Fire Cracker 03/09
奥入瀬牧の右腕が高速道路をバウンドした。
彼女の顔は苦痛に歪み、条は仕留めきれなかったことに苦渋を示す。
放たれた一撃は確かに牧の胴体を両断するはずの一刀だった。並々ならぬ戦闘勘で直前に気取った彼女は、間一髪で少しだけ体をずらしたのだ。結果、奪れたのは腕一本───あれではまだ走り続けられてしまう、戦えてしまう!
歯噛みしながらも、今が好機には違いないと構える条。しかし彼は、すぐに自身の考えが誤りだとつきつけられた。
牧の二の腕、切断面からの出血が止まらない。斬り落とされて置き去りにされた右腕と血の糸が繋がるようにいつまでも伸びて───
───違う。血の糸で繋がっているのだ。
励威士の鎖と同じように血に意思が通っている。遠ざかっていくはずの右腕が引き寄せられて追いつく。
疾走する牧の右二の腕。切断面にぴったりと復帰する。
輪切りにした痕だけはうっすら血の滲む線が残っているのでそれと分かるが、逆に言えばそれ以外の痕跡はない。
「血液操作の《クラックワーク》……!」
厄介なのは呪いだけではなかった。血液で武具を構築し維持しながら戦える彼女の血液は、それ単体で条の《斬光》に匹敵するほどの応用性を持つ。
苦し紛れにもう一撃を放つも、あっさりと素手で防がれる。正しくは薄皮一枚、その奥にある血管を切断できない。来ると分かっていれば対応される。真っ向勝負であの防御力を徹すにはこの距離は遠すぎる。
判断を下さなければならない。加賀美条の、再編局チームリーダーの勝利条件は何か。
後部座席の少年を引っ立てると、その首に刀を近づける。
「追えば斬る」と言外に告げて見せると、奥入瀬牧が急停止する。それでいい。条とてそうしたくはないのだ。
立ち竦む彼女が遠ざかりすぐに見えなくなる。条は刀を納めると、《クラックワーク》を改めて隠蔽に切り替えた。励威士が儀式核の発信機能を封じている今なら、彼女に追跡は不可能だ。
これで終わってくれることを、諦めてくれることを心底から祈る。
◇◇◇
架電する。
受信先は、オーバードーンの黒電話。あれだけは電波遮断の結界に開いた例外の一つだから、相手さえいれば通話は可能だ。
誰かが受話器を取った。
「もしも───」
『伏人傳。貴方ですね』
おまえの仕業かと問う、食い気味の声は聞き覚えのあるものだった。これはこれは、奥入瀬牧はお怒りだ。伏人傳は苦笑する。
無理もない、伏人傳が密告したせいで再編局にイツキごと儀式核を奪取されたのだ。彼の他にその情報を知り得ている存在がいるはずもなく、仮にいたとして鬱憤をぶつけても何の支障もない。
おそらくオーバードーンに殴り込みをかけていたところだったのだろう。確定してもいないのに酷いことをするものだ。
まあ彼の仕業なのだが。
さっさとセーフハウスを捨てて脱出した彼は今、コインパーキングに停めた黒のワゴンの車内から通話している。
ラジオで流れる高速道路崩落の報を聞き流しながら、スマートフォンを持ち変える。
「俺か。まあ、俺は俺だが、そういうことを言ってるんじゃないよな」
『とぼけるな。イツキのことを漏らしたでしょう』
「まあな。正確には、俺が情報屋を経由して再編局に伝えてもらったんだが」
『そんなことはどうでもいい。貴方、覚悟はできてるんでしょうね』
おいおい敬語が崩れているぜと口に出せば会話は完全に決裂すると伏人傳は知っている。ドラッグをキメている間に見た未来図に従って、傳は彼女の誘導を進める。
「俺を追いかけてる場合じゃないだろう。イツキの尊い骨折りのお陰で再編局の居所が抜けたんだぜ」
通話の向こうから何か破滅的な音が響いて、傳は反射的に顔を背けた。激情に任せて何か殴りつけでもしたのだろうか。構わない、大事なものも必要なものも何も残してはいない。
もうあそこに戻るつもりもないのだ。
「知りたきゃ座標教えるぜ。聞きたくないのか?」
『───っ』
歯ぎしりの音が耳に心地いい。そうやって裏切りに折り合いをつけて、彼の言うことを聞くより他に奥入瀬牧に道はないのだ。
本来の彼女の計画は単純なものだったはずだ。儀式核を瓦木市に持ち込み、適当に用意させた植物状態の人間を容器に儀式核を時間まで保管する。再編局はその間にちゃちゃっと出て行ってノしてやればいい、くらいのつもりだったのだろう。彼女の勝利条件は儀式核の発芽と開花で、敵対勢力の殲滅ではなかったのだから。
だというのにイツキという不考慮要素の登場で、彼女は守り隠しながらの戦いを余儀なくされた。その結果、負荷に一時は倒れ、挙げ句の果てに核保持者を拉致される始末。
彼女は再編局拠点───現在のイツキの居所を調べる暇などなかった。
儀式核の通知も沈黙している。敷島励威士による干渉は、自己保護機能のかなりの部分に損傷を与えていた。いわば気絶、致命傷ではないが役には立たない状況だ。
彼女だけでは詰んでいる。
なりふり構わず力を借りなければ───イツキの居所を教えてもらわなければどうしようもない。それが例え、信頼性が皆無だとしても縋りつくしかないのだ。
「瓦木市南区宝祗二の八の一、天雄ビル四階西区画。そこが再編局のアジトだ」
伏人傳は歩いて二分の位置にある廃ビルの住所を告げる。
数分前、イツキはこの中に連れ込まれた。傳は原始的な方法と魔術を併用して後を尾けていたのだ。
これで《カース・オブ・マイン》奥入瀬牧は真っ直ぐここに来る。一直線に、イツキの中の儀式核が破壊されるより早く。伏人傳への制裁などしている暇はないはずだ。
これでいい。この絵図を描き上げるための尽力だったのだ。
「再編局には探知特化がいる。半径五百メートルくらいは《クラックワーク》使うと即バレするぜ」
「瑞宮の改造人間ですか」
「そゆこと。まあやりようはあるだろ、好きにしな。───ああ、そうそう」
伏人傳は一拍おいて、
「そこにあるバイク、使っていいぜ」
叩きつけるように終話されたのを聞き届けて伏人傳は腹の底から笑った。
両手を組んで運転席に寝っ転がる。
あとは彼女が来るまで待てばいい。
「それまで寝てようや。なあ」
傍らに声をかけるだけかけて、傅は目を閉じた。