒体を活用出来る生き物。
人間じゃない何かになれた。
死ぬ前の夢としてはなかなかに素敵ではなかろうか。
「お嬢さま」
夢心地になっていた。
アグリの少しばかり大きい耳に、聖女ソフィアのひんやりとした指先が触れていた。
驚いて、アグリは聖女ソフィアのことを見つめる。
アグリの烏龍茶のような瞳と、聖女ソフィアの青い目がぶつかり合う。
「お嬢さま」
聖女はアグリに問いかける。
「貴女は本当に、このまま処刑をお待ちになられるのでしょうか?」
アグリは聖女の目に、どこかつよく切なる期待を感じ取っていた。
「お、おほほほ」
アグリは、未だに上手くできていない気がする演技で、自らが望むべく物語の結末へ、言葉を紡ごうとした。
「大嫌いな、憎むべき相手をついに処刑できるのでしょう?」
聖女が首をたてに降る。
肯定を、アグリは快く受け止めていた。
「それもそうでしょう、わたくしは貴女にとってただのいじめっ子、憎むべき相手なのだから」
聖女は静かな視線を、水面のように揺らす。
「愛しの彼を殺し、貴女は悲しみのなかでわたくしを処し、残りのキャラと新しい門出を進むのよ」
主人公には最高のハッピーエンドを。
アグリは、本に願いをかける。
「貴女は、わたしを殺して幸せになるの」
アグリはその後に続く展開、ハッピーエンドへの道筋を確認する。
「領主としての生活を送るなかで素敵な相手と出会い
子供をつくって、安息の終息へと向かうのよ」
何度も何度も読んで、もう内容だって暗記している。
主人公が幸せになる、アグリになる前の誰かも、そこに救いを見いだしていたはずだった。
だから。
「殺してやる」
アグリは、今、聖女に殺されそうになっている自分自身を理解することができなかった。
「殺してやる」
そう、広い意味では聖女は悪役を殺す。
悪役令嬢は、善に排除されるべきなのだ。
「殺してやる」
だけど、どうして聖なる彼女が、自分なんかをわざわざ殺してしまうのか。
これでは、読者に文句を言われてしまう。
読者について考える、思考は魔力に些細な変化をもたらす。
感情の動きが、ナイフのように研ぎ澄まされた聖女の憎しみに作用する。
「私が殺した」
なんの話だろうか? 聖女のはじめての殺害は自分、ただ一人だけのはず。
アグリが疑問に思うのを、聖女は苦しそうに見つめている。
首を絞める手が、圧迫が強くなる。
「私のはじめて、大切なはじめて、あんな奴にとられちゃった……」
まるで幼い子どものように、聖女は無きべそをかいている。
ぐずぐずと泣く、アグリはことの真相を自らの手でつかみとっていた。
そうか、人気投票一位は自分が殺したのではなく、聖女である彼女が殺したのだ。
「はじめては、大好きな貴女にあげたかったのに」
愛の告白。
アグリは感情の激しさを理解することができなかった。
「誰かに先に殺されるなら、私が、私だけの手で殺したい」
アグリは今まで他人に、こんなにも強い愛を向けられたことがなかった。
「殺したい、殺したい、殺したい、殺したい」
聖女が、見るも恐ろしい怪物に変身するのを見た。
アグリは自らをとらえる怪物に、大量の燃え盛らんばかりの情欲を浴びた。
「私だけの、この世界で本当の愛しい人」
桜の甘いにおいが、毒気のようにアグリの思考を侵略する。
…………。
「本当のところを教えてもらいたいのですよ」
キンシは、モモイロを破壊しようとした人気投票第三位、金髪のナンパな男性を蹴り飛ばしていた。
「ガフッ……!」
すでに魔法少女の手でボコボコになっている。
しかしなおも気丈に、三位は反抗心を余所者魔法少女に向けてきている。
「お、お前に何が分かる……!」
彼は、彼女たちについて知っていることをベラベラと話し続ける。
読んでくださり、ありがとうございました。