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君と僕の18年

作者: 榛名 陽

——僕は君をおいて先に逝ってしまうから、

 僕がいなくなった後、君が残りの人生を謳歌できるように、僕に囚われることなく生きていけるようにしたかったんだ——



 だけど、


 僕の手をぎゅうと握るこの頼りない小さな手は、苦しいほどにあたたかい

 これは罪悪感と幸福が入り混じったあたたかさだ


 **********


 君と出会った日のことは、忘れることができないくらい強烈に僕の記憶に焼きついている。あの日、僕は自分が生まれたこの世界を許すことができた。


「小林と大森って、私たち似ているね!」


 僕が居候していた家の主人が、君を孫として紹介したとき、君はそう言って無邪気に笑ったね。

 小林柚瑠(ゆずる)と大森栗仁(りひと)。よくよく考えてみれば、自慢げに話すほど似ていないのだが、君がそう言った笑顔がただただ眩しかった。


 君の眩しさに誘われるように、君の手を取って出かけた。

 君、柚瑠と一緒にいられるときや柚瑠のことを考えている間だけは、日陰者の僕も太陽の下で笑うことが出来た。


 生まれた瞬間から僕は狼だったのだろう。聞くところによると、僕は森に捨てられていたようだ。運良く近くを訪れた柚瑠の祖母に拾ってもらえた。柚瑠の祖母の家は裏に山があるようなど田舎で、家と家の距離もあったから、狼の血が流れる僕を育てることができたのだろう。


 狼はいつだって悪役だった。鋭い牙と爪で村人や他の動物を傷つけ、最後には殺されてしまう。

 どんなに自分のことを呪ったって、責めたって、僕が狼だという事実は変わらない。


 幸いなことに、僕は完全な狼ではなかったので、感情を抑えて興奮さえしなければ耳や尻尾が出ることはなかった。小さい頃はよく癇癪もおこしていたのだが、柚瑠の祖母との練習のおかげでなんとか自分で制御できるようになった。


 きっとそんな僕は生まれてはいけない存在だったのだと感じていた。


 しかし、柚瑠と会い、声を聞いたとき、僕は運命だと知った。その声も仕草も僕の心の奥底にこびりついて離れなかった赤い娘とそっくりだったから。いつも夢に見る(ひと)

 この時、同じ時代に生まれてくることが出来たことをあれほど喜んだ日はあの日だけだろう。


 僕と柚瑠の交わりは緩やかに開始した。

 一緒に山に出かけて花を摘んだり、街の図書館まで行ったり、祖母と共に暮らしていない柚瑠と会うことが出来るのは一週間に一度程度だったから、毎日話すことが出来た訳ではないけれどその分柚瑠と話す時間は毎週の楽しみだった。


 僕が高校に通うことが許されるまで、その関わりは続いた。

 僕は普通の人間よりも何倍も早く成長してしまうから、小学校や中学校に入学することは周りの人間に気付かれてしまう可能性があると踏んで諦めたのだった。しかし、大人になれば人間社会に出て行かなければならないため、高校三年の一年間だけ人間社会に慣れるために通った。


 柚瑠と同じ高校に編入し、一緒に過ごす日々は僕の恋心を加速させるには十分だった。日に日に募る想いを抱え、多くの人間集団の中での生活はあっという間に過ぎ去った。


 柚瑠の大学進学と自身の就職が決まった高校卒業後の春休み、桜が散る下で告白もとい求婚をした。なんとなく分かっていたものの、柚瑠も同じ気持ちでささやかなお祝いをして入籍をした。その後、二人で住める部屋を借りて生活を共にした。


 そんな幸せな時間が変わってしまったのは、結婚してから二年目ももう終わり三年目に突入しようとした時期だった。柚瑠の誕生日が近くなって、年齢の話になった。柚瑠はある違和感に気づいてしまった。それは、僕の見た目の変化だった。人間よりも何倍も早く成長するということは、その分早く歳をとるということである。柚瑠は二十一歳。対して僕は三十二歳。両者の間には十歳以上の差が生まれてしまっていた。もちろん年齢の変化は見た目にも現れ、僕にはうっすらと皺ができていた。柚瑠がなにをもって気づいたのかわからないが、何か重大なかくしごとをしているのではないかと問い詰められた僕は正直に話すしかなかった。


 僕の寿命が約二十年であるということ。つまり、あと十年生きられるかどうかということ。柚瑠とは一緒に歳をとっていけないこと。



 あのとき、君はすっかり怒ってしまって、家を出て行ってしまったね。

 久しぶりに柚瑠と離れる感覚は辛く、いつもよりも部屋が広く感じた。


 一ヶ月後、家に戻ってきてくれた柚瑠はどこか決意を固めた表情をしていた。この一ヶ月で君に何が起きたのかどこにいたのか心配だったけれど、君の身体に纏わりつく懐かしい匂いに安心した。きっと、祖母のところに行っていたんだろう。

 しかし、柚瑠の帰還による安寧の訪れはなく、本当の夫婦喧嘩はここからだった。

 僕の寿命と向き合った柚瑠は、子供が欲しいと話すようになった。僕がたとえいなくなってしまっても、僕のことを想っていられるように僕と家族である証として僕との子を望んでくれた。柚瑠のこの考えは本当に嬉しかった。誰からも嫌われるような僕が誰かと愛し合った証を残すことができるのだと思えた。けれど、僕は子を残すことで柚瑠の足枷になりたくなかったのだ。僕が死んだ後も彼女の人生は続く。僕はいなくなっても彼女はまだ三十代だ。残りの何十年も僕だけを想って生きるなんてそんな無駄なことはしてほしくない。確かに、前夫との子供がいても彼女を愛してくれる人はいるだろう。しかし、その人物が僕たちの子まで愛してくれるのか分からない。そんなとき、僕の想いが僕と生きた証が柚瑠の邪魔になってほしくないのだ。また、一人で子供を育てていくことがどれほど大変であるのか。


 結局、この話題の解決には丸二年を要した。

 子を残すことに僕が納得するために、一年。僕が生きているとき、亡くなった後、どのように育てていくのか具体的に決めるのに一年。

 柚瑠二十三。僕が四十。残された時間はあと数年に迫っていた。



 それでも、僕が今幸せに感じることが出来ているのは、紛れもなく君が諦めないでいてくれたからだろう。僕の左手に感じる小さなぬくもりがそれを教えてくれる。

 君とこの子を残して逝くことに後悔がないわけではないけれど、不幸だけじゃないと僕はもう知っているから。


 ありがとう、僕の赤ずきん。


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