Curse Of Mine 07/08
「だからさ、言ったじゃん。多勢に無勢だよ励威士くん」
襤褸雑巾もかくやという有様の敷島励威士に語りかける治部佳乃の声色がいっそ優しげなのは残酷ですらある。彼をそうさせたのは彼女が指揮する《虫喰み》たちで、今もその中の一匹が励威士の片足を掴んで逆さ吊りにしていることを鑑みれば嫌味でしかない。
三匹の特製《虫喰み》を侍らせて、《バガー》は女王様気取りだった。
励威士の手からは鎖も失われている。バラバラに引きちぎられたのだ。武器も奪い、戦意も折り、命だけは残っていることを祈る。
励威士を吊している《虫喰み》に命じて揺すらせると、言葉にならない呻き声が漏れた。生きている。
「んふふ。死んだふりはどうかと思うよ。生きてればいろいろあるというしね」
佳乃は上機嫌だった。戦っている間にふと思いついたことだが、彼を素材に《虫喰み》を作るとどうなるだろうという疑問が浮かんだからだ。《クラッカーズ》を用いての《虫喰み》創造は未経験だ。これだけ打ちのめしても生きている彼なら、きっとタフで堅牢な《虫喰み》になってくれることだろう。うん、そうに違いない。そうじゃなければそれはそれで興味深いし、よしんば《虫喰み》にするのに失敗しても挑戦し甲斐があって楽しいじゃないか。
《逃がし屋》井澤渓介とも縁が切れ、再編局から一人で逃げるならボディーガードが欲しいなと思っていたのでちょうどいい。早速試してみることにした。
彼女が良からぬことを目論んでいると敏感に察知してか、死に体の励威士がもがく。
「『チッ、逃げんなよ』。どう? 似てた?」
瀕死の相手の物真似で虚仮にしつつ、彼女は励威士を掴んでいる《虫喰み》に命じる。腕の先端から球状に力場が広がって、《虫喰み》と励威士の足を包む。この力場内部のものは“固定”されているから、《虫喰み》にも励威士にも動かすことはできなくなった。
白魚のような指が、敷島励威士の胸の中心に伸びていく。触れるか触れないかの位置。
《バグ・バグ・バグ!》の駆動が発する改変放電に照らされる中、敷島励威士が逆さのままフッと笑った。
「───馬ぁ鹿。時間切れだ」
その言葉と同時に、侍らせていた一匹が袈裟懸けに両断された。
「ッ、───」
振り向く、光反射する白刃、加賀美条だ───
《虫喰み》は残り二匹。励威士を“固定”している《虫喰み》にはそのまま彼を武器にして殴らせる。避けるにしても防ぐにしても仲間ごとならば思うように動けまい。そこをもう一匹に襲わせる。だがそれだけでは足りない、もう一手、佳乃自身も動く。《バグ・バグ・バグ!》の瞬間的発動、即席で胚から生長させてブツケる。三方向同時攻撃だ、一人で防ぐのは不可能。
確信とともに佳乃は右腕を突き出す。手の内に創造された無形の生命が、彼女の命令に従って条めがけて殺到───
ぐいとその腕が下方向に引かれた。
「なッ」
何故、という驚愕は言葉にならなかった。咄嗟に原因を探ってしまった彼女が目の当たりにしたのは、屋上に寝っ転がった体勢から鎖を伸ばして妨害している励威士の姿。
馬鹿な、ありえない。まだ動ける元気があったこともそうだけど、彼は足を“固定”されて《虫喰み》の武器にされているはず。そこにいるのはおかしい───
───彼の“固定”した方の足はどこだ?
健在なのは掴まれていなかった左足のみ、右足は太腿でぱっくりと分かれ血の一滴も流れていない。力場で“固定”された部分は、きっとまだ《虫喰み》の手の内にあるのだろう。
「まさか自切───」
蜥蜴が尻尾を囮にして敵から逃れるように、自分で自分の足を切り捨てた。
言うほど容易ではない。四肢切断でショック死しないように肉体を加工し、痛覚を遮断して佳乃に気取られないようにした上で、彼女にも《虫喰み》にも気取られない完璧なタイミングで切り離す。反射的にそんなことを出来るわけがない。出来たとしてその上で佳乃の妨害までしおおせるなど───
彼女が考察できたのはそこまでだった。
白刃が閃く。
彼女の視界が赤になる。
「ア」
眼球を斬られたと判断する間もなかった。それ以上の痛みが胸の中心で爆発する。
「ッ゛ガ、ぶ」
加賀美条の握る刀が、深々と治部佳乃の胸を貫いている。それを励威士は転がったまま見ていた。
あの位置ならば臓器も太い血管も避けている。延命に全リソースを集中すれば、生体への理解が薄くとも何とか死なずに済むだろう。
伏人傳が井澤渓介にそうしたように、《クラッカーズ》を動けなくする際の常套手段とは死なない程度に殺すことだ。
生かさず殺さず、何もできないようにして罪を裁かせるための一刀。
「───甘ぇっすね。相変わらず」
「殺して楽にさせる方が甘えだよ。ぼくはそう考える」
血振りして刀を納めた条が、険しかった顔を済まなそうに歪める。
「無茶をさせたね。でもおかげで、彼女の仕掛けは全部潰せたよ」
治部佳乃は再編局を分散させるため、簡略化した《バグ・バグ・バグ!》をあちこちに仕掛け、県立絡川高校での発動と同時にそちらも発動していた。彼女にとって予想外だったのはただ一点、加賀美条の殲滅の早さのみ。
「別に無茶でもないっす。これくらいは慣れてます」
手を借りて立ち上がる励威士は、外見の負傷に反して余裕を見せる。条は彼に片足を拾い上げると手渡してやる。“固定”は、斬り殺されてとっくに解除されていた。
「どもっす」
プラモデルか何かのように足を填める。
それだけで填まる。
二度三度と床を踏みしめ、靴の履き心地を確かめるみたいに歩けば、もう支障はないようだ。