反出生主義について
誤解されることの多い反出生主義という考えについて、セルフディベート形式で説明していく。
可能なかぎり主観のはいらないようつとめるつもりだ。
反出生主義は、子どもを産むことに対して否定的な考えである。
この世は苦しみで満ちており、子どもを産むことは子どもを苦しみに否応なく(子どもは自身が産まれたいかどうか意思表明できないため)直面させることであり、非合理的であるとされるからだ。
反出生主義が理解されない大きな原因はここにある。
多くの人は、この世が苦しみに満ちているということに疑問をもつだろう。
ただ、苦しみとはなにか考えてみると疑問は解消する。苦しみとは欲求が満たされないことである。私たち人間は生物であり本能的な欲求(食欲・性欲・睡眠欲など)を抱くわけであるが、私たちが人間であるが故にそれら本能的な欲求は理性により抑圧される。この抑圧こそが苦しみなのだ。
つまり、私たち人間は人間として生まれてきたがために苦しみを覚えずにはいられないのだ。
この世に苦しみはあるかもしれない。それでも同じように幸せだってあるはずだ。このように反論する者もいるだろう。
ただ先に述べたように苦しみは確定的なものであるのに対して、幸せは不確定的なものである。
不確定的な幸せを感じるために、確定的な苦しみを味わう。私たち人間がこの世に生まれてくることはあまりに非合理的ではないだろうか。
「Dancer in the dark」という映画がある。
この映画は賛否両論わかれるが、その原因は目に障害を抱える母親が「子どもを抱きたいから」という理由で、障害が遺伝するとわかっていながら子どもを産むと決断したことにある。
「子どもを抱きたいから」という極めて利己的な動機で出産を決めたことに対して抵抗感をもつ人は多いと思うが、反出生主義の考えを理解すると例外なくあらゆる出産に対して抵抗感を抱く。
なぜなら、産まれてくる子どもは確実に苦しみを味わうはずであり、子どもの同意が得られない以上母親に子どもを産む道義的権利はないからだ。子どもを産むかどうか決めるのは勝手だと主張するのはあまりに身勝手すぎる。
この世が苦しみに満ちているというなら死ねばいいじゃないか。結局死ねないなら生きているほうがいいってことではないか。
反出生主義を説明すると、このように反論されることも多い。このように反論する人は例外なく産まれなければよかったということと死にたいということを同一視している。
ただ、この二つは別物である。
仏教では大きな四つの苦しみとして、生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、死ぬ苦しみがあげられている。
死ぬ苦しみ。詳しくいうと、死ぬことの恐れやその先の不安。人間は生物であり、どれだけ苦しんでいても本能的に生きていたいと感じる。その本能的欲求を抑圧し(つまり苦しんで)自殺する。産まれてきてしまうと、自然死するまで苦しみ抜くか、自殺する苦しみを味わうかの苦渋の選択を余儀なくされる。
したがって、産まれなければよかったということと死にたいということは違う意味であり、この世が苦しみに満ちているなら死ねばいいという論理は筋が通らないのである。
反出生主義は未来の世代を苦しみから救うための思想だ。
世間にはびこる出生主義に思考停止せず、今一度子どもを産むということがどういうことなのか考えてみてほしい。
批判コメ歓迎します。