ゴール直前
三十キロ付近でスパートしたオレは、トップを独走していた。
後ろを振り返ってみても、二位以下の選手は遙か彼方。まだオレには余裕があったし、どうやらこのまま楽勝でゴールのある陸上競技場へ駆け込めそうだ。
オリンピック男子マラソン代表選出の最終切符でもあるこの大会、オレは何としても優勝しなくてはならなかった。
大学時代から将来を嘱望されて来たオレ。オリンピック出場は昔からのオレの夢だったし、実際、それを叶えるだけの実力も持ち合わせているつもりだ。
しかし、過去二回のオリンピック代表にオレは選ばれることはなかった。
自分自身が一番期待していただけに、これまでずっと悔しい思いをして来た。周囲から心ない言葉を浴びせられたこともある。ネットでもいろいろと中傷された。
オレはその度に、必ずオリンピック出場を果たし、そういったヤツらを見返してやろうと、人一倍、厳しいトレーニングを積んで来た。
そんなオレも、もう三十歳。年齢的にも、恐らく今回がラストチャンスになるだろう。だから、この大会にはオレのすべてをかけて臨んだつもりだ。
残りは五キロくらいだろうか。この先、コースは勾配に少し変化のついた登り坂が続く。三十五キロ以上走って来たランナーにとって、一番きつい箇所だ。ただ、それを乗り切れば、ゴールのある陸上競技場が目の前に見えて来る。
――あと少し。あと少しで悲願を達成することが出来る。
オレは気を奮い立たせた。
ところが、その坂道に差し掛かった直後、何の前触れもなくオレの身体に悪寒が走った。
──き、来た！
顔からサッと血の気が引くのをオレは感じた。
──やはり来たか！
それはこれまで二度の代表選出を断念させられたオレの難敵――警戒はしていたのだが、どうやら今回もオレを奈落の底へ突き落とすつもりらしい。
──くそっ、今日こそは！
オレは必死に歯を食いしばった。この最後の代表選考会だけは絶対に負けられない。今日負けてしまったら、これまでのオレの努力はすべて水泡に帰してしまう。
オレはピッチを上げた。少しでも早くゴールへ飛び込もうと思って。
しかし、ヤツはそんなオレを嘲笑うかのように急速に迫っていた。
――ま、まずい。このままでは……。
オレの額に脂汗が浮かんだ。これまで順調だったはずの走りのリズムにも乱れが生じる。
――なぜなんだ？ どうして、こう、いつもいつも。
過去の屈辱を思い出し、オレは顔を歪めた。こいつにさえ邪魔されなければ、オレは二度ともオリンピックへ行けたんだ。あまりの悔しさにオレは歯ぎしりした。
迫り来る気配を気にしつつ、オレは懸命に走り続けた。だが、緩やかな登り坂が果てしなく延々と続くように感じられる。ピッチを上げているつもりなのに、坂の頂上がまったく近づいて来ない。
──何も考えるな！ オレは自分自身の走りに集中するんだ！
そう弱気になりそうな自分に言い聞かせるオレ。だが、それも長くは続かない。
限界は呆気ないほど早く訪れた……。
そのとき、テレビ中継をしていた実況アナウンサーが思わず声をあげた。
「あっと、トップを独走していた御手洗選手、腹部を手で押さえながらコースアウトして行きます！ いつもの腹痛でしょうか!? ――解説の古瀬さんに伺ってみましょう」
「そうですね。多分、プレッシャーから来るものでしょう。あの精神的な弱ささえなければ、御手洗くんはとっくに世界でも立派に通用するトップランナーなのですが……」
