教科書
雄哉はいつものように、ギルドへとやってきた。
しかし、二か月も通い詰めているというのに誰も彼に目を向けはしない。決して無視をされているわけではなく、単純に影が薄くて気づかれていないだけだった。というか、雄哉は未だに他の冒険者とつながりを持っていない。それで困ったことがあったわけでもないので、本人は気にしてはいないのだが。
なにはともあれ、難易度Dの依頼が張り出されている掲示板に近寄り、仕事を探す。
ここで、ふと違和感を感じた。
「……? なんか、若干減ってないか?」
二か月前、冒険者になりたての頃は掲示板全体を埋め尽くさんばかりに大量の依頼が張られていた。それは今でもほとんど変わらないのだが、どうも少しだけ量が減っている気がしたのだ。
もちろん、仕事はいくらでも残っているので数枚適当に選んで受付に持っていく。
すると、受付の女性――ライラという名前らしい――は雄哉の姿を見るなり笑顔を浮かべた。
「ライラ? なんだかうれしそうだな」
「ええ、それはもう。最近、ユーヤさんが雑用依頼を大量に処理してくれて大助かりなんですよ」
「そうなのか? あんまり力に慣れてる実感はないけど」
「依頼の中には期限が設けられている物も多いですからね。それを過ぎてしまうと苦情の連絡が来てしまう場合も少なくないんですよ。雑用ですからギルドの人員をまわして少しは処理したりもするんですが、やはり人手不足で。ユーヤさんが期限が切れそうなものを毎日のように積極的に消化してくれて、こちらとしてはとても助かってます。おかげで最近、ようやく溜まってた依頼の数が減り始めたんですよ」
「へー」
確かに、雄哉は期限が切れそうな依頼を積極的に受注していた。
と言っても、その理由は雄哉が食品の消費期限は守るタイプの人間だったからに過ぎない。「期限が切れそうだから先にやっておこう」という軽い感じで受注していたのだが、どうやらギルドからすれば助かることだったらしい。また、掲示板の依頼の数が減ったのは単純に処理が追いついてきたからだったようだ。
たった一人冒険者が増えただけでそうなるのか? と雄哉は思ったが、よくよく考えてみると難易度Dの依頼を受注している他の冒険者をあまり見かけたことはなかった。おそらく報酬が少ないので高ランクの冒険者はほとんどやろうとしないのだろう。一人がやるだけでも依頼の消化効率はかなり良くなるらしい。
「それだけじゃありません。ユーヤさん宛てに指名依頼が入っていますよ」
「指名依頼?」
雄哉は首をかしげたが、言葉の意味を考えればすぐにわかった。
要するに、「掲示板に依頼を張って誰でもいいからやってもらおう」というのではなく、「雄哉にこそやってもらいたい」という依頼が来ているということだ。
「ええ。だんだんと町の中で知名度が上がってきているみたいですね。雑用をこなす冒険者の若い男がいる、っていう。悪い評判ではなさそうですよ」
「ふーん、まあどうでもいいけど。指名依頼って早く処理した方がいいわけ?」
「いえ、冒険者にも都合がありますのでそういう縛りはありませんよ。ただ、普通の依頼より報酬が多かったりしますね」
「だったら受注するしかねぇな」
たくさんお金を稼げるというのであれば、それに越したことはない。雄哉はさっそくライラが持ってきた指名依頼を受注した。依頼人の名前は、
「キラノ=コーガス?」
雄哉がこの世界に来て、初めて人助けをした老人だった。
◇◇◇◇
「おおユーヤ。久しぶりじゃの」
ギルドからそう離れていない場所にある家に出向くと、二か月前と何も変わらない爺さんがそこにいた。
ニカニカと、人のよさそうな笑顔を浮かべている。
「おう、久しぶり。腰は大丈夫なのか?」
「まぁまぁじゃな。ほれ、突っ立ってないで中に入らんか」
「お邪魔しまーす」
家は小さいながらも内装はしっかりとしていた。
小さな椅子に腰かけると、爺さんはキッチンに引っ込んでお茶を淹れてくる。
「ほれ、飲め」
「いただきます」
緑色の飲み物がテーブルに置かれ、さっそく一口飲む。
その瞬間、雄哉は目を見開いた。
「ちょっと渋いけど……これ、緑茶じゃねーか」
そう、よく日本で飲んでいた緑茶に味が酷似していたのだ。あまりにも懐かしい味に、雄哉はゴクゴクと喉を鳴らしながら一気に飲んでしまう。
「ほっほ、気に入ったようじゃの。なんなら茶葉をやろうか?」
「マジか! くれ、頼む!!」
爺さんは茶葉を箱に詰めて、雄哉の前にポンと置いた。それを宝物のように手に持ち、最近購入した物入れに収納する。
すると、キラノは雄哉の向かいに座って話題を切り替える。
「さて……と。最近、頑張っているようじゃの。町を歩いておると、おぬしの評判がたまに耳に入ってくる」
「頑張ってはいないけど、仕事には慣れてきたぜ」
雄哉からしてみれば高校に通う代わりにバイトをしているようなものだ。毎日ギルドで10件近い依頼を受けてはいるが、別に無理はしていない。『頑張っている』と表現するのは少し違う気がした。
また、単純に雑用を手伝って感謝されるのは嬉しかったので、精神的疲労もさほど溜まってはいなかった。
二杯目のお茶を飲みながらいくつか雑談を挟み、雄哉は本題に入る。
「それで、依頼ってのは? 詳しくは口で説明するって書いてあったけど」
「ああ、もう気づいていると思うが、そこにある大量の本を処分してもらいたいのじゃ」
そう言ってキラノが指差した場所には、大量に本が積み上げられていた。確かに、時々視界に入っていたので気になってはいた。
「もう読まないのか? 結構な量だな」
「歳を重ねるごとに視力が落ちてきての、字を読むのも一苦労なんじゃ。読まないものを置いていても邪魔なだけだと思ってな。別に欲しい本があれば持って行って構わんぞ、私にはもういらないものだ」
「ふーん? ちょっと興味あるな」
異世界の文学がどのようなものか、興味がないと言えば嘘になる。日本とは違う常識や政治、法律、文化があるのだから、当然内容も新鮮味溢れるものとなっているだろう。
本の山に近づき、題名だけを流し読んでいく中――雄哉は気になる本を見つけた。
そのタイトルは『今日から君も魔法使い! その1~魔法の基礎知識と使い方~』。あまり分厚い本ではなく、どちらかというと絵本に近いものがあるだろう。どうもシリーズもののようで、複数冊あるらしい。中をざっと読んでみると、思春期高校生の雄哉からすれば一瞬で目を奪われるような内容だった。
「いやいや……こんなの読むしかないだろ。爺さん、このシリーズ全部もらっていいか?」
「ぬ? ああ、魔法の教本か。そんなものが欲しいのか? 五歳くらいの子供が読むような本じゃぞ」
「むしろそれぐらいじゃないとダメなんだよ」
そもそも雄哉は魔法の「ま」の字も知らずに生きてきたのだから、それを学ぶためには誰にでもわかるような超初心者向けの本から始めなければならない。
一応、二か月におよぶ冒険者生活で、魔法が魔力から、魔力が魔素から発生することは知っている。だが、これは例えるなら家電製品を動かすのが電気であると知っているだけに過ぎない。肝心の魔法が、どのような仕組みなのかは何も理解していないのだ。
「ユーヤは魔法が使えないのか?」
「色々あったんだよ」
キラノは訝しげな表情を浮かべたが、深くは追及してこなかった。
魔法が使えないのは異世界から来た、という事情があるわけだが、それを話したところで信用してもらえる可能性は低い。雄哉は適当にごまかすことしかできなかった。
さあ、魔法を勉強する時間だ