11 人間
「人が人を殺す。これは難しいようで、意外とそうではない」
【憤怒】討伐のための話し合いで、【強欲】が口にした言葉だ。
「何せ人間はもろい。首を切れば死ぬ。数日飲み食いしなければ死ぬ。息が五分はできなくなったら死ぬ。頭を強くたたけば死ぬ。ゴキブリはおろか、そこらへんにいるような虫よりもはるかに人間は脆弱だ。軟体生物のように傷を負って、すぐに治るような生命力があるわけでもない」
それこそ、【暴食】君みたいな奴でもない限りね、と【強欲】は軽く笑う。
「挑発してんのか?」
「いやいや、すまない。俺の悪い癖だ。真っすぐな奴を見てると、ついからかいたくなる。……それで、だ。人間は脆い。でも人間は動物の中でも特別長生きだ。七十、八十は当たり前。上手くいけば、百年を超えても生きている。そんな生物はそうはいない。なぜだろう?」
「それは」
【強欲】の問いに俺は頭を巡らせる。だが、いくら考えても、【強欲】の求めているであろう答えは浮かんでこない。
先に答えを出したのは【色欲】だ。
「人類は発展の過程で常に安全と自己保全を求めてきましたから。個人レベルで言えば周囲への警戒、危機管理。もっと広い目で見れば、町の建設。個で見れば人は確かに脆いです。だからこそ人は集まり、群れを作ってきたんです。一人の警戒で足りないから複数人で集まって、獣を遠ざけ壁を作って守り、死を遠ざけるために医療を発展させた。つまり、人間は脆弱でも、死なないように警戒し続けているんです。だから、死なない」
「その通りだ」
淡々と語る【色欲】。俺は普段とのギャップに驚いていた。【強欲】は我が意を得たりと膝を打つ。
「すごいね【色欲】ちゃん。まさしく俺が言いたいのはそこ。人間は弱いからこそ、警戒することをやめなかった。群れを作り、周囲に目を配って武器をもった。隙だらけの人間を殺すことは簡単でも、警戒する人間を殺すことは難しい。なら警戒した人間を殺すにはどうしたらいいか。簡単だよ。武器を持たない人は獣には勝てない。でも武器があれば勝てる。銃でもあればイチコロさ。圧倒的な暴力でねじ伏せてしまえば簡単だ」
【強欲】は俺を指さした。
「そこで俺たちにはとっておきの存在がいる。食べたモンスターの数だけ肉体を強化できる【暴食】。限界……はどこにあるかは知らないけど、力を高めた君とただの人間なら、それこそ人とライオンくらいの差はあるんじゃないかな」
あるだろう。【強欲】の言葉に頷く。今の俺の体を巡る力はかなりのものだ。試しに近くの木に手を添えて、力強く握りしめる。
ぐしゃりと音を立てて、木の幹は抉り取られた。
「……たしかに、あるだろうな。でも」
「うん。それは武器を持たない人間の話。【憤怒】には二つの武器がある」
体術と爆破。武器を持たない人間には獣は殺せない。しかし武器を持った人間であれば、倍の身長をもった獣すら簡単に殺すことができる。
「獣相手であれば、武器もよりけりなんだろうけどね。熊相手にナイフ一本なんて無謀だろうし、それで【憤怒】の持つ武器は」
「さしずめ、切れ味のいい日本刀と無限に出てくる手榴弾ってところか?」
「ははっ。面白いたとえだ」
実際昨日俺はあいつに負けたわけだし、【憤怒】の武器の有用性は見過ごすことはできない。
「肉体では勝っていても、武器の性能では相手が上。とすれば、君と【憤怒】はいいとこ互角。もしかすると、押し負けてるかもしれない」
「……だから【強欲】さんが傾いた天秤を?」
「そゆこと」
【強欲】は【色欲】の言葉に頷き、パンパンと手を打った。
「【憤怒】は俺という存在に気付いていない。そして、君と戦う時、【憤怒】は全力で戦うだろうね。武器があっても獣相手に油断する奴はいないそこに隙が生まれる」
「人間は知覚外からの攻撃に弱い、か」
「そ。俺がその役を担おう。【暴食】君にとってはきついかもしれないけど、君がこの作戦の要だ。よろしく頼むよ」
*
「がァァァァァァァァッ!!」
「く……そがぁ!!」
目的の場所まで【憤怒】を惹きつけることができた。地面が平らで開けたここで、俺と【憤怒】は激しい戦いを演じる。
【憤怒】は無駄のない動きで俺との距離をつめ、幾度となく拳と蹴りが見舞われる。地面を砕かんばかりの踏み込みとともに撃ち抜かれた掌底。目で追うことも難しい一閃を斧で受け止める。
「は、あァ?」
斧から伝わる衝撃。車に轢かれたかと思った。踏みしめた両足が地面から離れ、斧ごと吹き飛ばされる。
「しィィィィィィィィ」
「こい、つ」
威力がさっきよりも上がっている。空中にいては踏ん張ることもできない。遠ざかるはずだった【憤怒】との距離が変わらない。【憤怒】が俺を追って走る。手には砕けた石畳の欠片。
「かァッ!!」
【憤怒】が欠片をばらまいた。爆発。欠片が小さいからか、爆発は大きくない。しかし小さな傷はいくつもできる。
小規模な爆風の中、【憤怒】は俺を間合いにとらえた。二度目の掌底。俺はタイミングを合わせて、強引に斧で迎撃する。
「ジ……ア゛ギ」
斧は【憤怒】の右手をとらえた。怪力で振り下ろされた斧が、偶然【憤怒】の右手の中指と薬指の間から手首までを深く縦に裂く。
鮮血が辺りに舞い散った。だが【憤怒】は止まらない。顔を真っ赤にし、白目をむいて反撃。
「ご……」
上段蹴りが俺の首を薙ぐ。【憤怒】の長い足から繰り出される蹴りが、俺を顔面から地面に叩きつけた。
「づ」
寝ているばかりじゃ殺される。俺はすぐさま立ち上がる。立ち上がって見えた【憤怒】の姿にぞっとした。【憤怒】は俺が立ち上がるまでの時間で、自分の着ているシャツの端を歯で噛み切り、切れた右手が千切れないように縛りつけていた。
「ふゥーッ、ふゥーッ」
「痛くないのかよ」
手が切られたんだぞ。痛くないはずがない。なのに、【憤怒】は猛烈な怒りを纏って、俺をにらみつけている。真っ赤な血でにじんだシャツが痛々しい。恐ろしい。【憤怒】はぺっとつばを吐くと、顔を歪めながら構えた。
「痛い、だァ? 痛いに決まってんだろゥがァ。クソ偽善者」
「ならなんで……」
【憤怒】は「はっ」と笑って答えた。
「この程度の“理不尽”。超えられないはずがねェだろうが。俺は……俺だぞ? てめェみたいなクソ偽善者に負けるはずがねェんだ」
背筋が凍り付く気がした。激痛を感じているはずだ。【憤怒】の額にはとめどなく冷や汗が流れ、肩で息をしている。一歩踏み出した足は一瞬力が抜けたのか、ぐらりと体が揺れた。
人間だ。こいつは、この男は見知らぬチンピラでもなんでもない、人生という道を歩んできた人間なのだ。
傷ついて痛みを感じないわけじゃない。苦痛で身体が弱らないわけじゃない。傷つき、弱り、しかし意地で立ち上がる人間。俺は今、一人の人間を傷つけたのだ。
大けがをしたままこいつは、【憤怒】は俺に殴りかかってきた。闘争心がかげる様子もない。気圧されて、俺は防御もできずに拳を受ける。
「びびってンのかよォ。偽善者ァ!」
「この」
【憤怒】の拳が俺の顔面にめり込む。ビキと嫌な音がする。右手を負傷したせいだろう。拳は左だけ。それでも何度も顔面に拳を叩きこまれる。
まずい。押し負ける。そもそも、こいつは本当に同じ人間か? さっき感じた感情がまた薄れていく。人の皮を被った怪物なんかじゃないのか?
いや待ておかしい。なんでそう思うんだ? こいつは人間だろう? 違う人間じゃない。こいつは人間などではない。ただの【憤怒】、大罪だ。だからこいつを傷つけることは、殺すことは何一つおかしいことではない。おかしくなんかない。罪を清算するために、こいつは殺さなくてはならない存在だ。……違う! こいつだって人間のはずだ! なのに、なんで俺はこんなこと。
思考が乱れる。痛い。その間にも【憤怒】の拳が俺を傷つける。俺はもう抵抗できない。無理だ。勝てっこない。
俺では、こいつに勝てない。
「【暴食】さん!」
背後から【色欲】の声。その声で俺は我に返った。死にたくないという思いが強く持ち上がる。下ろしてしまっていた斧を持っていた腕を振りあげた。【憤怒】は鋭いステップで回避。負傷した右腕を振りぬいた。
飛んできたのはいくつかの小石。爆撃。とっさに斧で受けるが、斧ごと爆熱にやられる。全身が溶けたように熱い。服が燃え、肌が焼けて肉が焦げる感覚がする。
思わず膝をついた俺。俺に向かって何かが飛んでくる。
かぐわしい香り。俺は反射的に飛んできたそれに食らいつく。噛みしめたそれはモンスターの生肉。ドクンと、俺の心臓が跳ねて力がこみあげてくる。
「邪魔ばっか……してんじゃねぇぞクソアマがァ!!」
「ひっ!」
生肉を投げてくれた【色欲】に【憤怒】が吼える。すくむ【色欲】を横目に、俺は拳を固く握る。
「お前の相手は……俺だろうが」
「この……バケモンが」
立ち上がった俺に【憤怒】は憎悪の声を上げる。どっちが化け物だ。どっちも化け物だ。いや俺もこいつも人間で……待て。それを考えるのは後だ。俺は震える足で踏み出し、【憤怒】に殴りかかる。
【憤怒】は歯を砕けんばかりに噛みしめて、左手を構える。腰を落とし、迎え撃つ姿勢だ。
「こいやこのぎぜ……」
【憤怒】が俺に対して待ちの体勢を取った。【憤怒】の足が止まった。足元には小さな小石がある。このタイミングだった。
「悪いね」
「あン?」
ズプリ。
肉を引き裂く音。声は【憤怒】の背後から聞こえてきた。【憤怒】の顔から寸の間怒りが消え、驚愕に満ちた。
赤い血の香りがする。【憤怒】の胸には墓標のように、剣の刃が突き立っていた。ここまでが計画通り。【憤怒】はコポリと血を吐いて、背後を振り返る。
「て、めェは」
「ここまでが計画だよ。【憤怒】君」
そこにいたのはラフな服装をした悪人顔の男。彼は顔に笑みを浮かべて、手に剣を持っている。
「俺は【強欲】。悪いけど、君には俺の目的のために死んでもらう」




