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童話・SF・その他

メアリ、走る。

作者: 彩瀬あいり


 メアリは激怒した。

 必ず、兄の婚約者だというあの令嬢を排除しなければならぬと決意した。


 メアリには政治はわからぬ。政略結婚など、兄を思う心の前には塵と化す。王太子である前に、彼は兄なのである。


 メアリはまだ子どもである。王宮の庭を駆け、まりで遊ぶことを好んでいる。

 けれども、悪意に対しては人一倍敏感であった。




 兄は、今日も婚約者の伯爵令嬢と会っているという。朝食の折、そう語っているのを耳にしている。

 初めのころは、紹介され、共に過ごすこともあったが、最近では遠ざけられている。大好きな兄と引き離され、メアリは歯がゆい思いを抱えていた。



 侍女がブラシで梳くと、メアリの美しい黄金色が輝く。

 艶やかなそれをまとめるように飾られた赤いリボンは、兄からのプレゼント。

 誰もが誉めそやす美しさを持っているメアリであるが、しかして我儘な娘でもある。落ち着きのないメアリを侍女がやんわりとたしなめるが、今日はいつも以上にもどかしい心を持て余す。


 行かなければならぬ。

 無性に気が急いて仕方がない。

 侍女の手が離れた隙に、メアリは飛び出した。



「あっ!」


 シーツ交換にやってきたメイドが開けた扉をすり抜けて、メアリは長い廊下を走る。

 すれ違う使用人たちが驚きの表情で見やるが、誰もメアリを止めることはできない。


 メアリの足は速い。持久力もある。

 ふっくらとした絨毯敷きの廊下を駆け、階段を一足飛びに降りていく。使用人らの腰ほどの背丈しかないメアリであるから、皆が気づいたときにはすでに手の届かぬ位置へ進んでいる。


 兄がいるのはおそらくこちらだ。

 令嬢と過ごすのは、南の庭園。

 そこを目指して、メアリはただ走る。



 青々と茂る草木の匂いが鼻をかすめる。

 花の蜜より、こちらのほうがメアリは好きだ。

 生垣で区切られた散策用の道を抜け、メアリはその先にある開けた草地へ向かう。

 休憩用の四阿あずまやがあり、整備された草地はガーデンパーティにも使われる場所。王太子と、未来の王太子妃の逢瀬である。遮蔽物もないそこは、不審者対策に相応しい。

 護衛は近寄りすぎず、されど彼らが視界に入る場所で見守っていたところ、黄金色が視界を走り、赤いリボンが風になびいた。メアリである。



 メアリは一直線に彼らに走る。

 草の揺れる音に振り返ったのは、メアリの兄。

 メアリは愛する兄をよそに、その隣に立つ令嬢へ向けて足を蹴った。

 体当たりするように飛び掛かると、令嬢はその勢いに負けて転倒する。柔らかな草地は衝撃を吸収するが、か弱き貴族令嬢は顔を顰めた。


「こら、メアリ。やめなさい」


 兄が諫めるが、メアリは聞かぬ。ぐりぐりと顔を押しつけて、令嬢の身体を兄から離そうと試みる。悲鳴など知ったことではない。

 離れろ、忌々しい女め。

 不機嫌さを隠そうともしないメアリのようすに、兄はいぶかしみ、見守っていた護衛たちも近づいてくる。


「殿下、どうなされましたか」

「僕は平気なんだが、メアリが……」

「こ、これは――っ」


 片方の護衛が気づく。メアリが覆いかぶさっている令嬢のすぐ脇に、光輝くナイフがあったのだ。


 守り刀を所持する貴族は多い。それは子女であっても例外ではなく、警備の厳しい王宮であっても咎められることはない。

 まして彼女は王太子の婚約者だ。名のある伯爵家の令嬢であり、必要以上に疑うのはむしろ失礼にもあたる。

 だが、それが剥き出しの刃であれば話は別だ。


 護衛が拾い上げたそれを見て、令嬢は顔色を変える。護衛もまた、顔色を変えた。

 王家の護衛は暗殺に対処するべく、多くの知識を宿している。その彼が、陽光に輝く刀身になにかが付着していることを見過ごすはずもない。


「これは、どういうことですか」

「し、知らない! 私は悪くない!」


 声を震わせる令嬢をメアリは睨む。殺気にも似たまなざしに令嬢は怯み、悲鳴をあげる。

 ただならぬ騒ぎに人が集まってくるのに、さして時間はかからなかった。






 メアリの兄は、国王にとって、遅くに生まれた王子である。

 待望の世継ぎに民は喜んだが、その影には泣いた者もいた。王弟を次代の王に推していた派閥がそれである。


 件の伯爵家は、隠れ王弟派であった。王太子を亡き者とするため、娘を送り込んだのだという。

 娘が所持していたナイフには即効性の毒が塗られており、ほんのわずかでも肌に傷をつけると、そこから毒が浸透し、命を奪う強力なものであった。


 そのまま順調に関係が進めば、むしろ王妃の父という後ろ盾を得たであろう伯爵の真意はなんだったのか。

 それはこれから明らかとなるだろう。



 婚約が破棄された翌日は、いつもと変わらず、穏やかな日和であった。

 風の吹く庭で、兄とふたりで過ごす至福の時間である。


「これもすべて、メアリのおかげだ。おまえは命の恩人だよ、ありがとう」


 ご褒美にと、料理長より供されたビスケットを食べながら、メアリは大好きな兄に答えた。




「ワン!」



 ふさふさのしっぽを揺らしながら、王太子の妹分である愛犬メアリは、今日も元気に庭を走っている。




エブリスタの超妄想コンテスト第157回「怒る」に参加。

佳作を受賞しました!

ひそかな目標だったので嬉しいです。


怒るって聞いて、いの一番に浮かんだのが「走れメロス」の書き出しだったので、タイトルや名前もそれっぽくオマージュ作品に仕上げました。

はじめは普通に、ブラコンの妹が突っ走る話だったんですが、途中でオチを思いついて変更。

最後に驚いてくれたら、よし! です。

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[良い点] 一度目。なんと素晴らしいオマージュ!と感動しながら読み進め、思いっきり騙されてスカッとしました。何でしょう、この爽快感!と。 二度目、三度目……何度読んでも飽きないです。メアリの姿、走って…
[良い点] 快く騙されましたワン。 [一言] 面白かったワン!
[良い点] なんか猫っぼい妹だなあ、と思った所にまさかのオチ。いやあ、一本取られた。
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