The End of the World 04/10
「あんたは誰だ? 伏人傳」
「俺は俺さ。伏人傳、職業は魔術師兼テロリスト。余罪多数。なんだ、さっきの意趣返しか?」
「そういうことを聞いてるんじゃない。もう直球で言うけど、あんたの言葉には嘘がある」
どうぞ最後まで言ってみなと言わんばかりのニマニマ笑い。
いいだろう、聞いてやる。
「あんたは伏人傳と名乗った。それは偽名じゃない」
一拍おいて、
「ならどうして、俺が屋上に来たときの『また会ったな』は嘘なんだ。俺とあんたは会ってるのに、どうしてあんたは嘘と思いながら言ったんだ」
なるほど、傳は口内で独り言ちた。伊月が嘘を嘘と分かる範囲は、あくまで発言者が嘘だと思っている言葉に限られるらしい。本人が嘘と思わない言葉なら、例え客観的な事実でなくとも判定的には真実になるのだろう。
たとえば偽名なら嘘で、改名なら真実というように。
「説明がややこしいな……。俺は伏人傳でありながら、同時にお前とは初対面だった。これはどっちも事実だ。それを取り繕って言ったから、お前は嘘だと感じたんだろう」
「それは俺が会っていた伏人傳が伏人傳ではなかった、という意味か?」
「そうでもねぇ。あっちはあっちで伏人傳だ。つまりな、雑に表現すると伏人傳が複数人いると思いやがれ」
「同姓同名……でもなく、同一個人が複数存在するってことか? そんなことが可能なのか」
「可能さ。自己の定義さえブレなければ」
餌木才一は“自分自身のイデア”から転写して分身してみせた。あれは遅からず、“分かたれた自分”が自分と思えず、それが瑕疵となって自己同一性が崩壊することになるという点で不完全な《クラックワーク》だった。だが、彼の事例は、自己同一性さえ保てるのなら不可能ではないことを意味する。
揺らぐことのない、絶対的な自己。
「お前と縁のあった伏人傳は、天雄ビルではしゃぎすぎて轟木懸ってヤツにぶっ殺されたよ。探せば自動車事故の記事くらいは見つかるかもな」
最初に思ったのは無理もないの一言だった。傳が語っていた言葉の端々から逃げ隠れているのは推察できたことだし、その上であんな派手なテロを実行すれば追いつめられて当然だ。あの事件で喪われたものを考えれば、悼む気になれるはずもない。
何より別個体とはいえ、伏人傳本人と対面で話していれば気が抜けるのも当然だが。
そして同時に得心していた。先刻、天雄ビルの一件はあんたのせいかと聞いた答えが嘘だった理由。あれはもう一人の伏人傳の仕業だったから。拳銃を奪いたかったから無視して怒る演技の起爆剤にしたが、地味に引っかかっていた疑問も氷解した。
「つまりもう一人のあんたは……隠れん坊に負けたのか」
「負けも負け、大負けよ。ひでーもんだぜ、賭け金全部持ってかれちまって」
ぼやく傳に、じゃあ何でこんなところで俺を待っていたんだと続けかけて口を噤む。それは先の質問とはきっと別枠だ。
「俺のばーん。お前は牧をどうしたいんだ」
「止めたい。彼女の生まれ変わりは」
「なぜ?」
食い気味に重ねられた質問に言葉に詰まる。
「止め方聞いてきた時点で止めたいなんてのは分かってる。なぜ、どうして奥入瀬牧を止めたいのかが本題さ。悪いことだから止めるのか? 悪いことって何だ。人殺しが悪か?」
薄っぺらい笑顔は張り付いたままだが、問い続ける伏人傳の表情が不思議と読みとれた。
───餓えだ。
獣が餌を求めるように、伏人傳は、伊月顕の真摯な答えを涎を垂らさんばかりに待ち焦がれている。
この質問をするためにこのゲームを設けたのだ。それが肌で感じられる気迫。
「言っとくが、新生式は死者の蘇生だって可能だぜ。止めれば牧の犠牲者たち、天雄ビルの爆発に巻き込まれた人たちとかは死んだまま。逆に儀式を果たせば蘇るんだから、悪は止める方と言えないこともないよな。……ああ、悪い悪い。俺は質問してる側だったな。さて、どうしてだ?」
「───ッ」
「奥入瀬牧が全てを擲って求める希望を潰すんだ。お前、彼女に見合った答えがあるのか?」
ずしんと心臓に重石を載せられたような感覚。伊月の中で言語化できないままだった柔らかい部分を鷲掴みにされた気分だ。俗っぽく言えば痛いところを突かれた。だが、答えねば牧のところには行けない。
奇しくもそれは、伊月顕にとっての命題採掘だった。
敷島励威士が死闘のさなかに『どうして奥入瀬牧を止めるのか』を追認したように、
奥入瀬牧が生と死の狭間で『どうして生まれ変わりたいのか』に漂着したように、
彼を衝き動かす理由、生きる意味、“輝けるもの”を見いだすための自己認識。
肉体や精神という殻を剥ぎ取って、剥き出しの魂に触れる行いだ。
右肩に力を入れる。右手の骨折が痛んだ。
その力を抜く。
左肩に力を入れる。
その力を抜く。
幼少のみぎりに教わったルーティーンを三セット繰り返す。
数日ぶりのルーティーンに、初めて逢った日のことを思い出す。
……思えば、最初から。
イツキというヤツは、どこまでも奥入瀬牧の隣を求めていた。
彼女のことを知りたがったのは、ただ隣にいる正当性を求めてのこと。それが見つからないとしても、隣にいたいという想いまで無くなりはしない。
ああ、なんだ。難しく考えて理屈をこねくり回していただけで、要するに単純なハナシだった。
俯いていた顔を上げて傳の視線を真っ向から受け止める。その瞳に溢れんばかりの決意に、傳はシニカルに笑って、
「シーッ」
指一本立てて、“静かに”とやってみせる。
「俺が野暮だったよ。そういうのは、本命まで取っておくもんだ」
俺に言ってもしょうがないだろ、と呟く。なら聞くなという話だが、満足したなら構うまい。
「俺の番、ってことでいいのか?」
「どーぞ」
「なら質問だ。牧はあそこに居るのか」
拳銃で指し示すは光樹の根の先端。天が渦を巻いて降り注ぐ極点。救いを求めて蜘蛛の糸にすがりつく衆生を反転したカリカチュアは、引っ張り上げて救済する主上の御手か。嵐の空を背景に、この世の終わりのような光景だった。
「ああ。あそこに居る」
「……なあ、これは相談なんだが。どうやって行けばいいかな?」
傳が吹き出した。
ひとしきり大笑したあと、涙すら浮かべて、
「前置きすりゃ許されると思ってんなよオメー。ルール違反だぜ、答える義理ねえっての」
無理筋だったかとしょんぼりする伊月に、傳はまだ笑いをこらえられぬまま、
「つか聞くまでもねえだろ。───あそこに居るんだから、走れ。走って行け。折れてるのは何だ? 腕だろう? 脚でも心でもない。この世の果てまで行くんでもなし、つべこべ言わずに必死で走りやがれ、青少年」
空は荒れている。
呪いが吹きすさび、現行世界を貪り食らって新世界を吐き出さんとする怪現象が今にも爆発しそうになっているその足下にあって、しかし。
目指す場所は今、伊月顕の心中で、体育の授業の持久走程度のスケールに再定義された。
「……へっ」
「ふへへへ」
二人して笑い始める。風の音もそう耳障りではなくなっていた。