男爵と私
初夏の涼やかな風が吹く日、ステファニーは最近王都の女性に人気のカフェレストランにランチを食べに来ていた。
もちろん一人ではなく見合い相手と。
今回の相手はダニエル・マスカット男爵38歳。赤毛の癖っ毛をなんとか纏めようとして微妙に失敗している若草色の瞳の気弱そうな男だ。
今までのお見合いは全て失敗に終わったので、次の見合い相手からは心機一転、日本でのお見合いでよくある会食からやり直そうと考えたのだ。
会食と言っても個室ではなく、レストラン内の普通のお客みたくテーブルで。
食事しながらの会話なら一番最初の時みたいに口論になりづらいだろうと。
軽いランチデートのような感じになる筈だった。
「ダニエル・マスカットです。」
「ステファニー・グレープです。」
「ダニエルの母のフローラですわ。」
「……」
「あの〜、ダニエル様のお母様、ですか?」
「ええ。ダニエルの母です。我が由緒あるマスカット家の将来の嫁になる方がどんな方なのかこの目で確認したくて今回同行致しました。何か問題でも?」
「い、いいえ、……問題無いです。」
「では、お食事を始めましょう。」
何で?何でお母様が居るのかな?
そりゃあ、妙齢の紳士淑女が二人っきりで会うのは外聞が良くないのは分かってるよ。
だからこそ、お互いに侍女や侍従、護衛騎士を連れて二人っきりにしない様にするんだよね。
今日だって店の外に侍女と護衛騎士が待機してるのに。それに店内には他の客も入ってて物理的に二人っきりは無理よ。
流石に30を越えた、いい歳した大人が母親同伴でランチデートって無いわー。
うわっめっちゃ視線を感じる!テーブルマナーを見てるんだ!怖〜。
折角評判のランチなのに見られ過ぎて食べづらいわ、味に集中出来ないわで最悪!
テーブルマナーを厳しくチェックされながらのランチにステファニーは居心地の悪さを感じた。
ある程度食事が進むとフローラがステファニーに質問をし出した。
「ステファニー様は食べ物で好き嫌いはありますの?」
「いえ、特には……。あっでも臭いのキツい物は苦手です。」
「そうなの。こちらに嫁いできたら跡取りを早く産んでもらいたいので、健康には気を付けて好き嫌いせずに何でも食べて欲しいわ。丈夫な赤ちゃんを産むにはまず、母親の体が健康でないといけませんからね。そう言えば、この前の夜会でお見掛けしましたのよ。ダンスがとてもお上手ね。」
「ありがとうございます。ダンスは余り得意ではないのでそう言っていただけると嬉しいです。」
「まあ、では得意な事は何ですの?」
「えっ、あの……特に無いです。」
「まあ、侯爵家のご令嬢が何をおっしゃてるの。刺繍とかお歌とかありますでしょう?」
「いえ、本当にないんです(だって令嬢になったのついこないだなんですもん!)」
ボロが出ないか冷や汗ものである。
この間、見合い相手であるダニエルは終始無言。
二人のやり取りを見ることも無く、まるで無関係と言わんばかりに食事をしていた。
ステファニーはフローラの質問攻撃に嫌気が差し、今度はこちらこら質問する事にした。
「私ばかりではなくダニエル様の事も知りたいです。ダニエル様、好きな食べ物は何ですか?」
「ダニエルは鶏の香草焼きと子牛のタンシチューが子供の頃から大好きなの。私は肉は仔羊の方が好みですけど。」
「……はあ。ダニエル様はどのような本をお読みになるのですか?」
「最近は領地管理に忙しくて読書をする時間がないのよ。でも、前に読んでいたのは哲学書だったわね、ダニエル。私が哲学書は勧めた本でね、余り難しくなくとても勉強になりましたわ。」
「……そ、そうなのですか。ところでダニエル様、このレストランはランチだけじゃなくディナーも素晴らしいらしいんですって。」
「まあ、そうなんですの。では今度はディナーを食べに来ましょうね。」
ダニエルぅぅぅぅ!!さっきからあなたのお母様としか話してないよ私!
彼、挨拶してから一言も喋ってないよ!
何!?彼はロボットなの!?
今時Siriだってもっと喋るわ!!
無性に夕日に向かって叫びたい衝動を抑え、ステファニーは質問を続けた。
「ダニエル様はさっきから一言もお話になりませんけれど、どこかお身体の調子でも悪いのですか?」
「あら、ダニエルは至って健康そのものよ。今日だって朝食を全て平らげたのよ。今朝の卵は新鮮で良かったわね。」
ステファニーは我慢の限界だった。
山田華だった時は仕事で嫌な事があってもお金の為、生活の為と何とか我慢出来たが、ステファニーになって慣れない貴族の生活や言葉遣い、結婚へのプレッシャーで元々低い沸点が更に低くなっていた。
「フローラ様は黙って下さい!私はダニエル様に聞いてるんです!」
「何ですって!?親切に答えてあげているのに失礼な!」
「答えてあげたですって!?ダニエル様が何も言わないのをいい事に自分が答えてばかり!あなたの話なんて聞きたくないし知りたくもないわ!」
「まあああ!!やはり評判通りの悪辣な人ね!ダニエル、帰りますよ!こんな人と一緒に居たら品位が落ちてしまうわ。」
「品位が落ちてるのは、そちらでしょう!」
ここがレストランの店内だという事を忘れて二人は言い争いを始めた。
「だいたい成人した息子のランチデートに付いて来る母親なんて、どこの世界にいるのよ!」
「ここにいるわ!大事な息子が性悪女に騙されないか、この目で確認するのは母親の役目よ!」
「誰が性悪女よ!私はあなたと結婚する為に見合いしてるんじゃないわ!いい加減子離れしなさいよ!」
「私だって貴女の様な口の悪い人と結婚なんて御免です。子離れじゃないわ!あの子が私と一緒がいいと言ったのよ!」
「尚悪いわ!!」
ヒートアップして行く二人とは反対に周りの空気はどんどん下がっていった。
他の客達の冷めた視線に二人は気付かない。
このままでは埒が明かないとステファニーはビシッと音が鳴りそうな勢いで人さし指をダニエルに向けて差し、問い詰めた。
「ダニエル様はずっと黙ってますけど、何か言いたい事はないんですか!?」
「えっあっあの……」
「何ですか?ハッキリ言ってください!」
「だから、その……」
「ダニエル様!」
「うわああああ!!」
叫ぶと同時にダニエルは席を立ってフローラの後ろに隠れた。
「お、お母様を、わ、悪く言うな!」
思いっきりフローラを盾にしてダニエルは威勢よく言い放った。
足はガクガク震えていて振動の激しさが盾にしているフローラへと伝わってフローラもガクガク揺れている。まるで東北で有名な首だけ動く赤い牛みたいだ。
ダニエルは小さな子供が強がっているような感じだった。
実際は立派な成人男性なのだが。
「言いたい事はそれだけですか?」
ついさっきまで熱く言い争っていたはずのステファニーは、今や極寒の空気を発して親子共々凍らせてやろうかとダニエルを睨んでいる。
「ひぃ!」
バタン!
ステファニーと目が合うやいなや、メデューサに睨まれたかのようにダニエルは固まり、白目を剥いて倒れてしまった。
「きゃああああ!!ダニエル!ダニエル、しっかりして!」
慌ててフローラは席を立ち、後ろに倒れたダニエルを揺さぶったが、彼が目を覚ますことは無かった。
結局、ダニエルは気絶したまま連れてきた護衛騎士に担がれてフローラと共に帰って行った。
テーブルにステファニーは一人ポツンと残された。
レストラン内の周りの視線が痛々しい。
視線の先を探すようにステファニーは、さっと周りに目を向けると、他の客達は急いで目を逸らし俯いた。
今、彼女と目を合わせたらダメだ。
店内の誰もがそう思った。
こうしてステファニーの新たな逸話が誕生した。
「ステファニーと目が合った者は死ぬ(たぶん)」