Insomnia 01/09
───夢を見ている。
泥黎の夢だ。
血と腐肉と膿の中でもがき苦しみ這い出ようとかき分ける夢。
やがて自らこそがその汚濁の根源であると悟る夢。
───呪いの夢。
◇◇◇
県立絡川高校の事件から三時間が経過した。
あのあと、伏人傳は自動車をどう走らせたのかオーバードーンに戻るなり「とりあえず一旦帰れ」とイツキを追い払った。とりあえず言われたとおりに帰宅すると妙な驚きをもって迎えられ、何でも、イツキは避難誘導からはぐれて何処かへと行方不明になっていたことになっており、高校側では大騒ぎになっていたという。
高校へは家から無事が連絡され、イツキが両親の事情聴取───という体での説教───を辛くも脱出したのが、つまり三時間後だった。
ようやく自由を勝ち取ったイツキは「クラスメートに話聞いてくる」と家を出てきたのだ。
嘘は少しだけ。
級友に話を聞いても大したことは分かるまい。真実話を聞きたいのはクラスメートではなく、奥入瀬牧をおいて他にいない。
《虫喰み》を片づけると跳躍したきり、その後の彼女がどうなったかは見ていない。無事なのかそうでないのか。結局連絡先すら教わっていないイツキは、直接確かめるしかなかった。
オーバードーンに行けば逢えるはずだ。そう思っていたのに、
「……開いてない?」
廃店舗が真っ暗なのは以前と同じとして、正面ガラスがどう頑張ってもうんともすんとも言わない。なんと驚くべきことに鍵がかかっている!
裏手に回ってみる。謎の少女に導かれてオーバードーンを脱出したときに使った通用口ならばと考えたのだ。
……腹立たしいことに戸締まりは万全だった。廃墟のくせに生意気な。
正面に戻る。呼び鈴があるわけでもなし、残る手といえば実力行使くらいのものだった。どうせ廃墟、多少荒っぽくしても構うまい。いざとなったらガラスくらい《クラッカーズ》ならどうとでもするだろうし。
イツキは大事続きで少しばかり常識のタガが緩んでいた。
とはいえ初体験のガラス破り、やる気あるのかと言いたくなるような蹴りとも言えない蹴りを入れる。バンと音はすれど割れない。本当にこれでいいのだろうか。もう一発やってから考えよう。
足を上げたところで頭上からがらっと音がした。
「……なにやってんだ、器物損壊だぞ」
見上げると二階の窓から傳の首から上とマフラーが出ている。
「伏人傳! なんで閉まってんだ、開けろよ!」
「借金取りかオメーは。一旦帰れっつったろ、何戻ってきてんだ」
首が引っ込んでいく。マフラーが引っ込んでいく。それで話を打ち切られてはたまったものではない。
「牧は! 戻ってないのか?」
「戻るって何だ、ここはお前ん家でもあいつん家でもねーぞ。……つか、用があるのはあいつかよ」
図星である。
あっさり内心を見抜かれるとむしょうに反発したくなるが、しかしまあここで「違う」と意地をはっても得られるものは何もない。イツキは不承不承頷いた。
「ほらよ」
開いた窓から飛んできたものは紙飛行機。ギプスの吊り布でキャッチして開いてみると何か書いてある。
「奥入瀬牧のセーフハウスの住所だ」
「……住所?」
「何かに使えるかと思って調べといたのさ、色惚け小僧。見舞いにでも行ってやれ」
「見舞いって……怪我したのか、彼女!? 無事って言ったじゃないか!」
傳はうるさいな、俺が知ったことかとにべもない。
表面的に慌ててみせ、もちろん内心でも慌ててはいるのだが、心のどこか深いところでは少しだけ喜んでいる自分をイツキは恥じた。これで彼女に逢いにいく大義名分ができたと思ってしまった。彼女がどんな状態なのかも分からないのに、これでは色惚け小僧と謗られても否定できない。
内心を隠したくてメモに視線を落とす。
浮かれ気分が困惑に押し流されてどっか行った。
「情報屋の伝手を頼って調べさせるのは手間だったぜ。せいぜい役立てるんだな」
上からほざいている奴がいるが、そういう問題ではない。イツキは折り目のついた紙をじっと見る。ひっくり返して裏を見てみるが、白紙だ。……つまり、これがそうらしい。
「……いや、……読めない。字が汚すぎて」
「あア゛───!?」