ドナドナドナどなたさま?
こんにちは。
今回は、前回のオリエンテーションにご来場の方々の人数などの様子を見て、公民館の小演芸場にてのお話になります。三密は避けて……って、この人数じゃあ、ソーシャルディスタンスは問題ないようですね。ジ・アルフィーの皆さんも安心しています。換気はもうエンジン全開で建物中の窓や扉を開けときましたから。はあ、誰がですって? わたしに決まっているじゃないですか! わたしの馬鹿話ごときにボランティアだの弟子なんて贅沢品は一切使用していません。ただし、お茶とせんべいはご有志の寄付でたくさんございますので、しけっちゃわないうちに食べきってくださいね。でもたぶん、しけるな。養父さんに、もうおせんべいは遠慮するよ今度言おうっと。
さて、わたしはいわゆる『躁鬱病のタチが悪い方(双極性障害1型)』に十年ばかり掛かってっているのですが、ああ逃げないでくださいよ。別に毎日キチガイ騒ぎを起こしているわけではないんですよ。普段のわたしは単なる好々爺なのです。飴ちゃんあげよか?
ところが去年の夏、七年ぶりに躁のビッグウェーブ打線が爆発し、わたしは、なぜか室内をぶち壊し、大事にしていた文庫のカバーを剥がして破いていたそうです。(その間の記憶なし)
さらにこの病気の特徴である浪費癖が出てしまい、新横浜の三省堂で、お付きの者に「おい『勉強本』見繕うぞ。これ買う。これもそれもあれも……」とお付きのスマホにメモさせて、後でネットで購入させました。だってあの店、整理整頓がなってないし、四十の頃に、金がなくて、仕方なくアルバイトに応募したら、わたしよりはるかに年下の女が鼻で笑ってわたしを不合格にしやがったので、以来絶対にあそこでは買ってやらないのですよ。わたし、キチガイだから執念深いの。
こうして購入したシリーズの必須アイテム『勉強本』なのですが、躁が落ち着いてから、『勉強本』のラインナップを眺めましたところ「なぜ、わたしはこの本を買ったのか?」という疑問でご飯が三杯食べられました。だって、興味もなければ、難解そうなものばかりなんですもの。わたしの考える『いい勉強』っていうものは、自分が好きなことをトコトントコトンとみどり姐さんと一緒に「遊び勉強」のようなことから初めて、次第にそれと関連した分野にも挑戦していくというのがベストだと思うんですがね。わたしは初手でつまずきました。
前置きが長くなりました。すみません。ただ、言い訳をいたしますと、わたしの養父が噺家なもので、噺には必ずマクラを入れないと怒るのです。ご勘弁ください。ああ、ただこれは落語ではありません。念のため。
さて、本題に入りましょう。
この勉強を始める前に読んでいた『罪の声』の前評判に騙されて、三ヶ月もかかってやっと読了し、死語ですが『壁ドン』本にしたわたしは薄めの『勉強本』をチョイスしました。でも本当はムーンライトが好き。
それはともかく、選んだ本は、
白川静『孔子伝』
です。孔子についてわたしが事前に知っていた知識は「昔の中国の偉い方」くらいですねえ。それより、刮目すべきは著者ですよ。白川静先生。あの『字統』やら『字訓』などを編纂した、漢字学の第一人者です。本書の解説によると、学生闘争時代、他の教授陣が大学から逃げ出す中、白川先生は一人、毎日研究室で学問をし、研究室の明かりは遅くまで消えなかったそうです。さらに、学生に鉄パイプで殴られた次の日も登校し研究を進めたそうです。ガッツありあり。
しかし、昭和四十年代って簡単に中華へは行けないですよね。なのに金に書かれたというか掘られた「金字」や原典に当たった形跡があるのでとっても不思議。だって、まだ紙のない時代ですよ。木簡や竹簡に書かれた文章を読むのです。わたしだったら両腕が筋肉痛になってお箸が持てなくなるので、お断りです。
さて、宮城谷昌光先生にも影響を与えたという、白川先生の『孔子伝』どんなものか……。
ええとはっきり言うと、これは学者が書いた学者の読む本でした。さっぱりわかりません。白川先生はその頃の学生はある程度の学識を備えていると思ったのでしょうかね? 甚だ疑問。全ての漢字にふりがながふってあれば、音読ぐらいできますけど、見たことない漢字が出て来ると、もう勝手に「〜!」と決めつけて読んでましたし、意味だって適当に決め付けました。何か問題でも?
要はマラソンは完走に、読書は読了に意義がある。(ウソ)
孔子の生涯、その考えもほとんどわかりませんね。第一、孔子は何一つ文章を残していません。若い頃は、政治に顔を突っ込んでいた時期もあったようですが、格上の陽虎という人物が苦手らしくて、亡命ばっかりしています。やっと腰を落ち着けるとなぜか陽虎が現れて亡命。結局二十年近く亡命し、祖国である魯に戻った時には六十をすぎたお爺さん。残り、約二年の余生は楽しく暮らして死にました。という感じなのです。わたしは、この陽虎って人物を小説にしたら面白いと思うのですが、あなたはいかがですか?
孔子の死後、弟子たちがその言動をかき集めて『論語』を編纂したのですが、その時、弟子たちの思惑で、様々な改ざんが行われていたようです。
孔子というのは姓名ではなく姓は孔、諱は丘、字は仲尼で「子」は先生みたいな意味です。
諱と字についてはまた別項でやりましょう。
孔子を祖とする『儒教』は中華の国教にまで成長します。しかし、わたしが考えるには、儒教とは人と争わず、金儲けをたくらまず、ぼんやりと精神世界を漂うもののように感じます。もしかして、孔子って本当に実在したのでしょうか?
孔子は一番愛していた弟子、顔回に先立たれ「もう全ては終わった」みたいなことを言ったそうです。顔回という人は一生仕官もせず、貧しさに喜びを見出し、孔子の心の中を言葉で話さずとも理解できた唯一の人だったそうです。
ここで、ミステリーフリークのわたしは孔子=顔回という大ボラを吹くのです。
その後中国は諸子百家の時代になり、「〜子」って人がいっぱい出てきて、わたしの腐った脳では覚えきれませんわ。
そうだ、孔子って身長が二メートル十センチ以上あったそうです。台湾に彼の石像が立っているそうですが、それを見た日本人の多くが「あっ、関羽だ!」と言っていてそうで怖いです。
あれ? ところで仏教っていつインドから来るのでしょう……面倒くさいから調べないーよー。
わたしも、皆さまも眠くなってきたようなので、今日はここまで。ご静聴? ご読了ありがとうございます。
次回は恩田陸のうすーい文庫『失われた地図』を読んで、脳のリハビリをする予定ですが、予習は不要です。
ではさようなら。ああ、せんべい持って帰ってくださーい。わたし、前歯ないので食べられないのです。