二日目 ―interlude―
【憤怒】と【暴食】たちの死闘。その戦いを誰にも気づかれずに覗く者がいた。
「あっ……はは、なんだあれ? 僕、あんなのと戦わないといけないの?」
森の中の草むらに隠れる一人の男。何も知らぬ人間が見れば、彼こそが【暴食】だと思うだろう。
身に着けているのは薄手の白いシャツ。清潔さを表す白のはずだが、汗であちこちが黄色く変色し、でっぷりと太った腹がシャツの下から出ている。ここ何年も運動せず、コーラとポテチを食べ過ぎた結果だ。
履いたジーパンはパンパンで、額には趣味の悪いバンダナ。手には皮の指ぬきグローブをつけている。
髪はもじゃもじゃの天然パーマで、センスのない安い大きな丸眼鏡をつけている。
彼は引きこもりのオタクだった。高校を卒業してから進学も就職もせず、薄暗い部屋に引きこもって、アニメ鑑賞やゲームを続けて生活してきた。
生きるための金は親から得る。そのくせ感謝の一つも見せずに、悪態ばかりつく。
人には一人前に文句を言うくせに、自分はそれ以下のことしかできない。
学校に通っていた頃も、友達など一人もいなかった。間違いなく、彼の歪み切った性格が原因だった。
全く努力なんてしないくせに、できる人間のことを羨む。手を差し伸べてくれた人間に対しても、ひねくれたことを言う。
そして「僕のことなんて誰もわかってくれない」だのとのたまう。
彼を知る者は皆、プライドばかり高いひねくれたクズだと思い、それは間違いではなかった。
クズというなら、【憤怒】も社会一般的にはそう呼ばれる人間であったに違いないが、彼には「理不尽を憎む」というゆるぎない信念があり、性格の歪む過酷な環境があった。
だが彼にはそれすらない。恵まれた……というわけではないがごくごく一般的な家庭に生まれ、特別困るような暮らしをしてきた。
彼が歪んだのは一重に生来の人格。
生まれ持ってのクズ。真正のクズだ。
そんな彼は森に隠れて、ガタガタとみっともなく震えていた。このデスゲームにおいて、【嫉妬】の大罪を背負わされた彼の異能は「視覚と聴覚の拡張」。言ってしまえば、戦いの行われている場所全てを【嫉妬】は監視することができる。
立ち回りによっては、かなり強力な能力であるが、彼はデスゲームが始まってからほとんど動いていなかった。
目覚めたら薄暗いエアコンの効いた部屋の代わりに、この訳の分からない遺跡みたいな場所にいて、目を閉じたら今自分のいる場所を俯瞰で見ることができた。
彼が見た光景は絶望の一言に尽きた。“ここ”の外は絶望だった。だからモンスターに見つからないであろう場所を探して、そこに逃げ込んだ。
そして自分と同じ環境にいる人間を、異能を使って探し出し、彼らの会話を盗み聞きすることで情報を得た。
一日目で起きた二つの戦い。凄惨な殺し合いを見て、【嫉妬】は、自分には無理だと思った。【暴食】と【憤怒】の戦いも、【強欲】ともう一人の戦いも、【嫉妬】にとっては現実のものとは思えなかった。
爆発と死体舞い散る戦いも、武器とモンスターの飛び交う戦いもマトモとは思えなかった。普段やっているゲームかアニメの光景としか思えなかった。
あんな奴らと戦ってみろ。一瞬で殺される。
一日目ですでに心の折れかけていた【嫉妬】だったが、二日目の戦いを見て完璧に心が折れた。
「いやだいやだいやだ。どうして僕がこんなことになんでぼくなんだよくそだったらせめてもっと強い力をくれよ。こんな見るだけのちからなんていらねぇよ。僕だぞ? 最強で他の奴らなんて簡単にぶち殺せるような力をくれよチートだチート。チートをよこせよ」
戦うことなどできない。絶望した【嫉妬】はぶつぶつと現状への恨み言を発し続ける機械と化した。がちがちと歯は鳴り続け、目は異様な光を帯びている。
そんな彼の手には、片手で持つにはやや大きい、銀色の“匣”があった。
*
その男は二日目を微睡の中で過ごしていた。空にはまばゆいほどに輝く太陽。心地よい日の光の下での昼寝など何年ぶりか。男は安らかに寝息を立てる。
「グルルル……」
だがそんな彼の周りは、彼の穏やかな心情とは異なり、物騒極まりなかった。
近くにいるのは五十はいるであろうモンスターの群れ。モンスターは“プレイヤー”の敵だ。そのモンスターを近くにおいて、彼は眠っている。絶体絶命の状況。しかし、モンスターは彼を襲うことはなかった。
それどころか、モンスターたちは彼を守るように動いている。モンスターの額には、鳥をモチーフにしたような奇怪な紋章が刻まれており、時折、近寄ってきたモンスターも、紋章を持つモンスターに触れられると、同じ紋章を額に刻んで彼に隷属した。
モンスターたちの鳴き声が少々やかましい。その男――【怠惰】はゆっくりと目を開けて、のびをした。
「あぁ……よく寝た」
ここは楽園だろうか。面倒なしがらみから解放され、惰眠をむさぼることがこれほどの快楽だとは。
昨日は名前も思い出せない無能な幼馴染が襲い掛かってきたが、気にするまい。しょせんは無能。モンスターどもをけしかけたら撤退していった。
モンスターはいくらでも補充がきく。あれを追い払うために相当な数を消費したが、寝ていればまた増える。
「くぁ……全く、あれにも困ったものだ。もう随分前のことを根に持って、こんな楽園に来てまで私の命を狙うなんて。本当に愚かしいな」
【怠惰】はどうでもいい彼の顔を思い浮かべ、ふふっと笑みを浮かべた。
「どうせ誰も私には敵わないというのに」
そう言って【怠惰】は懐にしまっていた本を取り出した。美しい装丁のなされた革の本。彼の愛読する聖書だ。
好きなだけ眠り、起きた時には太陽の下で彼は聖書を読む。それがここに来てからの、彼の生活だった。
*
「なんなんだろうかね。ここは」
森の中を歩く男が一人。彼はこの二日をずっと森を歩くことに費やしてきた。
仕立てのいいスーツによく磨かれた革靴。髪はオールバックに固め、金縁の眼鏡をかけている。森を歩くような服装ではないが、彼の服には汚れ一つついていない。
目覚めたらすこぶるいい気分で、しかも身に覚えのない異能を手に入れていた。
二日目になると、いい気分はだいぶ薄れてしまったが、久しぶりの休暇替わりにと森を散策することで一日を消費。
たまに襲ってくるモンスターたちも、彼には触れることすらできなかった。
彼――【傲慢】はいくら行っても終わりの見えない森に、嫌気がさし、目覚めた遺跡らしき部分に向かって歩を進めていた。
彼の行く先に誰がいるのかは、【嫉妬】をのぞいてはまだ誰も知らない。そして穏やかに笑う彼の手には、銀色に光る一条の“槍”があった。
*
かくして二日目は終了する。七人いた“プレイヤー”の内、【憤怒】は死に、残り六人となった。
状況を理解し、積極的に行動する“プレイヤー”がおり、恐怖や怠惰に行動しない“プレイヤー”もいる。
しかしこのデスゲームは、安寧を求めてなどいない。【憤怒】が死したことにより、戦いは加速する。
夜、森がざわざわと揺れていた。森は自らの存在を広げるように、木々を生やし、遺跡を侵食する。
石畳は砕け、崩れた家々は飲み込まれる。
異変は森だけではなかった。森に住まうモンスターたち。彼らもまた、苦し気に呻いて肉体を変貌させる。
より強力に、より凶悪に。
三日目がじきに始まる。




