空っぽの鍋
寝室に日が差す朝、蒸されたような何かの臭いで目が覚める。
隣で寝ている息子の顔を見ると、耳からキノコが生えていた。
近くで凝視してもやっぱりキノコだ。
引っ張って取り除こうと試みると、息子は飛び起きて大事そうにキノコをかばう。
「やだ!触らないで、・・・・・・ママを感じるの」
「・・・?バカなこと言うな、どうしたんだそれは」
『それは――』と続き、うつむきながら体を縮めて事情を話す。
どうやら、最近森の中に住み着いた魔女に会いに行き、お願いしたそうだ。ママに会いたいと。
『ゴッ』
「痛ったーー・・・」
重たいゲンコツを小さい頭に食らわせると、息子は手でスリスリと頭部を押さえる。
「あそこは危ない。だから入っちゃダメだと言っただろ・・・」
ふくれっ面だった表情がクシャっと窄む。
「ママ・・・・・・あいたい!あいたい!あいたいいい!!」
息子は激情を表した後、私のこわばる顔をチラっと見て、またうつむく。
気持ちは伝わる。もうどうしようもないことだけど、もしかしたらと、奇跡に縋ってしまう思い。
「さみしいのはパパだって同じさ。けど・・・二人でがんばっていこう」
そっと息子の手を取る。
気持ちに寄り添いたい思いと、頼りないパパでもいいよと頷いてほしい願いで。
俯いててもわかる耳まで真っ赤な顔で、こくりと頷いてくれた。
耳のキノコを手に取り引っ張る・・・・・・引っ張る・・・ヒッパル・・・。
息子の顔の皮が強烈に伸びてひどい顔になるだけだった。あー。
「・・・それじゃあ、魔女さんに会いに行って、ごめんなさいしにいこっか」
☆☆
村の人目を盗み、どうにか森に入る。
周囲の虫の居所が気になりつつ、そんな気は知らない息子はてくてく進んでく。
森を抜け、開けた丘を登り、岩山の崖際に三角屋根の家らしきものを見つけた。
「こんな遠いところでよく見つけたな」
「近くの洞くつを秘密基地にしてたら、そばにあれができて魔女の家じゃねってなってた」
「まさか他のともだちも行ったのか?」
「うーうん行ってない!」
にんまり顔を向けてくる息子はどこか誇らしげだった。
『ゴッ』
「ったーーー、叩かないでよ!」
「いけないことなんだぞ」
ちゃんと反省してるのか?と眉で値ぶむ。
息子のにやけズラは止まらない。
「そらいくぞ」
自分にも勇気を奮い立たせるように、息子と歩きだす。
だんだんと近づくにつれて、家らしい建物が大き目であることが計れてゆき、煙突からは黒い煙がでているのが確認できる。
傾斜が緩やかな岩山を登るだけで少し息が切れた。
そばまで来て外観を見ると、扉の横に箒が立てかけてあり、窓がない。
いよいよだ。
つないだ手をお互いに握り直し、扉を軽くたたく。
「こんにちはー、わたしは昨日魔法をかけていただいた子供の父ですー。キノコの除去のお願いで参りましたー」
「いますかー」
静寂ののち、音沙汰はない。
「すみませーん、忙しい中いきなり押しかけて申し訳ありませんが、何卒お願いできないでしょうかー」
「しょうかー」
返事がないので、コンコンコンコン扉をつぶさに軽く叩く。だんだんしびれを切れてきた。
「あのー、煙出てますし、いますよねー」
「いますねー」
コンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコン
コンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコン
ガァー。
扉が外向きに開き、ふーっと息が抜ける。
「・・・お邪魔します」
扉を開けたが、迎える人はいなかった。
不審には思いつつも、恐る恐る足を踏み入れる。
すると螺旋状に場が歪み、静止した奥行きが迫りくり、頭と体がうろたえて、声にならないうめき声は漏れ、足が引き下がる。
ぐるぐるぐると錯覚が体中を這い、困惑した感覚の中で機能している視覚は、正面で椅子に座る人物を捉える。
椅子の手すりに肘をかけ、したり顔で迎えていた。
深緑のローブと耳が横に伸びている特徴な外見を判別した時には、視界端で間延びしていた空間は瞬時にまとまった。
手を離れていた息子はこてんとひっくり返っていて「おえー」っと鳴いている。
「ようこそ、騒がしい親子たち、お前らは大っ嫌いだ」
表情は温厚そうだが目線は射殺しにきてて、反射的に下手に思考が回りだす。
「あっあっすみません押しかけてしまいまして・・・えー、本日はー、大変恐縮なのですが―――」
「要点を申せ、釜が冷めぬうちにな」
かけた片足がゆすり始める。やばいめっちゃイライラしてる。
しかし思考は空転を繰り返しなかなか言葉がでない。
何言っても断りそうな雰囲気でどう頼めば聞き入れてくれるのか。
逡巡して考えあぐねているうちに息子が起き上がる。
「こんにちは、耳を直してほしいの」
素直で無垢でかわいい息子の頼み方に、パパは何でも買ってあげてきたが、魔女相手にはどうだろうか。
「調子に乗るなよクソガキ。昨日叶えてやったのは気まぐれだ。2回目はない」
「すみません!生意気な口を利いてしまいまして」
「さっきからその謝罪は怒られたから言っているのか?それも反省してこころを痛めて言っているのか?」
唖然とする。
よほど間の抜けた恍け面だったのだろう「まあよい」と手で制し、何を思ったかそっぽを向く。
「あの、ありがとうもいいたくて、夢でたくさんママに会えたの」
だからありがとうと言葉を続けた。
息子の「ありがとう」という言葉に気づかされる。
魔女は息子の頼みを聞き入れて、それが望まない結果も呼び寄せたもしれないが、施しを与えてくれたのだ。
先に言うべきことも言わず、失礼だったのは自分の方だったかもしれない。
気がつけば俯いていた顔を上げると、魔女は横目でこちらを見定めていた。
魔女の視線に釣られてか、息子も隣で見ている。
緊張の最中、堪らず微笑みが漏れて、息子の頭をクシャクシャと撫でてやった。
魔女は正面に向き直ると、手を挙げる。
「時間だ、釜が冷める」
「あの、まだ―――」
『まだ取り除いてもらえてない』そう言いかけたとき、息子は手を掴み制止を示す。
「いい、帰ろう。言えたから」
パチンッと指が鳴ると、場が歪み、遠ざかる。
振り返ると閉じた扉が迫っており、反射的に息子を抱いてかばう。
扉はすんでのところで勝手に勢いよく開け放ち、僕らは放り出された。
冷たい地面を何度か転がり、目を回しつつ足りない感触に気づいて、泳いだ目で息子を探す。
息子は宙に浮いていた。
両手をバンザイしてぎょろ目を剥いている。
耳から生えたキノコは震えだし、分離した。
抜けた矢先、キノコの後端からキラキラした青い煙を噴出させて宙を舞い踊る。
煙のキャンバスに、不思議と彼女との大切な思い出が描かれていく。
思いに浸る間もなく、煙は散り散りに掻き消えてゆき『まだ居てくれ』と差し伸べた思いは、またも断られてしまった。
晴れてきた煙から息子が飛びついて来て「わー!」と勢いよく抱きつかれた。
ぐりぐりと定位置の背中までよじ登ってくる。
「びっくりした?」
「うん・・・とても。・・・・・・案外いい人かもね」
顔の横でこくりと頭がうなずくのがわかった。
それから家に向き直り一礼をして、勢いよく振り返ると全力で峠を下る。
『キャーーー!!』っと耳のそばで遠慮なく叫ばれた。
声は開け放たれた夕焼けの空に、天高く、遠く、遠い彼方まで、きっと届いていた。
☆
翌日。なぜ魔法の後遺症がキノコだったのか考えて、好物なのかなと思い至った。
お礼のつもりでキノコ盛りだくさんのシチューを入れた鍋を持って、魔女の家に訪ねた。
一度だけノックしたがどうせ出る気はないだろうと思い「温めてお召し上がりください」とだけ言い残し、箒の横に鍋を置いて帰った。
3日後。鍋を持ち帰りに家に訪ねると鍋は同じ位置に置いたままだった。
蓋を開けると中は空だった。