討伐完了
人間は慣れる生き物と言うが、今、雄哉はそれを人生で一番に痛感していた。
「気持ちわりぃ……」
返り血をリュックサックに入れていたタオルで拭きながらぼやく。幸いにも羽織っている防刃コートには防水加工もされているため、さっと拭けば血がしみ込むことはない。
一応、脱臼したと思われる肩は一歩を踏み出すたびに痛みを伴うが、とりあえず回復薬を塗ってみると耐えられる程度に治まった。リュックサックは背負えないので右手で持ち歩く羽目になったが、洞窟の出口探しに支障はない。
しかし住処にでもしているのだろうか、先ほど仕留めた【フロンティーラビット】が何匹も襲ってくるのだ。その度に雄哉はリュックを投げ捨ててバタフライ・ナイフを取出し、強化魔法を駆使して戦った。
肉を斬り、骨を断ち、命を奪う。
最初こそ精神が押しつぶされそうなほどの罪悪感が残り、何度もこれは生き残るためだと心の中で言い訳していたが、次第にその感覚は麻痺していく。
いつの間にかそれは、作業になっていた。
「弱いから、なんだろうな……」
そう、弱いのだ。
動きは単調。ナイフで一度でも斬り付ければかなり動きが鈍る。
野生動物と真正面から向き合ったことが無かったからこそ殺気に怯えたわけだが、それに慣れてしまえばあとはどうとでもなった。
強化魔法を発動すれば身体能力が上がる。それは腕力、脚力だけに限らず、体は頑丈になるし、聴力は高まり嗅覚は鋭くなる。視力に関しても動体視力や瞬間視力、周辺視力など様々な人間の元々持つ能力が軒並み上昇するのだ。
すると、フロンティーラビットのような魔物は完全に雑魚と化した。動きを見切り、攻撃を避けたところでカウンターを入れれば一撃で死亡。仕留め損ねても、もう一撃加えれば終了だった。
改めて考えれば、肩を脱臼させられたのも本来ならばあり得ない。無傷で倒せて当たり前の魔物に苦戦していたということになるのだから。
ともあれ、幾度かの戦闘を経て魔物の殺気に慣れた雄哉は恐怖をあまり感じなくなっていた。足取りも慎重なものから通常のものに変わっている。暗い洞窟の中を、闇属性魔法による視覚補正のみで快適に進んでいく。
そしてしばらくすると、前方から外の光が差し込んできた。
「! やっと出口だ……」
外に出られる喜びに胸をなでおろし、早足で洞窟を抜ける。
わずか数十分という間だったが、暗闇は息が詰まって仕方がなかった。外気と太陽の光を浴びた雄哉は大きく深呼吸し、肺の中の空気を入れ替える。
気分爽快。薄暗い中で血まみれのドロドロした戦いは終わったのだと実感する。
直後、ガサガサガサ! と草木をかき分けて魔物が突進してきた。
「ブルルゥ!」
「お。アングボア」
雄哉が受けた依頼の討伐対象である、アングボアだ。穴に落ちる前に追いかけてきた個体だろうか。
初見の時は怯えて逃げるしかできなかった相手。だが、野生動物の殺気に慣れてしまった雄哉の敵ではない。
四本足で地を蹴り、巨体で体当たりをしてくるイノシシに対し、雄哉はリュックサックを持ったまま強化魔法を発動。黒色の魔力を纏った状態でギリギリまで引きつけ――跳んだ。
「よっ」
「ブガッ!?」
すぐ後ろには洞窟のに通じる穴。そこへ突っ込んでいったアングボアは、足場の悪さからか転倒してしまう。その隙を逃すはずがなかった。
リュックを放り投げ、バタフライ・ナイフを構えて追いかける。
そして洞窟の浅い位置で転がる魔物の頭部に、鋭い刃を突き立てた。
「ギッ……」
「……あっけないもんだな」
全身から力が抜け、地を垂れ流しながら完全に横たわってしまうイノシシ。頭蓋を貫通して脳に達したナイフにより、その命は消し飛んでいた。さっそくアングボアの牙を剥ぎ取り、雄哉は依頼を完遂する。
難易度C、【アングボア】討伐任務は、どうにかこうにかクリアである。
◇◇◇◇
城下町に戻り、ギルドでライラに依頼の完了を告げる。
「お帰りなさい。あれ、左肩、どうされたんですか?」
「え? あ、ああ……初めての戦闘だったからちょっと失敗してさ。肩が外れた」
「えっ……プッ、クク……だ、大丈夫ですか?」
笑われてしまう。死ぬほど恥ずかしかったが、雄哉は耐えた。
「大丈夫だよ。これ、アングボアの牙。剥ぎ取り方ってこんな感じでよかったか?」
「えっと……はい、とても綺麗にできていますね。こちらも買い取らせていただきます。依頼の報酬も合わせて、8000リアンですね」
「ま、そんなもんか」
肩を脱臼させられてその程度か、と以前の雄哉なら文句の一つも出ただろうが、あれだけ弱い魔物を倒すだけで一日の生活費は十分稼げるというのだから報酬はかなり多い方だろう。
「ああ、あと【フロンティーラビット】の毛皮とか耳剥ぎ取ったんだけど、これって売れる?」
「はい、買い取りますよ。……こちらはあまりうまくできていませんね。3000リアンです」
「了解」
しめて11000リアン。一日にいくつもDランクの依頼を受けて稼げる金額を、たった一つの依頼で賄えたことになる。これはDランクの依頼を受けようとしない冒険者が多いことにもうなずけた。
(けど、困ってる人助けるのは嫌いじゃないし。たまにはやろう)
そんなことを考えながら報酬を受け取り、雄哉は次に治療院へと向かった。
治療院とはようするに病院の事なのだが、内科だとか外科などにわかれておらず、すべての病気、怪我を取り扱っている。と言っても、どうやらこの世界はあまり病気が蔓延したりしないらしい。怪我人も冒険者の数が減っているため、相対的に減少しており、いいことではあるのだがあまり儲かってはいないのだとか。
治療院はそれなりに大きな建物ではあったが、人の出入りは無い。この分ならばすぐに治療を受けられるだろう。
扉を開けると、中には受付と待機用の椅子があったが、受付の女性以外に誰もいなかった。
受付の前に行くと、女性は雄哉に気が付いた。
「あら、いらっしゃい。どうしたの?」
「肩がはずれて……戻してもらいたいんだけど」
「それは大変。こちらにどうぞ」
奥の部屋に案内される。
小さな個室にはベッドと机があり、椅子には長髪の女性が暇そうに腰かけて本を読んでいた。
「先生、患者さんですよ」
「え? あ、ああ。今日はどうしたの?」
顔をあげた女性はとてつもなく若かった。まだ二十歳前後だろう、あまり歳の差を感じない。
雄哉は要件を告げる。
「魔物と戦ってたら肩に蹴りを入れられて。脱臼したみたいなんだ」
「回復薬は塗ったみたいだね。どれどれ……こう動かすと痛い?」
「いだっ、痛たた……」
「ふむふむ」
雄哉の左肩を、女性はほんの少しずつ動かして骨の外れ方を確認する。
「うん、これなら割と簡単にいけそうだ。一応回復薬を重ねて塗って痛み止めにはするけど、それでも痛いと思うから我慢してね」
「わかった」
「それじゃ――よいしょっ」
女性が雄哉の左肩に両手で力を加える。直後、ゴギン!! と音がした。
「いっだああああああああぁぁぁぁぁぁ!!?? ぐおぉぉ……」
「どう? しっかりハマったと思うけど、肩をゆっくり回してみて」
「うぐぐ……あ、でも痛くなくなった……。あざっす」
言われた通り肩を回すと、スムーズに動いた。少し動かしただけで痛みが走ることはもうない。
「よし、治療完了。ああでも、完治とは言えないからしばらくはあんまり動かさないように。二、三日は肩に回復薬を塗っておいた方がいいよ」
「えっと、治療費は?」
「ん? あー、じゃあ2000リアンでいいよ。骨の位置戻しただけだし」
「そんなアバウトな」
「腕を切断したとか、肋骨を骨折したとかそういう大怪我ならともかく、脱臼程度なら自分で治す冒険者もいるからね。正直タダでもいいんだけど、最近患者が少なくてお金に困ってるのよ。何ならもっと高い方が良い?」
「あ、いいっす」
雄哉は2000リアン払い、治療院を後にした。
その頃には日が傾き、もうすぐ夕方という時間帯である。
「帰るか」
思ったより長い一日だったなと思う雄哉だった。
そろそろ雄哉には強くなってもらおうかな