王子と私
草木がきちんと手入れされた広大な庭みたいな所で二人の子供が遊んでいた。
薄茶金の髪の女の子が庭の奥の植木で出来た巨大な迷路へと黒髪の男の子を誘っている。
男の子は怖がって迷路へ入るのを嫌がってるようだ。
「大丈夫よ、私がついてるから。だから入ろうよ。」
「嫌だよ。ステフはいっつも先に行ってしまうじゃないか。こんな大きな迷路、僕一人じゃ迷子になっちゃう。」
「じゃあ、ずっと手を繋いでいるから。行こ。」
「本当?絶対絶対、手を離さない?」
「絶対離さないわ。」
「約束だよ、ステフ。」
「約束するわ、ルド。絶対に手を離さない。」
手を繋いで安心した男の子は女の子に笑顔を向けた。
二人は笑いながら仲良く迷路に入って行った。
「……」
目覚めるとステファニーは見知らぬベッドで寝ていた。
どうやら泣き疲れてあのまま寝てしまったようだ。
誰かが彼女を王子の部屋からこのベッドへ運んでくれたらしい。
華は不思議な夢だなと思った。
庭園で男の子と女の子が遊んでいる夢。
日本人であった華の記憶にはない、でもどこか懐かしい場所と二人に見覚えがある。
どこで会ったのだろうか、ステファニーになってからの記憶を辿るが思い出せない。
ベッドから起き上がり、周りを見回した。
壁を伝って扉に目を向けた途端、扉が開いて人が入って来た。
「起きてたのか。」
部屋に入って来たのは王子だ。
どうやらまだ王宮内にいるらしい。
ステファニーは王子を見て頭に浮かんだ言葉を自然と口に出していた。
「ルド。」
「懐かしい呼び方だな。具合はどうだ?」
「大丈夫、なんとも無いです。」
「そうか。」
王子は昔を思い出したのか、目を細めてステファニーに近付いた。
王子を目で追いながらステファニーは夢の意味を理解した。
あれは華になる前のステファニーの記憶だ。
あの二人の子供は幼い頃の王子とステファニーだ。
何故今更、華になる前の記憶を夢で見たか分からないけど、きっとあの時の記憶がステファニーにとって大切な思い出なのだ。
気が付くと王子は彼女のすぐ近くまで来て、ベッドの横にある椅子に腰掛けていた。
手にはステファニーが王子の部屋で放った王宮図書館の本。
「この本、また読んでいたのか。本当にお前はこの本の話が好きだな。」
まるで久しく会えなかった愛しい者を見るような感じで王子は本を読むこともなくパラパラとページを捲った。
「殿下、ここは……」
「ああ、俺の寝室だ。マシューの事もあって、泣き疲れて床で寝てるお前一人を誰かに引き渡すのも心配だから続き部屋の俺のベッドへ運んだ。」
ステファニーは王子に言われて初めて、マシューの事を思い出した。
「殿下! マシュー様は!? マシュー様はどうなりました!?」
この世界に来て初めての恋が冷めたとはいえ、それなりに好きだった人の行く末は気になる。
ステファニーは勢い余って前のめりになりつつ王子に聞いた。
「アイツは謹慎にした。処分は追って伝える。」
王子は不機嫌になり横を向いてしまった。
王子が急に不機嫌になったのを見て、ステファニーは、やはりマシューの変態行為は受け入れられなかったかと悟った。
私を当て馬にするのは許せないけど、報われない恋が辛いのは何となく想像出来るから一方的に非難するのはモヤモヤするわ。
マシュー様、私とはご縁がなかったんです。どうか、私と関係ない所でお幸せに。
何だかマシューが気の毒な気もしてこの場にいない彼に心の中で合掌をした。
マシューの事が分かると今度は自分がこれからどうなるか気になった。
前の夜這い事件の時は殿下に摘み出されたから今回は、そこまで行かなくてもそろそろ出て行かないと怒られるかな?
ステファニーは王子の様子を伺いながら話し掛けた。
「殿下、寝台をお貸し頂いてありがとうございました。私はもう大丈夫ですので、今日はこれにて帰らせていただきます。御礼は後日改めてさせていただきます。」
「帰る?」
「はい。これ以上ご迷惑は」
言い切る前にステファニーは背中をベッドのクッションに押し付けられていた。
「殿下?」
見上げると王子の綺麗な顔があり、自分が押し倒された事に気付いた。
「謹慎で反省したかと思いきや、次々と見合いなんかして、オマケに近衛騎士と交際とはステフ、いつからお前は俺以外を見るようになった?」
優しい口調なのにその目は全然優しくない王子がステファニーに覆いかぶさってきた。
「反省?」
反省って何!? そう言えば初めて会った夜這いと勘違いされた時も同じ事を言ってた気がする。
そんな事言われても夜這い事件の前の私は別の世界に居たんだから知るわけない!
前のステファニーに言ってよ!! って言うか、これってまさか、貞操の危機!?
ステファニーは慌てて手足をバタつかせるが王子が体重をかけて抑え込んできたので全く歯が立たなかった。
「どどどどうしたのです殿下!? あの、私、反省しましたから! 離れてください!!」
反省なんてする理由も分からないが、とりあえず今この場から脱出しなければと、口から出任せを吐いて誤魔化そうと必死だった。
「本当に反省したか?反省ではなく、俺を見限ったのではないのか?他の男と付き合っていたし。マシューは近衛騎士の中でも特に品行方正、真面目で誠実と評判だったからな。さぞかし交際は楽しかっただろう?残念だったな、アイツと別れて。」
「全然残念じゃないです! 寧ろ嬉しいです! 殿下、その、顔が近いんですが!」
「近いんじゃない、近付けているんだ。近付かないと口づけ出来ないからね。こんな事になるなら婚約破棄なんてしなければよかった。」
「ちょ、ちょっちょっと待って!」
「待たない。」
「私達婚約者破棄して今は何でもないのにこんなことは、いけないです! 殿下の評判が下がりますからぁぁぁぁ!!」
迫る王子の胸を両手で押し返すが男と女では力の差は一目瞭然。ステファニーは段々押し戻されていった。
このままキスしたら、なし崩し的に最後までヤってしまう予感がビンビンする!
殿下から唯ならぬ色気が放出されてるように見える!
未婚の私が婚約者でも彼氏でもない人と婚前交渉とか!
日本や平民ならいざ知らず、侯爵令嬢の私がやったら今度こそ嫁ぎ先が無くなってしまう!
ぶっちゃけ顔は好みだから私的には全然ウエルカム! 別に前の世界では処女じゃなかったからバッチコイでいいんだけど……って! 良くないわ!!
つか、もしそうなったら責任取ってくれるの!? いやいやいや、例え責任取ってくれるとしても、男と別れたばかりで直ぐに次とか節操が無いってまた評判を落としてしまう!
今後も社交界で生きて行くつもりだから平穏に過ごしたいのよ!
華であるステファニーは処女喪失よりも己の保身の方が大事だった。
「婚約破棄されてもあんなに俺の事を追い掛けていたのに、見合いをして他の男を知って俺との約束を忘れた?」
王子がステファニーの頬を撫でながら聞いてくる。
さっきまで冷たかった目は今は切なそうに揺れている。
何言ってんだ、こいつ。
夜這い事件の時に追い出したじゃない。その前に婚約破棄だってしてるのに。
あの時にステファニーになった私があなたの事を好きとか嫌いとか、それ以前に知らないし!
ちょっといい男だからって女がみんな自分を好きになるとか思ってないわよね!?
華の前のステファニーが王子の事を好きで追い回してたか知らないけど、ぶっちゃけ私に今のしかかってるのを止めてくれさえすれば、どうだっていいわ!!
ゴッ!!
寝ていたお陰で体力回復したステファニーは首を思いっきり縦に振り王子に頭突きを食らわした。
「~~っ!!」
不意打ちの強打に避けきれなかった王子はおデコを押さえベッドに転がり悶えた。
その隙にステファニーは急いでベッドから降りて王子から距離を取った。
「自惚れてんじゃないわよ! 今までは追いかけてたかもしれないけど、好かれる努力もしないでいつまでもこっちが好きでいると思わないで!」
おでこを押さえ涙目になりながら王子はステファニーを見上げた。その顔は親からはぐれた子供のようで今にも泣きそうだ。
「ステフ、もう俺の事を嫌いになったの? ずっと手を離さないって約束したのに。」
王子、キャラが変わった!? それともこれが本来の王子の姿なの!?
なんだか幼い迷子の様に見える。実際はガタイのいいイケメンなのだが。
「いつの頃の話をしてるのよ! だいたい相手の合意無しに無理矢理押し倒すとか、王子だから顔がいいからとかで許されないんだからね! そんな自分勝手な男はこっちから願い下げよ!! 真の男とはどういうものなのか脳筋紳士の所に行って鍛え直してこい!!」
威勢よく啖呵を切るとステファニーは部屋から出て行った。
呆然とする王子。ハタと気付いて直ぐにステファニーを追いかけようと起き上がった瞬間、扉が開いてステファニーが戻って来た。
「……出口どこ?」
ステファニーは王子に侯爵邸まで送ってもらった。