美咲の試練
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一筋の汗が額から流れる。それは頬を伝って顎にまでたどり着くと大きな雫となり、重力に引っ張られてポタッと地面に落ちた。乾いた地面に円形のシミができるも、わずか数分で蒸発してしまう。
とにかく暑い、というのが今の美咲の心情だった。雄哉が特注したメイド服は防御力が高いだけでなく通気性、動きやすさも抜群ではあるのだが、現在の気温は30度を超えており、加えて直射日光を浴び続けていれば効果は薄いだろう。つい先ほど水分補給をしたばかりだというのに、すでに喉が渇きを訴え始めている。
しかし、気を抜くことはできない。
だだっ広い草原。その、隆起して丘になっている部分の頂上で美咲は片膝を付きながら魔弓の弦を引いていた。強化魔法によって跳ね上げられた視力で見つめる先、距離にして1キロメートルの地点には魔物が四本足で立っている。
体長は約7メートル。ふさふさの鬣と屈強な顎から生える細長い牙、そして大きく発達した後ろ脚が特徴的だった。その姿を雄哉が見れば「でかいライオンじゃねーか」とでもつぶやいたことだろう。
美咲の冒険者ランクA昇格依頼討伐対象、その名は【ドロモスタスク】。
ミリンダスト王国西部の草原、つまり美咲が今いる場所に最近生息するようになった魔物で、人間に直接危害を与えるということは滅多にない。
だが、この獣は自分よりも弱い魔物を統率する習性がある。常に周囲に大量の魔物を引き連れているのだ。現に今も、十数匹の魔物を周囲に置いて集団移動を行っている最中である。そして、ドロモスタスクの有害性はそこにあった。
要するに弱者を恐怖で支配し、命令に従うだけの道具にしてしまうわけだが、そこで出される命令は決まって町や村――人の住む場所への襲撃なのだ。命令を受けたものの失敗すれば食い殺されてしまうため、魔物たちは全力で町を襲うことになり、冒険者は総出で防衛しなければならなくなる。
本来、この魔物はミリンダスト王国の国外、どの国の領地ともなっていない空白地帯に生息していた。それが魔王の出現によるためか国内に侵入、被害が増大したという経緯がある。
当然、討伐依頼は出ていたがその強さはかなりのもので、ランクAの冒険者でなければ太刀打ちは不可能だった。それを昇格依頼として美咲が受けたという形になる。
美咲は大きく息を吐いた。
魔力効率と魔力圧縮が存分に発揮され、膨大な魔力が込められたおかげか真っ赤に光り輝く矢を魔弓に番えたまま、進行中の魔物集団中央にいる依頼対象ドロモスタスクに矢尻を合わせる。
一時的に息を止め、弓のブレを抑え――手を放した。
ビュゴッ!! と、風を切って魔法の矢が宙を駆け抜ける。一キロメートルという距離をわずか数秒で詰めた魔力の塊は惜しくもドロモスタスクに直撃はせず、数十センチ手前の地面にめり込んだ。
しかし、直後。
凄まじい大爆発が発生し、巨大な火柱が雲を貫いた。
「ッ……こんなに威力が出るものなのですね」
数秒間、半径20メートルほどの火柱が魔物たちを巻き添えにして燃え盛る。衝撃波と轟音が数拍遅れて美咲の元まで届き、彼女は自分が放った魔法の威力に驚いた。
矢に込めたのは火属性の広範囲殲滅魔法『爆炎柱』。火柱を生成して相手を業火にさらす魔法なのだが、消費魔力量がかなりの物となっており、あまり連発はできない。しかし美咲は魔力効率によりごく少量の魔力でこれを行使。さらには魔力圧縮によって威力を底上げしていた。
その結果が先の大爆発である。
風で煙が流れた後にはもはや骨の一本も残さず魔物は消し飛んでいた。
ドロモスタスク以外は、の話だが。
「オオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!」
「本気にさせてしまいましたか」
それは雄叫びだったのか、怒りの咆哮だったのか。
いずれにせよ、巨大な獣のような魔物は鬣を少し焦がした程度のダメージしか受けておらず、まだまだ動ける様子だった。
野獣の眼光が距離を無視して美咲の姿を捉え、猛烈な殺気を飛ばしてくる。先ほどまで暑さに汗を流していたというのに、美咲は背中に氷水をかけられたような感覚を味わい、全身が冷たくなった。
雄哉やヨルキが傍にいれば、こうはならなかっただろう。美咲はあくまで後方支援がメインであり、正面から魔物と対峙することはほとんどない。いつもは彼らが敵を引きつけているため、直接襲われる心配はせず、自分の仕事をきっちりとこなすだけでよかった。
だが、今は違う。美咲を守ってくれる者など誰もいない。自分の力だけであの魔物を倒さなければならないのだ。
「……それが当然ですよね」
美咲は頭を左右に振る。
一体、何のためにニトからレイピアの扱いを学んだというのだ。自分で自分を守れない冒険者など、いるはずがない。
恐怖を強引に抑え込んだ美咲は、再び強く魔弓を握りしめた。
それと同時に、ドロモスタスクが動き出す。
後ろ足で地を蹴り、何かに弾かれたように最初からトップスピードで走り始めた魔物の速度は尋常ではなかった。おそらく十数秒で美咲の下までたどり着いてしまうだろう。
魔力量が少ない美咲は、大前提として接近戦に持ち込まれるわけにはいかなかった。まずは侵攻を阻むべく、魔弓に次の魔力の矢を番える。
「ここは丘の頂上ですから、効果は抜群でしょう。――『津波』」
放たれた矢はドロモスタスク……ではなく、数メートル離れた地面に突き刺さった。
狙いを外したわけではない。
地面に突き刺さったクリアブルーに輝く矢は凄まじい閃光を放つ。次の瞬間、
ドッッッッッッッッッッッバアアアアアアァァァァァ!!!! と。
25メートルプールをそのままひっくり返したかのように、ダムが決壊したかのように、あまりにも暴力的な激流が発生した。
以前、誕生日に海で雄哉に直接教わったイメージを参考に作りだした水属性魔法『津波』。高さは約5メートル、速度は時速100キロメートルといったところか。
通常の波はその名の通り上下に波打っており、海岸には高い波と低い波が繰り返し押し寄せるだけである。それに体をさらわれても大したことにはならない。
しかし、津波は違う。これは波というよりも、海そのものが襲い掛かってくると表現した方が正しい。常に一定の高さを持つ波と言えば見た目はさほど問題なさそうに思えるが、実際は常に大量の水を叩きつけられ続けるということになる。流れるプールが時速100キロメートルで押し寄せてくる、とでも表現すれば分かりやすいだろうか。
まず、抵抗することは無意味だ。巻き込まれてしまえば、人間にはどうすることもできない。
それは魔物にとっても同じだった。いくら強化された肉体をもってしても、次から次へと止めどなくやってくる水に巻き込まれたドロモスタスクはあっという間に押し流され、再び距離が開く。
そして水が収まるまでの間に、美咲は次の矢を番えていた。
「『疾風矢』」
ヒュン、という音だけを残し、矢は消え去った。
風属性魔法『疾風矢』は貫通力、飛距離、速度に特化した矢である。
その速度は――音よりも速い。
水責めからようやく解放された魔物がフラフラと立ち上がった瞬間、横腹に矢が命中。地面に小さな血の水たまりができる。
美咲は攻撃の手を緩めず、追撃の矢を次々と放つ。
だが、二撃目を鬣に掠らせて以降は全く当たらない。ドロモスタスクの動きはすばしっこく、距離も離れているため易々と避けられてしまうのだ。
そして隙を見て、再び獣は弾丸のように飛び出し一直線に美咲の下へ走り出した。
美咲はもう一度『津波』の矢を放つ。
魔力節約のため先ほどより速度も高さも劣ってはいたが、それでも津波は十分な威力を秘めている。足をとられるだけでも大きな隙を作ることができるのは間違いなかった。
が。同じ手は通じない。
ドロモスタスクは後ろ足をばねのように縮め、一気に力を解放。そして、美咲のいる丘の頂上まで300メートルという地点で大ジャンプしたのだ。
大量の水が空しく流れ、その上を獣が飛ぶ。
美咲は冷静に、矢を番えた弓を素早く空中の魔物に照準した。空中にいるということは身動きが取れないということであり、まっすぐ美咲の元へ飛び込んでくるのは恐怖でもあるが、チャンスでもある。
ギリギリまで引きつけたうえで、矢を放つ。地属性魔法『鉄針樹』。直撃すればそこから無数の鉄の針が伸び相手を串刺しにする、はずだった。
その矢を、ドロモスタスクは強化した右前脚でペシ、とあっけなく弾く。
さらに運の悪いことに、弾いた矢は逆方向――つまり、そのまま美咲の方に飛んできた。
「!? マズッ……!」
咄嗟に全身に強化魔法を施す。澄んだオレンジ色の魔力を纏いながら瞬時に弓を背負い、代わりに腰に吊るしていたレイピアを抜剣。こちらにも強化を施しながら、帰ってきた『鉄針樹』の矢を居合斬りに近い動作で弾く。
直後、地面に落ちた矢が急成長を始めた。大量の棘が生まれ、一気に上へ上へと伸びていったそれは瞬時に大きな枯れ木のような形状となる。その枝が運よく、あと少しで美咲に襲い掛かれる位置にいた野獣の体にいくつか突き刺さった。
鉄の枝を折りながら体勢を崩してそのまま落下し、足から着地するドロモスタスク。血を流しているものの、残念ながらダメージは決定打にまで至っていない。
(距離の優位も無くなりましたか)
さらに、もう魔弓を使える間合いではなくなっていた。距離はわずか10メートル。
ここからは近接戦闘に移らざるを得ない。
美咲は残りの魔力量から逆算して最大戦闘時間を割り出し、覚悟を決めた。
「一撃で仕留めます……!」
先手必勝。動いたのは美咲からだった。
魔力圧縮により強化魔法の効果を瞬間的に跳ね上げ、瞬時に間合いを詰める美咲。あまりの速さにドロモスタスクは身動き一つとることができずにいた。
懐に潜り込んだ美咲は魔力圧縮で細身のレイピアをより一層強化。そして。
「『無刃』ッッ!!」
残りわずかの魔力をほぼすべて使い切り、ニトから教わった無属性魔法『無刃』を発動。
全体重を乗せた刺突が、四方八方からドロモスタスクを深く突き刺す。その数およそ20。
脳、肺、心臓、その他の内臓を一度に貫かれた獣は大量の血を流して倒れ、そのまま絶命した。
美咲の『無刃』は斬撃ではなく、突き攻撃を生み出す。「線」の攻撃ではなく「点」の攻撃であることが特徴で、想像力の豊富な美咲は生み出す攻撃の数を大量に増やすことができた。おそらく、ベストコンディションの状態で全魔力を消費して使用した『無刃』ならば、同時に100箇所への刺突が相手を穿つことになる。
「ギリギリ、ですね……」
美咲はその場にへたり込んだ。もう魔力がほとんど残っていないのである。はっきり言って、今の攻撃で仕留めそこなっていれば殺されていた。もちろん、確実に仕留めるために全力を持って戦ったわけだが。
なにはともあれ、昇格依頼は完了である。魔物の死体から素材を剥ぎ取る。
しかし、このままでは最寄りの町に戻ろうにも、道中に魔物と遭遇すれば戦えない。幸いにもこの辺りはドロモスタスクの縄張りであり、他の魔物は寄り付かないはずだった。初撃で取り巻きの魔物は全滅させているので、しばらくは安全だろう。
美咲は前髪に留めていた髪飾りを手に取った。
誕生日、雄哉に買ってもらった花柄の髪飾り。魔道具でもあり、この中には暇のある時に注入しておいた魔力が溜められている。
「……ありがとうございます」
感謝の言葉を口にしながら、魔力を回復させる。
そして雄哉直伝の闇属性魔法『陰空間』を使い、剥ぎ取った素材を放り込んでから自身の陰からリュックサックを取り出す。
その後軽食を取り、水分補給をして30分ほどの休憩により魔力を半分ちかく回復させたのち、美咲は帰路へと着いた。
無事、雄哉、美咲、ヨルキの全員がランクAの冒険者になりました。やっと話を進めることができる……。




