12 理不尽に抗う
「あ……あぁ?」
【強欲】がひねりを入れながら剣を引き抜いた。と同時に、【憤怒】の体から血が驚くほど噴き出てきた。
「てめ、いつから」
「いつから、ねぇ」
瀕死の【憤怒】に、【強欲】は余裕ありげな笑みを浮かべる。勝敗は決した。俺は近寄ってきた【色欲】から渡されたモンスターの肉を食らい、傷を回復させる。
肉を食べると、乱れた思考が落ち着いてくる。こいつは化け物だ。……人間なんかじゃ、ない。
「ほんのさっきさ。悪いね。そこに転がる小石。それは俺の“所有物”なんだ」
【強欲】は【憤怒】の足元に転がる小石の一つを指さす。小石にはよく見なければわからないほどの小さな傷がついている。
その傷は【強欲】がつけたものだ。そして同じように傷をつけた小石は、ここにはたくさんある。
「なに、言って」
「それを君が知る必要はないね。どうせ君はここで死ぬ」
【強欲】の言葉と同時に、【憤怒】は膝をついた。いまだに俺たちをにらみつけているが、息をするのも辛そうだ。
「がぁ、カァーっ」
「無理するなよ。ここで逝った方が楽だと思うよ?」
【憤怒】の心を折るべく、【強欲】の言葉が彼を嬲る。
「ほら、ここで死んじまえよ。【憤怒】くん」
「ぢ、ガ……ァ」
その言葉を聞いて、【憤怒】は――
彼は――
*
理不尽は嫌いだ。偽善者も嫌いで、きれいごとなんてものはこの世から消えてしまえばいい。
【憤怒】はくらむ視界の中で、自分を見下す三人を見ていた。
男に媚びて、うっとうしいクソ女。
偽善にまみれた化け物男。
卑怯を当たり前にやってのけるクズ野郎。
全てが理不尽。【憤怒】だけが周囲から劣っていて、誰もが【憤怒】を侮蔑する。それが嫌で、そんな理不尽が嫌だったからこそ、【憤怒】は理不尽に抗い続けてきた。
クソみたいなあの場所に、クソみたいな自分が生まれたからこそ。
「見下ろすんじゃねぇ……俺を、なんて」
理不尽に抗うために、彼は変わった。虐げられる側から虐げる側に。弱者から強者に。独りぼっちから仲間たちのリーダーに。
彼は、【憤怒】は理不尽を跳ね返すために、いつだって怒りを燃やして変わってきたのだ。
ここに来てからずっと【憤怒】の中に根付いている怒りの感情。そこからもれでる爆破の異能。そのさらに奥へ。名前を失った彼は手を伸ばす。
そして変質した彼の本性が晒される。
「ん?」
【憤怒】の纏う空気が変わった。【強欲】は瀕死の【憤怒】が燃え盛る劫火を背負っているのではないかと錯覚した。
そして気づく。これは錯覚などではない。【憤怒】は本当に燃えていた。怒りに燃える【憤怒】からこぼれた血は沸騰し、大地を溶かす。
変化したのは血液だけではない。【憤怒】の虹彩は縦に伸び、爬虫類を思わせる。爪は伸び、固く鋭いものに、歯は伸びて牙と化す。
「オレヲ……ミクダスンジャネェェェェェ!!」
「な、なんだ!」
【憤怒】は異形の怪物へと変異した。瀕死の状態から一転立ち上がり、近くにいた【強欲】に向かって腕を振りぬく。
「つ……これは予想外だな」
刹那、【強欲】の姿が掻き消える。そして【暴食】と【色欲】の隣に姿を現した。
「何が、どうなってんだよ」
【暴食】の声には混じりけのない恐怖が混じっていた。それはこちらが聞きたいと、【強欲】が首を振った。
「わからない。だがここに来て、俺たちに異能が宿った。ならあれも異能の一つということなんじゃないか?」
「あれが、かよ。あれじゃまるで」
モンスターじゃないか。その言葉をすんでのところで飲み込んだ。しかし言いたいことは伝わったのだろう。【強欲】の顔が曇る。
「モンスター、か。あながち的外れでもないのかもな」
眼前の【憤怒】は炎を背に背負い、顔に激憤を浮かべていた。ユラリと立ち上がるその姿は人と爬虫類、いや、人とドラゴンを混ぜたかのような有様だった。
半人半龍の異形を見て、【暴食】はもちろん、【強欲】ですら動揺を隠せなかった。しかし、二人半歩後ろにいる【色欲】だけは【憤怒】の姿に動じていなかった。
【色欲】の表情は暗い。彼女は今の【憤怒】の姿を見て、二人に聞こえないくらいに小さくつぶやいた。
「憤怒の大罪。その罪科に対応する怪物は、ドラゴン」
*
「ゴォォォォォォォォォォッ!!」
【憤怒】が吼える。森を震わせる轟音に、木々は震え、大地は大きくひび割れる。すくむ【暴食】と【強欲】の二人を、【憤怒】がにらみつけた。
【憤怒】の内心は激情で満ちていた。過去と現在と未来。全ての時間で獲得するであろう憤怒の情念を内包し、思考は目の前の理不尽をねじ伏せることしかない。
踏み出した足に力が入らない。関係ない。握りしめた拳が弱々しい。知ったことか。
「ギゼンシャァァァァァァッ!!」
【憤怒】は燃え盛る拳を握りしめて、【暴食】に殴りかかった。【暴食】は迫る拳を一瞬呆然として見て、慌てて真横に転がり込む。
避けられた。ならばと【憤怒】は横にいたはずの【強欲】に目を向ける。
いない。【色欲】も背を向けて【憤怒】から逃げていた。【強欲】はどこにいった? 【憤怒】は鋭い眼で周囲をにらむ。
「しッ!」
ドスリと、背中に何かが突き刺さった。振り返る。そこにいたのは緊張した面持ちの【強欲】。
「こりゃ……一つもミスできねぇな」
【強欲】の額に汗が流れる。気にすることなく、【憤怒】は【強欲】を蹴り殺しに行く。
龍の形をとったせいか、【憤怒】の蹴りは雑で、これまでの鋭さは失われていた。しかし全て消えうせたわけではない。龍の剛力によって撃たれた蹴りは【強欲】に触れない。【強欲】は蹴りの範囲の二歩ほど隣にいた。
蹴りが通り抜けた先に疾風が走る。
【強欲】の周りに、何本もの剣や斧が突然出現した。【強欲】はそれらを掴み、たて続けに【憤怒】に投擲する。
投げつけられたいくつもの武器。いずれもモンスターが使っていたような粗末なものだ。武器のいくつかは狙いを外して【憤怒】の背後に飛んでいくが、それ以外は【憤怒】めがけて飛んでいく。
「ァァァァ」
だがそれが【憤怒】をとらえることはない。【憤怒】の纏う炎がそれらの武器を焼き消した。最初、【憤怒】に突き立っていた炎もすでに燃え消えている。
金属をたやすく溶かしてしまうほどの高温。【強欲】は一瞬、【憤怒】の背後を見やり、舌打ちをした。
「君が要だって……言ったんだけどねぇ!」
「ガァァァァァァァア!!」
【憤怒】の咆哮。【強欲】は目を細め、姿勢を低くする。【憤怒】は狙いを【強欲】に定めた。むかつく女よりも、偽善者よりも卑怯な男を先に殺すことを優先した。
「しょうがないか。きっと、お優しい環境の中で生きてきたんだろうし。そんな子がいきなり殺し合えなんて、むしろここまで価値観を崩壊させて生き延びたこと自体を誉めるべきなのかもしれないね」
何を言っているのかはわからない。しかし腹が立つ。怒り。激情。激昂。全てをひっくるめて憤怒。
「最悪俺一人でも戦うさ。俺には、絶対に殺さないといけない奴がいるんだから」
「ジィィィィネェェェェッ!!」
【憤怒】は執拗に【強欲】に迫り、爪を振るう。【強欲】は細かく瞬間移動を繰り返しながら、虚空から取り出した武器を投げつける。
お互いに傷のない繰り返し。何度も何度も繰り返して、顔に余裕がなくなってきたのは【強欲】だ。
対する【憤怒】も、肌が乾燥し鱗が生えはじめ、色も灰色に変色。次第に龍へと近い姿へと変貌していく。
「くそ。俺の瞬間移動はそんなに便利なもんじゃないんだけどな」
【憤怒】の振り下ろし。ついに【強欲】は瞬間移動ではない回避をした。
転がり込んで一撃を避けた【強欲】に、【憤怒】は口角を吊り上げて笑う。
【強欲】の全身に、悪寒が走り抜けた。
「シネヨ。ヒキョウモンガァァァァッ」
【憤怒】は壊れかけの右腕を大きく振りかぶった。振り下ろし。危険信号が鳴り響く。【強欲】は取っておいた転移場所へと回避。
【強欲】の姿が消える。刹那、【憤怒】の腕が振り下ろされた。あとに起きた光景を見て、【強欲】の肝が冷え切る。
そこに広がっているのは地獄絵図かと言わんばかりのものだった。腕が振り下ろされた後に起きたのは巨大な火柱。そこを中心に、前方へと飛んで行った爆炎。爆炎は通り抜けた木々を焼き消し、黒ずんだものだけを残した。
灼熱が駆け抜けたからだろう。爆炎からまぬがれた木々にも火がつき、【憤怒】を照らす。炎を背後に立つ龍もどきの【憤怒】の姿は、まさしく邪悪な龍そのものだった。
「ガ、ハァーッ。ガ……ハァーッ」
邪悪な龍は【強欲】が攻撃をかわしたことに気付き、自らとともに燃え盛る炎を一層燃やした。しかしその火勢はさして強くない。
【強欲】は気づいた。【憤怒】は肩で息をしている。もともと【憤怒】は死にかけていた。今は死にかけの悪あがきでしかない。さらに、今の一撃が影響しているのか、【憤怒】の右腕は肩の根本から消滅していた。
勝てないわけではない。そうとわかれば余裕も出てくる。
「ははっ。案外、追い詰められているのは君もそうだったってことか。こんな理不尽な相手にでも、抗ってみるもんだ」
「リフ、ジン?」
肩で息をしていた【憤怒】が“理不尽”という言葉に反応する。虎の尾を踏んだか? 【強欲】はあえてもう一度踏み込んでみた。
「そうだろ? 君は俺らに理不尽を与える存在だよ。そんな化け物みたいな恰好をして、ずるいよ。戦わされる俺に身にもなってほしい。これを理不尽と言わずに――」
「テメェガ! ソノコトバヲツカウンジャネェゾォクソヒキョウモンガァァァァ!!」
【憤怒】はさらなる激情にかられる。それほどまでに理不尽という言葉は、【憤怒】にとって禁句だった。
その言葉は彼をここまで支えてきた一つの信念。理不尽を跳ね返す。それを眼前の卑怯者に使われるなど、あってはならなかった。
激情にさらされた【強欲】は、失敗したかと冷や汗を流す。しかし、彼は笑った。
「……なんだ」
「アァ!?」
「やればできるんじゃないか」
【強欲】は【憤怒】を見ていなかった。【強欲】が見ているのは、彼の後ろ。【憤怒】は思わず背後を振り返る。
その瞬間、熱い何かが【憤怒】を通り抜けた。
「やればできる。俺も少しは頑張ったかいがあったよ」
「はぁ……っ、はぁ……っ」
【憤怒】の纏う炎が消える。肉体が人間のそれへと戻り、地面に倒れこむ。
倒れた体は真っ二つに両断されていた。目を大きく見開いてそれを成した人間を見上げる。
「お、ま」
斧を両手に振り下ろした状態のまま、立ち尽くす男。黒髪で、痩せ型。町を歩けば必ず見るであろう平凡な外見。
彼は全身を恐怖で震わせ、顔は恐怖で歪んでいた。目に見える傷はないが、涙と鼻水で汚れた顔を見れば、彼がどれだけの勇気を振り絞ったかがわかる。
「ありがとう【暴食】。信じてたよ」
「俺は……」
【憤怒】は、【暴食】によって、殺された。
決着




