The End of the World 08/10
片腕をどこかに忘れてきたらしい半死半生の彼女。
適切な処置を施してすら、そう永く保たないであろう致命傷だ。
イツキはそれに知らず顔を歪めると、懐から拳銃を取り出す───奥入瀬牧に向ける。
こんな小道具がなくとも彼女に抵抗するだけの余力は残されていない。だからこうして突きつけるのは、思い知ってもらうためだ。最初から新世界を殺すためではなく、イツキは自分の行動に説得力を持たせるために拳銃を欲した。
この瞬間のために。
奥入瀬牧が、「どうぞ」と言わんばかりに目を閉じた。
ムカつく。
トリガーをゆっくりと絞る。
高らかな銃声とともに放たれた弾丸は、本来ならばまだ薄暗いはずの、光り輝く空へと飛び去った。
拳銃を放り投げる。
牧が状況に気づいて行動を起こす前に距離を詰める。左手で頭を抱え込んで右手で頬を支えて、体重をかけて覆い被さる体勢で、
彼女の唇を奪う。
見開いた彼女の瞳に自分が写り込んでいる。
何が起きているのかと困惑していたのが必死に抵抗してくるのを全力で抑え込む。そんなものはあっという間にひっくり返され、牧がイツキを振り払って構図は入れ替わる。
一瞬前までは男が女を押し倒していたのが、いまや女が瀕死の男を介抱している。
イツキの四肢が痙攣していた。
《カース・オブ・マイン》。
いくら大半が流失したからといって、彼女の体内には未だ一定量が残留している。内蔵まで傷ついた彼女の口腔も例に漏れず、マウストゥマウスで直接接種すればこうもなろうというもの。
「イツキ、貴方何を……!」
儀式核の庇護もない。
不意をつかれれば弱毒化も抑制もしていない。
こうなるのは自明の理で、イツキもそれは承知の上だ。
比喩抜きに死ぬ気で彼は接吻した。
彼女に自分の思いの丈を思い知らせるためだけに。
「へ、へ……、これが呪い、か……。キッツ……」
「喋らないでください、今ッ、今なんとかしますから!」
「できるのか。なんとか、なんて」
その一言は牧を突き刺した。
そんな無駄口を叩く前に解呪すればいいのだ。《クラッカーズ》は何だって出来ると言っていたのに狼狽えるばかりで一向に行動に移せないのは、つまり。
「やっぱ、そうか」
───記憶抹消をやけに避けていたこと。
───《虫喰み》に心臓を貫かれたイツキの治療に、わざわざ儀式核を頼ったこと。
───そして、《クラッカーズ》にできないと思っていることはできない事実。
「牧。おれのこと、《クラックワーク》できないんだろ」
奥入瀬牧に伊月顕は変えられない。
無言が何より雄弁な返答だった。ぐるぐると回り始める視界の中、イツキは賭けの第一段階に勝ったのを確信する。これで、必要なのはあと一勝。
どちらが意地を張り通せるかの勝負。
「ごほっ、おれは、死ぬ」
手足の先の感覚がもうない。視界が急速に色彩を失ってゆくのは、心臓を穿たれたときとそっくりだ。喋れなくなる前に伝えなければならない。
「その前に。儀式の、権限。おれに、寄越せ」
「イツキ、それは───」
「俺が、死んでいいのか?」
不敵な笑みを浮かべられただろうか。
自分の演技に自信が持てないのは初めてのことだった。別に命そのものなど惜しくはない。負ければ再びすべてが終わってしまうと考えると、その方が恐ろしかった。
彼女を止めるにはこれしか思いつかなかった。
やるからには、せめて強かに。
命を盾に、身勝手なエゴで彼女の願いを踏みにじるのだから太々《ふてぶて》しく、悪役の演技を貫き通せ。
「俺は嫌だね。こんな別れは」
「……ずるい。ずるいですよ、貴方は」
牧ははらはらと涙をこぼす。
イツキはそれを見て、ただ『綺麗だな』と思った。
勝ち負けなど、その涙には無意味だった。
暗転してゆく世界で涙の滴だけがキラキラと輝いている。
牧がそっと顔を寄せる。
呟いた言葉が伝わるのは二人の間でだけ。
片手でイツキの頬をそっと撫で、顔を支えて───彼の唇に唇を触れ合わせる。