Curse Of Mine 03/08
「……あ、そっか。ここ、才一くんの学校だっけ」
治部佳乃にはそういう気質がある。
《虫喰み》に儀式核を食わせたらどうなるかという疑問にひとたびとり憑かれてしまえば、他のことは目に入らなくなる。彼らの出身校は知っていたはずなのに、聞いていたはずなのに、餌木才一と伊月顕が同じ学校に通っているとこの瞬間まで気づいていなかった。
「危ないよー、死んじゃうよ才一くん」
襲わせている彼女が言うのだから欺瞞であることこの上ない。しかし紛れもない本心であり、彼が《虫喰み》に抵抗して殺されれば悲しむし悔やむだろう。自覚した上で止まれない、そのときはすぐそこに迫っている。物量にものを言わせればすぐに儀式核は捕食できるだろうから、その経過だけ確認したらすぐに《逃がし屋》に連絡を取って───
そこまで考えていた佳乃の視界の下方、給水塔のふもとに空間転移して当の《逃がし屋》井澤渓介が出現した。
「何考えてるんだ、再編局に真っ向から喧嘩売りやがって! 今すぐ逃げるぞ!」
「え? いや、ちょッ」
彼は佳乃と距離を詰めて長距離転移の準備を始める。昂ぶる異能の予兆が発雷となって周囲に広がっていき、最高潮に達して二人を彼方に転移させんとした瞬間───佳乃の全力の拒絶がそれを打ち消した。
「待ってってば! あたしまだ逃げないよ、これが終わるまでは!」
「馬鹿言ってんじゃねえ、すぐにエージェントどもが飛んでくる! 死ぬんだぞお前!」
「いいよ別に! 怖いならいいから、契約破棄して! 私は残るから」
「──────ッ」
売り言葉に買い言葉だが、本心だった。死ぬことは恐ろしいが、確かめないことはもっと恐ろしかった。好奇心を満たす機会を失ったまま逃げ延びたとして、きっと彼女は堪えられない。“確かめておけばよかった”という尽きせぬ後悔に心をやられて、遅かれ早かれ発狂してしまうという嫌な自信があった。
果たして《逃がし屋》は複雑な表情で逡巡したあと、どこへともなく姿を消した。
これでいい、と思った。
啖呵を切った手前、せめて自分のしでかすことの顛末くらいは、きっちり見届けようと思った。
校舎に前半身を突っ込んでいた八足歩行の《虫喰み》が、穴から頭を引き抜いて壁面を這い上がっていく。
《虫喰み》を認識できずとも彼らの破壊の結果は認識できる一般人たちが今更になってざわつき始める。
どこかで誰かが、火災報知器を鳴らしたらしい。
正門から一台の赤い自動車が滑り込んできて、火災報知器のベルの音を引き裂いて停車した。
◇◇◇
走る。
走る。
イツキはまた走っている。
後ろを振り返る余裕はない。
逃げろとだけ叫んだ才一の言葉に従ってがむしゃらに駆け回る。階段を降りようとした先には三体目の《虫喰み》がいたので、彼は駆け上がるしかなかった。外の二体目、八足歩行も執拗に追いかけてきている。一体目───飛行型がカッ飛んで来ないことを見ると、アレだけでも足止めはされているらしい。
火災報知器の音がうるさい。三階に上がると、上級生たちがぞろぞろと廊下に出てくるところだった。紛れ込むわけにはいかない、階段にとんぼ返りして四階へ。実験室が並ぶ階だから生徒も少ないハズ、一気に───
四階廊下にも生徒はいた。
一人だけ。
月曜の夜、オーバードーンに突如現れて、イツキを導いて消えたあの少女。神出鬼没の女子高生。県立絡川高校の制服を纏って県立絡川高校の校舎に佇んでいるのに、どうして彼女だけ浮いて見えるのか。
───こっちに来て。せーのって言ったら、しゃがんで。
教室二個分は離れているのに、距離を無視して声が通る。君は誰だとか、信じていいのかとか、聞きたいことは山ほどあれ、会話を交わす暇はない。走りながらいつ「せーの」が来るか身構える。
───せーの!
勢いを殺さずスライディングする。廊下を内履きのゴムが擦る触覚だけを残して、音はより大きな音にかき消された。ガラスを建材を破砕する音に、体勢を立て直しながら見れば、三体目の《虫喰み》の尻尾がイツキの頭の高さを薙ぎ払ったらしい。廊下は惨憺たるありさまだった。
外をうろうろしていた八本足が、残っていた壁を引っ剥がして捨てる。窮屈そうに身体を押し込めて進行先を塞ぐ。
挟まれた。行き場がない。
「……ずいぶん開放的になったな」
いつの間にか少女は消えている。驚かなかったのはそんな予感がしたからだ。
何となく分かってきた。彼女はどうやら、イツキが本当にヤバいときだけ現れて、その一瞬をやり過ごすために手を貸してくれているらしい。姿を消したということは、《虫喰み》に廊下の両側を塞がれた現状でも最悪の危機的状況は去ったか、あるいは他の出現条件を満たせずに消えてしまったか、どちらかだ。
……後者だとしたら、自力で何とかするしかない。
科学準備室のドアに手をかける。開かない。鍵がかかっているのか、尻尾のスウィングで歪んでしまったのか。諦めるしかない。
「さて……どうするか」
退路は絶たれた。《虫喰み》どももそう確信しているからゆっくりと距離を詰めているのだろうが、まだあと一手だけは残っているとイツキは考えていた。選べば必然それでおしまいだが、命がかかっている以上、無様でも投げ出すわけにはいかない。
襲いかかってくる瞬間を待つ。正直に言えば、四階から飛び降りる覚悟がキマらなかっただけなのだが。
じりじりと怪物から距離を取る足が震えている。
この前のように、踏ん切りがつく前に殺されるのは真っ平御免だ。だのに、勇気が出ない。
恐ろしい。
「───イツキっ!!」
恐ろしいのが、いっぺんに吹き飛んだ。
結局勇気なんて要らなかった。その声だけで大丈夫だと確信できてしまうから。
正門のところに目立つ赤の自動車。降りてくるのは伏人傳と───奥入瀬牧。
映画でよく観るカンジに構えた傳が鋭く叫ぶ。
「跳べ!」