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Crackers:How to go  作者: 吉田一味
4話「Insomnia」
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Insomnia 07/09

「なかった。俺が言うのも変な話だけど、俺の知る限りどこからも文句はでなかった。役を取られた先輩ほんにんがやってきて、頼むイツキくん、最高の演技をしてくれと来たもんだ」


 イツキ自身は意外だったのかもしれないが、聞いている牧にとってはさして驚いたものではなかった。


 それだけイツキの演技には天賦てんぷがあったのだろう。美貌びぼうと評して差し支えのない外見ルックスと相まって、舞台に上げても彼は人目を惹くと確信を抱ける。顧問が抜擢ばってきしたのも理解できる気がした。


 けれど彼はそう思わなかったのだろう。


「ふと思っちまったんだ。できるから役を貰ったけど、じゃあそれで嬉しいのか、喜んでるのかって。……そんなこと全然なかった。何の感慨も湧いてなかった。あーあー他の部員から恨まれそうだ、面倒だなあって思ってばっかりでさ」


「演劇はイツキのやりたいことではありませんでしたか」


「うん。周りにいる部員はそんなことなくて、劇を成功させよう、いいものにしようと必死に頑張ってるのに、俺は何なんだろうって。演劇部に入ったのも何となくだし、役を貰っても別にって感じだし、俺にはやりたいことはない。───何で生きてるんだろうって思ってさ」


 誰しもに訪れる季節だ。


 人生の意味とか自分らしさとか、そういうものを見失って不安に暮れる時期というものは必ずある。そこでまあいいかと割り切れるか、自分を探しに行ってしまうか、あるいはまた別の選択肢を行くかは人それぞれだ。ただその分岐点となる疑問は生きている限り、どこかしらで一度は考えるようなことというだけ。


 イツキがその疑問を抱いたのは、折悪しくもまさに夏休み真っ盛り、朝から晩まで練習付けの日々でのことだった。


「集中できてなかったんだろうな。ちょっとこう、一段高くなってるセットでさ。足がもつれて倒れるときに手をついてこのザマだよ」


 ギプスを振ってみせる。初対面のころから目に入っていたそれの所以に、牧はそういう経緯かと納得する。……思えば彼女も、イツキの触れられたくないポイントを知らず避けていた。


 似た者同士なのか、互いに踏み込めずにいただけなのか。


「つまり折ったのは俺の不注意で、役を演れなくなったのは俺の不手際なんだけど」


 告解こっかいは終わっていなかった。彼の声には苦さが絡みついたままだ。


「俺の骨折は俺のせいじゃなかいんじゃないかって」


 疑いが出たのは同級生だったのか、それとも先輩だったのか。


 イツキ自身、先輩の役をったと思われて部から追い出されるのではないかと身構えていたほどだ。そういう心理が働いても咎めることはできないだろう。


 イツキが知らない範囲でそういう動きはあったのかもしれない。


「口論とか犯人探しみたいのはなかった。表向きは事故ってことになってるし、事実そうなんだから。ただそういう空気が出来ちゃったんだ。当の本人の俺がどれほどそうじゃない、俺のせいなんだって言ってもどうにもならなかった。思うのは、疑うのは止められないし、それをこっちが敏感に感じちゃってるだけなんじゃないかってなるし。……うんざりだった」


 ある日から部活に行かなくなって、それっきりだという。


 ……きっと、イツキの胸中には、演劇部の部員たちはさぞキラキラと輝いて見えたのだろう。大会に出るという目標ユメに真っ直ぐ目を輝かせて邁進まいしんし、生き生きと動いているように映ったのだろう。


 それを夢も何もない、ただ流れに身を任せて混ざっただけの自分が壊したと責めているのだ。


「初めて逢った日に煙草を吸おうとしていたのは、それが原因ですか」


「……覚えていたのか」


 ふっと息が漏れたのは微苦笑か。


 彼女の問いはその通りで、イツキはああすることで何もない自分に何か新しい風が吹くのではないかと思った。それで手を出したのが煙草なあたり若気の至りと笑われればぐうの音も出ないし、その試みがこうして奥入瀬牧と出逢えるきっかけになったのだから、世の中分からないものだとは思う。


「何か変わるかと思ったんだ。ホントはもう世界まるごと変わってるなんて思いもしなかったけど」


 ベッドに背をもたれさせて、天井あたりを見上げて呟くイツキの横顔は年相応かそれより幼いくらいに見えた。


 何か言うべきだろうか、牧は考える。かける言葉が見つからないのはきっと、イツキ自身が言葉を待っていないからだ。


 口下手な彼女は黙って受け止めることを選択した。


 二人の間に沈黙が訪れる。


 カーテンの外からぽつぽつと音がする。また雨かとは思うけれど、さりとて不快とは感じない。


 こんな穏やかな時間が訪れるとは思わなかった。


 そっと瞼を閉じる。もしかすれば今の雰囲気なら、さっき夢と勘違いしたような夢を、本当に見ることができるかもしれない。


 その裏(バックグラウンド)でしかし、自問自答は止まらない。


 ───そんなことがゆるされると思うのでしょうか。


 ───自分の罪から目をそらして、おめおめ眠るというのですか。


 ───不思議ですね。滑稽こっけいですね。


 ───呪われてあるべきは私なのに、安らぎなどとは烏滸おこがましい。


 奥入瀬牧の呪いは未だ解けず。


 彼女は手首に疼痛とうつうを覚えながら熱っぽい夢へと落ちていった。

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