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1 目覚めと空腹


 目覚めると、俺は遺跡のような場所で横たわっていた。


「はっ?」


 わけもわからず身を起こす。目に映るのは古ぼけた石畳と、真っ青な青空。青空にはさんさんと輝く太陽がある。俺の周りには足元の高さほどで崩れ落ちた石造りの家の残骸と、隙間から見える青々とした雑草。写真でしか見たことのない、中東の遺跡みたいだ。

 後ろにはそんな景色がずっと広がっている。前を見れば、これまた果ての見えない森だ。


 きょろきょろと周りを見回してみるが、人の姿はない。身に着けているのは半袖のシャツにジーンズ。スマホや財布はないし、ポケットの中も空っぽだ。


「一体何が……えぇと」

 どうしてこんなにいるのか。何か思い出せることがないかと、記憶を探ってみるが、何も思い出せない。


 最後に残っている記憶は、真夏の暑い日に大学に行き、その帰りにコンビニでアイスを買ったところまで。それ以降の記憶は一切残っていない。

 それからのことを思い出そうとすると、目の裏側を乱暴に殴りつけるような痛みが走る。


 これ以上のことは思い出せそうにない。他にも何か大事なことを忘れている気がする。首を振って俺は深いため息をついた。


「とりあえず、どうするか」

 何がなんだかわからない状況だが、このまま突っ立てるわけにもいかないだろう。スマホがないのでは、連絡手段があるのかどうかも分からないし、水も食料もないから、このままだと飢え死にするしかない。


「つぁ……」

 ギュルルル。食料。その言葉を思い浮かべた瞬間、俺の腹が盛大に音を立てた。めまいがするほどの空腹感。最後に飯を食べたのはいつだったか。たしか記憶が残っている日の最後の朝。いつもより()()()に、どんぶり飯を五杯と唐揚げ十個にとんかつ一枚と山盛りのサラダ。

 たまたま家にある食材が少なくて、それだけしか食べられなかったのだ。そうでないから、倍の量は食べている。


 友人からはよく「お前は食べ過ぎだ」と言われたが、俺からすればあんな小食で大丈夫なのかと思う。俺が食べ過ぎなのではなく、他の奴らの燃費が良すぎるのだ。

 実際、俺の体は痩せている。


 一度空腹感に気付いてしまえば、我慢できそうになかった。腹に手を当てながら、俺は近くに見える森に目を向ける。

「森なら、木の実かキノコとかあるし、なんなら川とか流れてるかもしれない……よな?」


 そうであってほしい。食費を削るために、山でよくキノコとか野草を採ってたから、勝手はわかるし毒があるかどうかの判断もできる。

 毒が入っていたとしても俺の胃袋は強靭(きょうじん)だ。最悪、ちょっと腹を下すだけで済む。


「行くか……頼むからなんかあってくれよ」

 そうつぶやいて、俺は石畳の区画ではなく、食べ物がありありそうな森の中へと入っていった。


   *


 記憶の断絶。突然未知の場所に放り込まれたという現象。普段ならとんでもないパニックに襲われそうな状況だ。

 だが俺を襲った混乱はほんのわずかで、俺は襲う空腹感に従って行動することに、何の違和感を覚えなかった。


 俺はこの異常な状況にごく自然に対応できていた。まるで最初から何が起きたか知っているかのように。


   *


「そういや、今はいつなんだ?」

 森に入ると、そこにはきれいな光景が広がっていた。木の根とわずかに残る石畳の張った地面に、まばらに生える背の高い木々。木々の隙間からこぼれる太陽の光が、森の中を照らしている。

 森の中は意外と明るい。そして思っていたよりも涼しかった。


 太陽の昇り具合からして、まだ朝なのだろうが、森の中にいると言うことを考えても真夏にしては気温が低い。着ているシャツは汗ばんでもいない。


 冬でもないだうし、季節は秋か?

「ってことは、俺は数か月くらい眠らされてたってことか?」

 ならばこの空腹感にもうなずける。数か月何も食べてないなら、俺でなくとも腹が減るだろう。

 森に入って一時間はたっただろうか。奥へ、奥へと進みながら俺は耳を澄まし、目を皿にして食えるものを探していた。


「くそっ。見つかんねぇ」

 だがいくら探しても食べられそうなものは見つからなかった。森に生えている木々は葉っぱと枝しかついておらず、幹の根本にはキノコ一本生えていない。

 最悪、空腹が我慢できなくなったらその葉っぱや地面に生えている苔や根っこを食べるが、それは最終手段だ。できれば避けたい。


「うぅ……動いたら余計に腹が減ってきた」

 襲い掛かる空腹感は、時間を追うごとに増し、すでに飢餓感とも呼ぶべきものへと変じていた。いっそ、苔を食べて空腹を誤魔化すか。そんな馬鹿げた発想すら、名案のように思えてくる。

 野生動物でもいないだろうか。さすがに野草取りの経験はあっても野生動物を狩ったことはない。しかし飢餓に襲われた今なら、それすらできそうな気がする。


「……ん?」

 ガサリと、獲物を探すために鋭敏になっていた俺の聴覚が、何者かの気配をとらえた。


「飯だ」

 距離は近い。

 動く気配を、俺はいい獲物が来たとしか思わなかった。深く考えるより先に音のした方へ走り出す。木々の間をすり抜け、起伏の激しい地面を蹴って走る。

 こんなに動けただろうか。体が妙に軽い。目覚めてから消えない違和感を胸にしながら、疾走する。聞き取った音の存在が近くなり、俺はその存在を視界にとらえる。


「って、いやいやいやいや」

 その姿を見て、俺の足は止まった。いや、止めざるを得なかった。


 俺の十五メートルくらい先にいたのは、子どもくらいの背丈で二足歩行しているモノだった。粗末な腰巻をつけ、手には雑な作りの棍棒が握られている。

「キシィィィ……」

 肌は老人のようにしわまみれで、腰もひどく曲がっていた。だがそれよりも異様なこと。


 そのモノの肌の色は薄汚れた緑色だった。


「嘘だろおい……」

 それはさながら、ゲームや漫画の世界でおなじみのモンスターの“ゴブリン”だった。何も考えずここまで全力疾走してきたから、ゴブリンは当然俺の存在に気付いている。


 ゴブリンは黄ばんだ目で俺をねめつけた後、棍棒を構えてニタリと笑った。

「ひっ……!」

 ゴブリンの目は、俺のことを獲物として見ていた。素手の俺に対して、相手は粗末とはいえ武器を持っている。しかも、ファンタジーの世界でしか見たことがないような怪物だ。


 恐怖で身がすくんだ俺。しかしその時、また俺の腹が鳴った。


「あ」

 ぎゅるるるる。響く腹の音は止まらない。ずっと俺の奥底から主張を続けている飢餓感が、俺を追い立ててきた。腹の音が反響して聞こえるほどの飢餓感。ゴブリン以外の存在が消え失せるほどの空腹感。


 腹が減った。腹が減った。腹が減った。

 俺は素手のまま、ゴブリンに向かって構えていた。


「腹、減った」

 目の前の“食料”に対して、俺は殴りかかっていった。

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