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Crackers:How to go  作者: 吉田一味
4話「Insomnia」
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Insomnia 06/09

 額に心地よい冷たさを覚えて、奥入瀬牧はまぶたを開く。


 ちょうど濡れタオルを置いた手が戻るところで、誰だろうと思う。目の奥が痛い。視線を動かすのは億劫で、首を動かして頭ごと横を向いたら首も痛かった。


 イツキと目があった。


 ここにいるはずがない。ここは牧のセーフハウス、自室のように見える。


 つまりは夢だ。


 珍しい夢、こんな夢は初めてだからどうすればいいか判断に困る。


 そっと瞼を閉じる。


 ずれたタオルが戻される。


 ひんやりとしていて、脳にたまった熱を取り去っていく。思考回路が正常に働き始める。働き始めて、これは夢ではない!


 跳ね起きた。全身の関節がぎしぎし悲鳴を上げているが知ったことではない。


 てっきり彼女が寝直すのだと思っていたイツキが目を丸くする。


「……お、はよう」


 驚愕しつつも挨拶は返すのはそういうものだと染み着いているから。彼以上に驚いている牧には言葉もない。


「ごめん、開いてたから入っちゃったんだ。住所は伏人傳から聞き出した」


 質問もされていないのに矢継ぎ早に答え始める。知り合いでしかない女性の住居をつきとめて押し掛け、眠っている間に看病した自分自身に今更ヒいているのだ。不安だったことを言い訳にして俺は今すごく気持ち悪いことをしている、と。


 牧は牧で、寝起きで思考がまとまらない状態のままイツキと対面してテンパっている。すっぴんだし、髪も整えていないし、寝汗はひどい。寝汗なのか冷や汗なのか、ちょっと分からないけれど。彼女の場合、困惑と動転は沈黙の形で出力された。何も言わず毛布をかき抱いている。


 その毛布を握っている手を見て、イツキはまだもう一つ謝らなければならないことがあるのを思い出した。


「……その、ごめん。手の傷、見ちまった。寝かせるときに」


 奥入瀬牧の熱と汗と血の気が一瞬でひいた。


 どうして付けたのか訊かれたらどうしよう。問われて何と答えようとも不正解にしか思えない。彼女にイツキを《クラックワーク》で書き換えることはできないし、傷を見られた時点で彼女にとっては詰みに等しい。どうしようどうしよう、どうすればいいだろう。


 いっそ死ぬかとまで考えていた牧の目前で、イツキががばっと勢いよく動いた。


 頭を下げた。


「ごめんっ!」


 隠すということは知られたくないということ。


 それを彼女の意思とは違うところで勝手に見てしまったことを謝罪して、それ以上知るつもりはない、そういうイツキの意思表明だった。


 牧は、聞かないのか、とは聞けない。この話がふくらむのが恐ろしい。


 ずっと長手袋で隠してきた、戦闘になってもイツキの目があれば解禁せずにいた、両手首の濃密なリストカット痕。


 奥入瀬牧なりの呪いへの抵抗の痕であるそれは、つまり彼女が呪われていることの裏返し。


 だから秘していた。


 それを、


「……どうして、とかは聞かない。俺に分かるもんじゃないかもだし」


 告げるイツキの言葉に、いつの間にかそらしていた視線を戻して、はっとした。彼の表情は悔恨に満ちている。もしや彼にもリストカットにまつわる心的外傷でもあるのかとも一瞬考えはしたが、そうではないと切り捨てる。そうではなく、彼なりに自分の胸の奥に刺さったままの棘に触れそうになるものがあったのではないか。


 彼の手が、棘に、


「そういう、大事なもの、とか、俺───分かんないし」


 ───触れた(・・・)


 奥入瀬牧は目をぱちくりと瞬かせる。イツキは怪訝な顔をしたが、


「……貴方が自分の話をしてくれるのは初めてでしたので、つい」


 そう驚かれると、そうだろうかそんなことはないだろうとつい反発してしまう。確かにイツキは質問する側、説明される側に置かれていた。しかし初めてということはないのではないだろうか? イツキが想起しているところに、控えめな笑い声が滑り込んできた。


「聞かせてください。聞きたいです、貴方の話」


「……愉快な話じゃないぜ。伏人傳みたいには喋れないし」


 いいですから、と。イツキの話が聞きたいのですと彼女がくと、ギプスの少年はベッド脇に座り込んでしばし考えた。


 牧は彼の様子を眺めながらじっと待っている。彼女が少しでも辛そうにしたらそれを言い訳に寝かせようと思っていたイツキは、しかしその兆候ちょうこうがこれっぽっちも見えないで腹をくくって口を開いた。


「俺、高校で演劇部に入ってさ。理由はまあ誘われてそれでってだけなんだけど。でもウチの高校、文化系の部活にやけにリキ入ってて、演劇部も全国大会目指してるとかそういう感じだったわけ」


 奥入瀬牧はしっとりと聞き入っている。彼女には縁遠く新鮮な社会の話だし、何よりイツキの話であるから。


 言語化したことのなかった、開いて間もない生々しい傷を語ることで整理していく。


「他にこれといった感じの部活もなかったし、誘ってもらったから折角だしと思って。……十月に大会があるから、入って早々に先輩たちはあれこれ準備とか進めてた。俺たち新入部員は入ったばっかだったし基礎練習きそれんとか大道具作るのの手伝いとか、そういうのが主だったんだ」


 ───いや、主になるはずだったんだ。


 イツキの声が平板になってゆく。


「夏休みまでは、そうだった。───俺は他の新入部員と同じ扱いだった」


 突如としてイツキは主役級……とは言わずとも、劇中のメインキャラクターの一人を任されることになった。顧問の決定だったという。


「慌てたよ。一年生で一人だけ特例みたいなことになったし、もともとは二年の先輩に割り振られてた役どころだったわけだしさ。不平不満、悪口陰口、そういうので部から追い出されると思った」


「───そういったものは、あったのですか」


 つい質問してしまった。


 何となく、答えは話しぶりから推察できていたのに。

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