タイムスリップ怪盗とグルメな悪役令嬢
どこかで指を弾く音がした。
夜の闇に溶け込むマントに身を包んだ人がベランダの手すりに立っている。顔はシルクハットを目深に被っていた。まるで最初からそこにいたかのように。ベランダにいたわたしはドレスの裾を掴んで部屋の方へと後退る。
「初めまして、ハート嬢」
「あら、どこぞの馬の骨か存じ上げませんが礼儀を知らないのね。まず自分で名乗るのが礼儀ですのよ」
相手は肩を揺らすとシルクハットを取って、頭を下げた。
「申し遅れました。僕はタイムスリップ怪盗セブン。あなたを盗みに参上いたしました」
わたしは彼を知っている。何故タイムスリップなのかは、本人から届く予告状にそう書かれているから。セブンの噂はもれなく耳に入っていた。そして、彼が昨日出した予告状のことも。
「どうして、わたしですの」
「ハート嬢がこの街で一番綺麗だからですよ」
「何を言っているの? 確かにわたしが街一番の美人だったとしても、周りになんて呼ばれているか知らないわけではないでしょう」
彼の言っていることが素直に受け取れない。彼から笑顔が消え、真剣な黒い眼差しで見つめてくる。
「勿論、あなたが街一番の料理にまずいと言って、コックを激怒させたことも。その結果、ここに軟禁されていることも、あだ名が悪役令嬢であることも知っていて、あなたを盗みに来たのです」
「どうして?」
わたしの碧眼が彼の黒目に映りこむ。わたしはそのまま目を離せない。
「あなたのことを愛しているからです」
彼は表情を崩さずに愛の言葉を告げてくる。この男、初対面だというのに遠慮というものがない。
「あなたはここにいるべき人じゃない。そう、僕と一緒にもっと美味しいものを食べに行きましょう」
「え? 食べ――?」
聞き終わる前に彼は手を掴んで、ベランダから飛び降りる。声にならない悲鳴を上げるわたしを抱きかかえて、軽々と屋根を駆けていった。
暫くたって街を出た道中でセブンに聞く。
「そういえば、セブンは何故タイムスリップ怪盗と名乗っているのかしら?」
「そうですね。これから行動を共にするうえで知っておいてもらった方がいいでしょう」
セブンが指を弾いた。
「僕は指を弾くことで時間を戻すことが出来ます。だからタイムスリップ怪盗。ま、戻したことを認識できるのは僕と僕が触れていたものだけですが」
「もしかして、わたしを口説き落とすにも時間を戻したりしたのかしら」
セブンはにっこりと笑ったまま何も言わなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回は1000文字以内という縛りの中で書いてみましたが
他に書きたいことがありすぎて、まとめあげるのに苦労しました。
本当はハートの見た目や二人の掛け合いを書きたかったのですが、とても文字数内に収まらず……。