伯爵と私 1
前回のお見合いから一週間、ステファニーは二番目の結婚候補者のプラム伯爵邸に居た。
アルフレッドとの庭園の顔合わせでは、公衆の面前で口論の末、綱引きをするという貴族の令嬢としては有り得ない失態をやってしまったのだ。
元々普段の言動や行動から評判の良くなかったステファニーはこれ以上評判を悪くさせない為(既に手遅れ)にも不特定多数がいる野外での顔合わせは控えたいと思い、プラム伯爵の「珍しい茶葉が手に入ったので是非、お茶を飲みに来て欲しい」という誘いに飛び付いた。
貴族社会の中でもプラム伯爵は特に有名で、現伯爵の二代前の当主は商人だった。海の向こうへ単身渡りそこで培った経験を生かして輸入業で莫大な利益を出したのだ。更にはその財力で爵位を買い、貴族社会に入り込み事業を広げた。
彼の息子も孫である現当主プラム伯爵も初代当主の商才を受け継ぎ、財産を増やし続け今や飛ぶ鳥を落とす勢いの大金持ちになった。
成金の新興貴族のプラム伯爵は歴史と血筋を重んじる貴族社会では良い顔をされないが、下手すると大貴族以上の財力を持っているので表立って彼を非難する者はいない無敵状態だ。
そんなプラム伯爵は成金と陰口を叩かれても結婚相手としては優良物件である。
それなのに侯爵令嬢とはいえ、元々我が儘、女王様気取りで周りからはよく思われてなかったのに更に王子との婚約破棄で評判を地に落とした不良物件ステファニーに結婚を申し込むのには訳があった。
プラム伯爵は無類の女好きで愛人こそ作りはしないが結婚と離婚を繰り返し、ついこないだ12回目の離婚が成立したばかりである。
流石に結婚と離婚を繰り返す人と結婚なんてしたくないが、今回の顔合わせの相手はブラッド・プラム伯爵では無く、息子のカール・プラムの方なのだ。
カール・プラム次期伯爵。父親の仕事に就いてプラム商会を支える次期当主。社交界では滅多に姿を見せない、姿を見た人には幸運が訪れると言われてる伝説の珍獣……じゃなく伯爵とは別の意味で有名だ。
商人として社交しなくて大丈夫なのか心配だが、結婚したら妻が社交面をカバーすればいいので問題ないだろう。
姿絵はダークグレーの髪に黒に近い深海のような瞳、取立てて目立った特徴もなく平凡顔だ。
姿絵なんだから盛って美形にでも描けばいいのに。と、失礼な感想をステファニーはカールが来るまで思っていた。
伯爵邸の客間まで執事に案内されると、何やら廊下の方からもの凄い音が響いてきた。
それはまるで大きな丸太を地面に叩きつけているような騒音がステファニーの居る客間に近付いてきている。
何事かと音が近付いてる扉に目を向けた刹那、乱暴に扉が開かれ大きな塊が入って来た。
「お待たせしました。初めまして麗しの姫君。貴女に会えるこの日を心待ちにしていました! ああ、噂に違わぬ美しさ!」
そう言うと扉から入って来た大きな塊はステファニーの座っている長椅子に見た目とは裏腹に俊敏な動きで近付きステファニーの手を取った。
「チェンジで。」
真顔で言うステファニー。
一見何でもないことのように振舞ってはいるが心の中は突然の嵐に驚いてパニックになっていた。
ええぇぇぇ!? 何これ!? 人間? 人間なの!? ただの肉ダルマ!? 巨大モンスターじゃなくて!? 姿絵全然盛ってないじゃんとか思ってたけど、盛ってないどころか別人!! 本当に姿絵と同一人物なの!? うわぁ……すごい脂汗、髪の毛も会社の課長が最後の悪足掻きをしてるみたいにうっすいバーコードだわ。ここまで来たなら潔く丸坊主にした方が清潔感があるのに。唯一瞳だけは姿絵と同じ色みたいだけど顔の贅肉に埋もれてて判別しにくいわ。ぎゃっ! 近付くな! 圧が凄い! 圧が!!
ステファニーの内心の叫びなど分かるはずも無く巨大肉ダルマは隣に座り距離を詰めてきた。
ステファニーは急に暑さを感じた。さっきまでは何ともなかったのに。
巨大肉ダルマのせいで周りの温度が上がったようだ。
ミシリと長椅子が軋み傾いた。突然の傾きにステファニーはバランスを崩し、巨大な肉の塊へ身体が寄り掛かってしまった。
「ああ、いけませんステファニー嬢。まだ出会ったばかりじゃないですか。そして相手が違います。しかし、積極的な方は嫌いじゃない……。美しく香しい貴女を無下にはできない。」
勘違いした膨張肉塊が嬉しそうに言い、鼻息を荒くしてステファニーの肩を抱き顔を近付けてきた。
その間も長椅子の傾きは止まらない。段々床に近付いてる。
「ぎゃああああああああああ!! 無理無理無理無理!!」
ステファニーは必死で顔を仰け反り熱の発生源から離れようと暴れる。同時にミシミシと音を立てて長椅子がステファニーの悲鳴と共に崩壊した。
バキーン! ドサッ ゴロゴロ
巨大な肉塊の体重を支えきれず長椅子が壊れ、その拍子にステファニーと肉ダルマは床に転がった。
肉ダルマから離れた隙にステファニーは素早く起き上がり扉へと走り出した。
「あっ! お待ち下さいステファニー嬢! まだお話が済んでません!」
ステファニーに続いて妖怪脂汗まみれが起き上がり彼女を追い掛けた。
「私には話す事なんてない! この話は無かった事に! さようなら! つか、姿絵と違い過ぎぃぃぃ!!」
客間の扉を飛び出したステファニーは捨て台詞を叫んで廊下を走り出した。
「これには訳が! 訳があるのですぅぅぅぅ!!」
肉ダルマモンスターも負けじと叫び、巨体からは想像も出来ない速さで彼女を追い掛けた。
プラム伯爵邸で侯爵令嬢とモンスターの前代未聞の追いかけっこが始まったのだった。
屋敷の外に出ればいいものを猛スピードで追い掛けてくる肉ダルマモンスターにステファニーはパニックになり屋敷の中を逃げ回った。
スカートが脚にまとわりついて走りにくい。
こんな事ならドレスなんて着てくるんじゃなかった。
その前にここに来るんじゃなかった。
そもそもお見合いを受けるんじゃ……
ステファニーの思考回路は完全に迷宮入りしていた。
こんなB級ホラー映画あったな。
流石大貴族と同等の財力を持っているプラム伯爵邸、広過ぎてどこを走っているか分からずステファニーは迷子になってしまった。
それでも自分を探して邸内を走り回ってるモンスターの気配に恐怖しながら隠れる場所を求めてがむしゃらに走った。
二階の奥まで逃げてきて、もう体力の限界と壁に寄り掛かった。
呼吸と整えてモンスターが近くに居ないか確認した。どうやらこの階にはいないらしい。
安堵と共にどっと疲れが出て来た。緊張と全力疾走でステファニーの心と身体と格好はボロボロだ。
ただの見合いの筈がどうしてこうなった。
とりあえず休憩をしようと死角になる所がないか見回した時、階段の方からカタンと物音がした。
まずい。こっちに来るかもしれない!?
ステファニーは慌てて目に付いた扉に手を掛ける。
ガチャガチャと取手は音を立てるだけで、どの扉も鍵が掛かっていて開かない。
物音は階段を上がっているようで、ステファニーにどんどん近付いて来ている。
あの角を曲がってきたら確実に捕まる。
袋小路に来てしまって悲鳴をあげたいのをぐっと堪えて最後の扉に手を掛けた。これが開かなかったらゲームオーバー、お終いだ。
カチャ……
奇跡的に開いた扉にステファニーは心の中でガッツポーズし、部屋の中へ入って素早く扉を閉めて鍵を掛けた。
安堵のあまり扉に寄り掛かかりズルズルと床にへたりこんだ。
「誰?」
部屋の奥から声が聞こえてきてそれと同時に人の気配を感じた。ステファニーは驚いて声の方を見た。
そこには突然部屋に入って来たステファニーの前にあの姿絵通りの平凡顔の男が立っていた。