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Crackers:How to go  作者: 吉田一味
1話「Ghost In The Rain」
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Ghost In The Rain 07/13

「……伏人、傳」


「そそ、せる人で伏人、伝言の伝の難しい漢字を使って傳」


 姓名ともに馴染みがない。


 イツキは「それ本名か?」と口をついて出そうになったのを、腹筋に力を込めて辛うじて耐えた。本当に本名ならば怒らせてしまうし、偽名だとしても聞かれて改めて本名を名乗るとは思えない。無意味な質問だ。


 伏人傳と名乗った青年はロフトからカーブを描いて下りている階段まで歩いていくと、段の一番上で手すりにもたれかかる。降りてこないのかと拍子抜けはするものの、好都合だった。不審者とは距離をとっておきたい。


 ロフトの手すりで全容の見えなかった傳は、不言色いわぬいろのシャツに濃紺のジャケットを羽織はおったラフな格好をしている。ジーンズだかチノパンだか遠目には判別がつかないボトムスと小綺麗に纏まっており、こんな埃だらけの廃墟に棲み着いているようには見えない。


 三十代ということはないだろう。襟足の長い茶髪が似合っているのもあって、おじさんとまではいかないと思った。


 さほど特徴的な容姿ではない。妙に長いマフラーと、両の腕にびっちりと刻まれた刺青タトゥーを除けば、だが。


 右腕は絡まり合った幾何学きかがく的に、左腕は何かの獣をかたどっていると思しきタトゥーは、肘あたりで折られたジャケットで見えるより上まで続いているようだ。先は手首まで続き、指の付け根あたりにも何やらマークが入っているらしい。


 廃墟に棲み着く浮浪者というよりは、廃墟に潜んでドラッグでもしていそうな不審者が相応しい表現か。


 イツキの理性はそう判断するが、しかし異物感がつきまとう。イツキに親しみをもって接しているのは演技ですらなく、優男の皮を被った別のモノのような感覚が離れない。


 一つ分かることはある。


 この男は、伏人傳は、普通ではない。


「お前は誰だ? 少年」


 こちらが名乗ったのだから名乗り返せと言わんばかりのにやけ面に、しかしイツキは名乗るつもりは毛頭なかった。偽名かもしれない不審者相手に礼儀もへったくれもあるものか。傳もイツキが名乗るとは思っていなかったらしく、それ以上追求はしなかった。


 イツキがずぶ濡れなのにようやっと気づいたのか、「ずいぶん降られたな、ちょっと待ってろ」とロフトの奥に引っ込んでしまう。どたんばたんと物をひっくり返すような音がしている間、イツキはどうするか迷っていた。傳がこちらに注意を払っていないうちに逃げ出してしまうべきか。とはいえ外の雨足は一向に弱まる気配がないし、直ちに危険というわけでもないのに出ていくのも……。


 騒音はそう長くは続かなかった。


「ほれ。これ使えよ」


 再び顔を出した傳が何かを投げ渡す。それは空中で広がり、ひらひらと落ちてきたのはちょうどイツキの手元だった。


 バスタオルだ。


 イツキは傳の器用さに内心で舌を巻きつつ、果たしてこれを使ってよいものかと考える。主に清潔感の観点で。


 顔にそう書いてあったのか、傳は苦笑して、


「綺麗に洗濯してあるから安心しな。汚いのは下だけで、こっちはちゃんとしてんだぜ」


 その言葉に嘘はない。だが、彼の言う綺麗は果たしてイツキの思う綺麗と同じなのだろうか?


 傳が外を向いた隙に、顔を触れさせないようにしてバスタオルの匂いを嗅いでみる。えた臭いまで覚悟していたが、幸い柔軟剤の匂いしかしなかった。


 ……とりあえず顔面は避けて雨粒を拭き取っていく。


「こっちから一方的に喋るのも寂しいし、少年、なんか喋れよ」


「ここは何だ」


「おーう質問。俺のには答えてくんなかったのにな」


 オーバーによろけてみせる傳だが、イツキは意に介さない。どうせ傷ついたフリだと分かっている。


 案の定、傳はけろっとして、タトゥーびっちりの右腕で自動ドアから入って正面の壁を示してみせる。そっこには“Over d”の看板。


「オーバー……ド?」


「カーディーラー“オーバードーン”さ。自動車販売、整備点検も承ります」


 指にうながされるまま視線を落とすと、“awn(つづき)”の看板が転がっていた。どうやら割れて落ちたらしい。


 イツキの眉間のしわが、一段階深くなった。


 ちょっと話しただけでも、伏人傳というこの青年が信用に値しない男だと理解できていた。雨に打たれた方がまだマシで、こんな場所はとっとと出ていくべきだ。ここにいるとろくなことにはならないとイツキの理性と本能が合唱していた。


 床に転がって汚れ放題の通学用鞄を拾い上げる。自動でない自動ドアへ歩き出す。


 コミュニケーションは断絶した。イツキの態度を見て傳もこれ以上の会話は諦めたらしい。やれやれと口に出す代わりに肩をすくめる。


「行くんなら、それ持ってけ」


 指さした先には業務用傘立てが鎮座していた。ビニール傘が刺さっている。


 貸しを作るようでしゃくだが、傳がそう言ったのだから乗っかることにした。


 傘をとって、先刻こじ開けた自動ドアをすり抜けるきわに、頭上から投げかけられたのはこんな言葉だ。


「じゃあな。またいつでも来ていいぜ」


 ───来るわけないだろ。




◇◇◇




 ギプスの少年イツキが断固たる足取りで振り向かず出ていくのを見届けて、伏人傳もロフトの奥へと引っ込む。ソファにどっかりと腰を下ろし、そのまま身体を倒して半分寝るような姿勢の傳の、視線の先には天井から吊されたモビールがあった。


 廃店舗オーバードーンは階下こそ荒れ放題だが、気密性という観点では全く問題はない。少年が出ていったあと開きっぱなしの自動ドアがいつの間にか(・・・・・・)閉まっている今、この空間に外から空気が流れ込むことはない。


 だというのに、モビールはゆっくりと動き出して、しゃらんしゃらんと細やかな音を立て始めた。


 奇妙なモビールだった。


 風もないのに動き出した点だけでも奇妙だが、動き出したのはモビール全体から見ると一部のみなのだ。繋がっている部分もそうでない部分も、微動だにしない。


 傳はモビールの動きに意味を見いだしているかのように、じっとその様子を観察した。どのパーツがどう動くのか、回転なのか上下なのか、そしてどのパーツが動かないのか。水晶玉から未来をまじなう占術師のような目つき。


 ───どれくらいそうしていただろうか。やがて彼のまぶたが落ちる。


「さあ、はじまりはじまり、だ」

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