騎士と私
同性愛を匂わせる表現があります。苦手な方はブラウザバックでお願いします。
地獄のブートキャンプから生還した3日後、ステファニーは侯爵邸の庭でお茶を飲んでいた。
「素敵な庭ですね。ただ花々に囲まれるのではなく、あちらは植木の迷路になっているのですか?」
「ええ、王宮の庭園迷路ほどではないですけど。」
ステファニーと一緒にお茶を飲んでいるのはマシュー・フィッグス。
ゆるいウェーブのかかった茶髪に紫の瞳は少し垂れて色気のある甘いマスクのフィッグス伯爵家の三男、30歳。
先日のセオドアブートキャンプに参加していた近衛騎士の一人だ。
マシューは屈強な騎士でさえも辛いセオドアのシゴキにも(文句を言いながら)何とかボロボロになりながらも着いて行った(ように見えた)ステファニーに一目惚れをして、彼女に求婚しに来たというのだ。
「ステファニー嬢、どうか私と結婚をして、一生共にいてください。」
侯爵家の玄関でステファニーを見るや直ぐに側まで行くと彼女の手を取り膝まづき、マシューは開口一番どストレートなプロポーズをした。
突然の事で頭が追い付かないステファニーは淑女のたしなみも忘れ、鯉のように口をパクパクと開いたり閉じたりしていた。
そして、やっとのことで出た言葉は、プロポーズの返事ではなく庭でお茶を誘う言葉だった。
ステファニーは砂漠で縫い針を見つける事に成功したのだ。
「突然の訪問の上、求婚などさぞ驚かれたでしょう。うかうかしてる間に貴女を他の騎士に取られたらと思うと、居ても立ってもいられず失礼を承知でこちらに来てしまいました。」
改めて席から立ち上がり騎士の礼をし詫びるマシュー。
真っ直ぐな視線と真摯な態度にステファニーは、この世界に来て初めて恋の予感がした。
まさかマッチョトレーニングで本当に出会いがあるとは思わなかったわ。
いきなりの訪問には驚いたけど、私の悪評にも臆せずに堂々と求婚してくるなんて何て男らしい方なのかしら。
それに好みからは外れるけど、イケメンだしスタイルも騎士だけあって鍛えられてて素敵だし爵位は無いけど、近衛騎士なら贅沢をしなければ食べるに困らないわ。
だいたい私は、大きな屋敷より小さな庭のあるこじんまりした家に二人で住む方が性に合ってる。
セオドア様、脳筋とか言ってごめんなさい。
私にこの世界に来て初めて春が訪れた!
いやっほーい!!
脳内サンバカーニバルを繰り広げながらステファニーは何食わぬ顔でお茶を飲んだ。
「マシュー様のお気持ちは分かりました。しかし、先日の鍛練で一緒だったとはいえ、私には覚えが無いのでマシュー様とは初対面も同じなのです。直ぐにお返事は出来かねます。」
ぶっちゃけ今すぐにでもOKの返事をしたいステファニーだがマシューの性格や好みが分からないし、何より彼に軽い女だと思われたくないので返事を先延ばしにした。
「確かに。ステファニー嬢の言う通りです。今すぐは無理な話でしょう。ですが、この私に貴女を口説く許可をくれませんか。」
前の世界でもこんなに熱烈にアプローチされたことの無いステファニーは、嬉しさと気恥ずかしさで頷く事しか出来なかった。
あの地獄の鍛錬で一目惚れするなんておかしい事に気付かないほど浮かれていた。それが後に悲劇を起こす事も。
拍子抜けするほどマシューとステファニーの交際は順調に進んでいた。
彼は常に彼女を気遣い、紳士に清く正しい男女交際の見本のようだった。
この世界に来て初めてマトモな人間と出会った気がした。
今までの見合い相手に比べると、いささかパンチが足りない気がするが、ステファニーは交際に概ね満足していた。
ある昼下がりステファニーは王宮に来ていた。
王子の婚約者時代に王宮図書館から借りた本を返していなかったので返却に訪れたのである。ついでに職務中のマシューが少しでも見れたらという下心もあった。
偶然マシューに会えたらいいなと王宮内を徘徊していたステファニーは、いつの間にかお付きの侍女とはぐれて一人さ迷っていた。
……まずい。非常にまずい。迷子になってしまった。
しかも随分と王宮の奥に来てしまったっぽい。
婚約者時代のステファニーなら王宮に何度も足を運んでいたみたいだから迷う事なんて無かっただろうけど、最近ステファニーになった私はここが王宮のどの辺なのかサッパリ分からない。
だいたい王宮に来たのは夜這い事件以来だし。しかもあの時夜だから暗くて周りなんてよく見えなかったし。
元の場所に戻るれる道を誰かに尋ねたいけど、王子に良く思われてない私がうろうろしてたら変に思われるし、また何か言われる。
マシュー様との交際が好調な今、おかしな噂を立てられるのは困る。
手に持っている本を抱え直し、なるべく足音を立てないようにステファニーは周りの様子を窺いながら廊下を歩いた。
曲がり角の先に人影を見た彼女は慌てて元来た道を戻ろうとして、人影がマシューである事に気付く。
天の助けとばかりにマシューに駆け寄ろうとしたら、様子がおかしい。
彼は辺りを気にするようにキョロキョロと見回し後ろ手で扉を少し開けて滑り込むように部屋に入っていった。
マシューのただならぬ様子が気になり、彼の入り込んだ部屋の扉の前まで彼女は急いで近付いた。
ステファニーは扉を見て愕然とした。
それは王宮で唯一見覚えのある、王子の部屋の扉だったのだ。
何で!? 何で、マシュー様が王子の部屋に!?
べ、別に不思議な事じゃないわ、近衛騎士なんだから王子の部屋くらい入るわよね!
でも、コソコソしてるのが気になる。
部屋に誰か他の人が居るのかしら?
まさか、浮気!? いやいやいや、マシュー様に限ってそんな馬鹿な。
…………………。
……………。
………。
…ええい!! 悩んでいても仕方ない!こうなったら浮気かどうかこの目で確かめてやる!
ステファニーは取っ手に手を掛け鍵が掛かってないか確認し、そっと扉を開けて中の様子を見た。
部屋の中は応接間の様になっていて一人掛けのソファが二つ、ローテーブル、長椅子、奥に続き部屋への扉が見えた。
そして一人掛けのソファの一脚に座面に顔を押し付け、マシューが蹲るような体勢でいた。
あんな所に居た!
もしかして具合が悪いのかしら?
それなら人を呼ばないと。
一旦、廊下に戻り辺りを見回すが人が来る気配はない。
このままマシューの容態が悪くなったら大変とステファニーは部屋へ入った。
マシューを驚かさない様に少しずつ彼に近づく。
何やら彼から声をが聞こえる。何かうわ言を呟いてるみたいだ。
これは、いよいよ体調が良くないのだと慌てて駆け寄ろうとした。
「あぁ、ここに殿下が座った残り香が……。なんて芳しいんだ。はぁ、いつまでもここに顔を埋めていたい。」
マシューのおかしな台詞が聞こえてきて、ステファニーは魔法で一瞬にして石になった様にその場に固まって動けなくなった。
彼女が近くに居ることも気付かず、マシューの怪しげな科白は続いてる。
「殿下……殿下……はぁはぁ。あの鋭くも宝石の様な目に見下されて、鍛え上げられ引き締まった脚に蹴飛ばされ踏み付けられたい……」
一瞬何を言ってるのか分からなかった。
「ああ、殿下の逞しい腕に組み敷かれて乱暴に殿下の×××(教育的配慮)で〇〇〇(教育的配慮)して無茶苦茶に▽▽▽(教育的配慮)されたい。」
マシューの独り言はどんどんエスカレートして行った。
普通の令嬢なら余りの卑猥な言葉のオンパレードに卒倒ものだが、ステファニーは中身元日本人の成人女性(経験済)だ。
多少の事では引かないが、まさか将来を見据えた自分の交際相手が元婚約者の椅子に頬ずりをし、妄想を垂れ流してるとは夢にも思わなかった。
ハッと正気に戻ったステファニーは自分の結婚相手になる奴は呪われているのかと本気で思った。
直ぐに気を取り直しマシューへ声を掛ける。
「マシュー様、それはどういう事ですか? 貴方は私にプロポーズをしましたよね?」
部屋の温度が一気に北極並に下がった。
ギギギと音が鳴りそうな動きでマシューは声のする方へ首を向けた。
「ス、ステファニー、どどどどうして、ここに!?」
「王宮図書館に本を返しに来たのですが、マシュー様を見掛けましたので声を掛けようとしたら、怪しげな挙動で殿下の部屋に入られたので、もしかしてお体の具合でも悪いのかと心配で、心配で、いけない事とは思いつつも無断で殿下の部屋に入ってしまったのです。」
心からマシューを心配する健気な令嬢を装うステファニー。その目は猛禽類の獲物を定めた時の目になっている。
「で、どういう事か、説明、してくれますわよね、マシュー様。」
猛吹雪を背後に吹かせてるステファニーにニッコリと微笑まれ、マシューは自分が彼女より12も歳上で幾つもの死線をくぐり抜けてきた誇り高い騎士なのに震えが止まらなかった。
そして彼は死を覚悟した。