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Crackers:How to go  作者: 吉田一味
7話「The End of the World」
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The End of the World 06/10

 夜の街、嵐の道を一心不乱にせる。


 語らう相手がおらず、これからのことに迷いもなければ、あとは己との戦いだけが残る。得てしてただ“走る”という行為は内部闘争になるもので、敗北すなわち停滞ていたいとなる。


 ───苦しい。


 でも止ま(まけ)る気は微塵も起きない。


 なんだか最近走ってばかりだなというぼんやりとした感想も。


 こんなことなら運動部で体力をつけておくんだったという愚痴も。


 間に合わなかったらどうしようという不安も、一歩踏み出せば全部一歩分後ろに置いていける。


 そうすればここにいるのは一歩分先に進んだ生身の伊月顕だけだ。


 肺がひりつく、足がパンパンだ。濡れた街路は時折滑ってひっくり返りそうになって危ないし、水たまりを丁寧に避ける余裕があったのは最初の数回だけで、とっくの昔に諦めて靴ががぽがぽ言っている。


 それが少しだけ、楽しい。


 生きて足掻いて必死になれる理由があることの、なんと楽しく、そして上から目線な余裕のない死に物狂いよ。


 ───そしてそれを失わんとしている奥入瀬牧の寂しさよ。


 否定しに行かねばならない。


 伊月顕が見いだした生きる意味を以て、奥入瀬牧が願う新生を拒絶しにいかねばならない。


 それがきっと責務なのだろうと思うのだ。


 この舞台モノガタリに上がった、“イツキ”という役の、一世一代の大勝負。


 走りながらふと空を見上げる。


 神々しい光樹は変わらず天空に陣取り、うねうねと伊月の向かう先に示し下ろされている。あれの指す先が牧のいる現在地、彼を先導する案内だったのだが、様相が変わっていた。


 先刻よりも根の本数が増えている。


 見ている間にも一本、二本、───爆発的に降り注ぐ。何かが決壊したかのように天空の陣から光が一点に集中する。大きすぎて距離感が狂うが、あれだけの奔流は間違いなく先端が地表に達しているはず。そこで何が起こっているかは街並みが邪魔で見通せない。


 ───彼方、伊月が目指す先を爆心地として衝撃が走り抜けた。


 物理的には強い風程度、踏みしめて耐えれば転がるまではいかないが、自分自身という最高に敏感な感覚器で受け止めれば実状は全く異なるものだと分かる。


 それは霊風。精神にすら感応する力の飽和、その前震だ。




 新生式が、発動した。




 一個人がどう足掻いても対抗しえない霊的熱量の臨界。


 自然界の光と類似した“波”があふれ出して全てを飲み込む。すべてがホワイトアウトしてゆく。完全に認識を塗りつぶされて純白に消えれば終わりだと直観して、伊月はポケットに手を突っ込んで───




 それから一呼吸もしないうちに、世界キャンバスは真っ白に仕立て直された。




◇◇◇




 皆入樹は終業のチャイムと同時に目を覚ました。


 夢を見ていた気がするが内容は覚えていない。


 どうやら午後の授業をまるまる睡眠で潰したらしい。なんと贅沢な時間だろう。


「おいおいおい、イツキよぉ」


 身を起こすと、右から呼ばわる声がする。


「いつ起きるか賭けやってんだから、空気読めよそこはよ」


 名前の順で並ぶ座席、樹よりも早い東大路がぶうたれていた。人の睡眠で賭けをするのはどうかと思うが、それを論理的に発信するのは寝ぼけ頭では難しい。


 代わりにシンプルな疑問を投げかけることにする。


「……いつ起きるのに賭けてたんだ?」


「俺は“彼女”が来るまで寝てる方に賭けてたんだよ」


 つまり宇野あたりがそれより早く起きる方に賭けていて、彼の勝ちだから東大路はふてくされているのかと得心がいった。一瞬申し訳ないように錯覚するが、別に勝手に賭けの題材にして勝手に負けているのだから自業自得だと思い直す。


 そんなことよりも大事なことがあった。


「なあ東大路、寝癖ついてないか」


「寝癖はないけど頬に痕ならあるな」


「マジかよ」


 泡を食ってスマートフォンを鏡代わりに確認すると、頬がべったりと赤くなっている。おそらくこの線までが古典の教科書の縁で、この四角いのは消しゴムだろう。


 これはまずい、どうしたことだろう。あわせる顔がないとはこのことだ、と樹は思った。終業してから雑談でもう五分は経ったろうから、隣の隣の教室からすぐにでも彼女が───


「イツキくん、待った?」


 教室前側の入り口から、ここ一月で聞き慣れた鈴を転がすような声とともに、ひょこりと一人の少女が現れた。


 県立絡川高校女子用制服に身を包み、樹と同じ学年であるのを示すリボンの色をしている。透明感のある肌と肩口までの黒髪が印象的だ。“綺麗”よりも“可愛い”寄りの美少女といえよう。チャイムが鳴って急いで来たのか、心なし息が上がっている。


 この春から樹の恋人となった妹尾桐江、その人だ。


 晴れやかな笑顔で彼氏を迎えに来た少女の表情がぱたりと変わる。不可解そうに。


「……どうしたのイツキくん」


 理由は明白、彼女の恋人はいったいぜんたいどうした訳か首を九十度曲げて桐江から顔を背けている。端的に言えばそっぽを向いている状態で、しかし目線はちゃんと彼女に向いているので、首の筋を痛めそうだと彼女は思った。


「ぶふっ」


 一部始終を見て事情を知っている東大路はついに我慢の限界で、腹を抱えて笑い出した。なんだどうしたと近づいてくる宇野や目前の桐江に説明し始める彼は実に楽しげだ。


「恥ずかしいんだよ、コイツ。桐江ちゃんに寝相の残った顔見せるのが」


 他人の彼女をちゃん付けで呼ぶなよなどと言っていられる状況ではない。樹は鉄の意志とつちかった演技力で頬の紅潮だけは何とか阻止したが、恥ずかしいと感じる心そのものはどうしようもなかった。


 宇野は何だそんなことかわざわざ聞きに来て損したと書かれた顔で、東大路に賭けの清算を要求している。東大路は愉快そうな顔から一転、苦虫を噛んだようになる。


 興味津々で見せて見せてと回り込もうとしてくる桐江に、樹が根負けしたのはそう先の話ではなかった。

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